開元五年 西暦717年
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正月辛亥,如東都。
久しぶりの東都行幸[玄宗としては始めて]ですのでいろいろ手違いがおこります。
三月庚戌,制復置營州都督于柳城,兼平盧軍使
奚・契丹が帰服してきたので再建されました。
四月己丑,皇子嗣一卒,追立為夏王。
武攸止の娘武惠妃の子供です。女にはだらしない玄宗の寵姫となり専権を振るうようになります。
七月壬寅,隴右節度使郭知運及吐蕃戰,敗之。
吐蕃は講和を持ちかけては侵攻してきます。徐々に対吐蕃戦も戦況が好転してきました。
開元六年 西暦718年
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二月戊子,移蔚州橫野軍于山北,屯兵三萬,為九姓之援
突厥から帰服してきた回紇を安撫するためです。
十一月東都より戻ってきます。
開元七年 西暦719年
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開元八年 西暦720年
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正月辛巳,宋璟、蘇頲罷。源乾曜,張嘉貞為同中書門下平章事。
偽造銭の横行により江淮の銭の価値が激動し、璟達は現実を無視[銅銭の需要にたいして供給が追いつかないため、低品質の悪銭が偽造される]してただ偽造厳禁政策を取り、摘発に励みました。飢饉もあり、貴族・民衆の不満は高まり解任されました。嘉貞が執政です。しかし厳禁をやめるだけで再び悪銭が流通するようになりました。
二月戊戌,子敏卒。贈懷王。
これも武恵妃の子です。
五月丁卯,源乾曜為侍中,張嘉貞為中書令。
貴族の子弟は地方官になることを嫌う傾向が強かったので、乾曜は率先して子供を地方官に出し、他の者達にも強制しました。
九月,突厥寇甘、涼,涼州都督楊敬述及突厥戰,敗績。
壬申,契丹寇邊,王晙檢校幽州都督、節度河北諸軍大使,黄門侍郎韋抗為道朔方行軍大總管,以伐之。
朔方王晙の失策と、突厥の再結集により再び辺境が不穏になってきました。
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正月辛亥,如東都。
久しぶりの東都行幸[玄宗としては始めて]ですのでいろいろ手違いがおこります。
三月庚戌,制復置營州都督于柳城,兼平盧軍使
奚・契丹が帰服してきたので再建されました。
四月己丑,皇子嗣一卒,追立為夏王。
武攸止の娘武惠妃の子供です。女にはだらしない玄宗の寵姫となり専権を振るうようになります。
七月壬寅,隴右節度使郭知運及吐蕃戰,敗之。
吐蕃は講和を持ちかけては侵攻してきます。徐々に対吐蕃戦も戦況が好転してきました。
開元六年 西暦718年
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二月戊子,移蔚州橫野軍于山北,屯兵三萬,為九姓之援
突厥から帰服してきた回紇を安撫するためです。
十一月東都より戻ってきます。
開元七年 西暦719年
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開元八年 西暦720年
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正月辛巳,宋璟、蘇頲罷。源乾曜,張嘉貞為同中書門下平章事。
偽造銭の横行により江淮の銭の価値が激動し、璟達は現実を無視[銅銭の需要にたいして供給が追いつかないため、低品質の悪銭が偽造される]してただ偽造厳禁政策を取り、摘発に励みました。飢饉もあり、貴族・民衆の不満は高まり解任されました。嘉貞が執政です。しかし厳禁をやめるだけで再び悪銭が流通するようになりました。
二月戊戌,子敏卒。贈懷王。
これも武恵妃の子です。
五月丁卯,源乾曜為侍中,張嘉貞為中書令。
貴族の子弟は地方官になることを嫌う傾向が強かったので、乾曜は率先して子供を地方官に出し、他の者達にも強制しました。
九月,突厥寇甘、涼,涼州都督楊敬述及突厥戰,敗績。
壬申,契丹寇邊,王晙檢校幽州都督、節度河北諸軍大使,黄門侍郎韋抗為道朔方行軍大總管,以伐之。
朔方王晙の失策と、突厥の再結集により再び辺境が不穏になってきました。