大暦5年2月
[新]なし
[旧]戊戌,李抱玉移鎮,鳳翔軍仇,縱兵大掠,數日乃止。
[通]戊戌,李抱玉徙鎮盩厔,軍士憤怒,大掠鳳翔坊市,數日乃定。
[背景]澤潞節度使李抱玉は、吐蕃防衛の責任者として鳳翔隴右節度使を兼任し鳳翔府に屯していた。当時宦官の観軍容使魚朝恩は禁軍を支配して専権を極め、代宗皇帝は宰相元載と組んでこれを除こうとしていた。しかし朝恩の武力を懼れていた。代宗は禁軍の支配地域を増やして朝恩を喜ばすとともに、朝恩派のはずの陝虢節度使皇甫温を鳳翔節度使に移鎭させ、さらに油断させようとした。温は既に代宗・元載派に裏切っていた。そのため李抱玉を山西節度使兼任に移し、鳳翔から盩厔城に移すことにした。鳳翔にいた抱玉軍は移鎭に不満を抱き蜂起した。
[結果]
李抱玉は威權があり、唐朝が必死に慰撫したため数日で治まった。3月魚朝恩は殿中で誅殺され、温の移鎭は取り消され、鳳翔軍も復帰することになった。
[新]なし
[旧]戊戌,李抱玉移鎮,鳳翔軍仇,縱兵大掠,數日乃止。
[通]戊戌,李抱玉徙鎮盩厔,軍士憤怒,大掠鳳翔坊市,數日乃定。
[背景]澤潞節度使李抱玉は、吐蕃防衛の責任者として鳳翔隴右節度使を兼任し鳳翔府に屯していた。当時宦官の観軍容使魚朝恩は禁軍を支配して専権を極め、代宗皇帝は宰相元載と組んでこれを除こうとしていた。しかし朝恩の武力を懼れていた。代宗は禁軍の支配地域を増やして朝恩を喜ばすとともに、朝恩派のはずの陝虢節度使皇甫温を鳳翔節度使に移鎭させ、さらに油断させようとした。温は既に代宗・元載派に裏切っていた。そのため李抱玉を山西節度使兼任に移し、鳳翔から盩厔城に移すことにした。鳳翔にいた抱玉軍は移鎭に不満を抱き蜂起した。
[結果]
李抱玉は威權があり、唐朝が必死に慰撫したため数日で治まった。3月魚朝恩は殿中で誅殺され、温の移鎭は取り消され、鳳翔軍も復帰することになった。