唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

方鎭の付帯官について

2013-04-07 23:01:14 | Weblog
節度使・団練観察使なとの付帯官には憲官系と検校系がある。憲官は御史大夫と御史中丞(初期の下位方鎭
にはには侍御史も)があり、当然上位方鎭は御史大夫であるが、必ず付帯されるものではない。使相になる
とほぼ付帯されない(しかし例外もある)。これは上奏權に関連するものではないかと思う。使相になると
当然上奏権があるので憲官の付帯は必要なくなるわけだ。
検校本官には下位から なし→検校常侍→検校尚書→検校僕射→検校三公の順である。桂管・福建など弱小
方鎭で功績があったり、格の高い者は検校常侍が加えられる。有力藩鎭は検校尚書から始まり、僕射に及ぶ。
淮南・西川等の重要方鎭は最初から僕射、三公の場合が多い。
次回は重要藩鎭である淮南節度使の付帯官を例示してみる。
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三師三公(正任)

2013-04-07 16:57:36 | Weblog
三師(太師.太傅.太保)三公(太尉.司徒.司空)は正一品の最上級官であるが、唐代では属官もなく単なる最高
名誉職になっていた。
三公は検校官としては唐中期より乱発され、後期には三師もよく任じられたが正任として与えられる例は少ない。
節度使に与えられる正任の初例は至徳元年の郭子儀・李光弼があり、平章事を兼ねないものは上元元年の河東王思禮
(侯希逸もあるが節度使兼任ではない)がある。
その後は僕固懷恩・李懷光・李晟・馬燧などの唐朝系と幽州朱・魏博田承嗣・成徳李寶臣・淄青李正巳の河北藩鎭
がみられる。
やがて唐朝系李光顔・鳥重胤と、親唐朝系藩鎭である宣武韓弘・武寧王智興・幽州李載義になど移る。
開成三年~乾寧二年の58年間は武官の任用はなく、文官宰相の古株を遇する任命だけになる。
乾寧二年河東李克用が任ぜられた後は、鎭国韓建・宣武朱全忠・西川王建などがみられ、未確認だが邠寧王行瑜・
鳳翔李茂貞なども任ぜられたと推定できる。
三公の序列は 上位より 太尉→司徒→司空
三師の序列は 上位より 太師(李克用の一例しかない)→太傅→太保
両者の序列としては 下位より 司空→司徒→太保→太傅 であるが太尉の位置は不明である。
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