唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

付帯官 淮南節度使を例として その1

2013-04-08 22:56:04 | Weblog
至徳元年に安禄山の乱に際して設置された淮南節度使は、唐朝の財源たる淮南道を確保するための重鎮であったが、初期の節度使はあまり有能とは言えない中級文官中心で、短期に交替したため弱体なものであった。体制が確立されるのは崔圓をまたねばならなかった。
[第一期.付帯官は御史大夫]
01.李成式 采訪使より.永王に逐われる
[?]
02.高適  貶せられる
[御史大夫]
03.景山 劉展に逐われて敗走
[御史大夫?]
04.李峘 淮南・浙西・浙東都統として
[御史大夫]
05.王璵 祠祭使兼職.赴任したかどうかは不明
[御史大夫]
06.崔圓 元宰相.淮南節度使を8年つとめ、体制を確立 →卒
[検校吏部尙書.御史大夫→検校右僕射知省事→検校左僕射知省事]
 *ただの検校僕射ではなく、知省事が付加されると宰相格といってよく准使相である。
07.韋元甫 →卒
[御史大夫]
08.張延賞 短期の御史大夫(中央)を外されて赴任、その不満と丁憂もあり辭職。後に宰相となる。
[御史大夫]