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丘/丘敦和
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本姓丘敦氏、鮮卑人。
父壽は魏の鎮東將軍。
若くして弓馬に長じ、任俠を重んじていたが、成長すると穏やかになった。
北周の開府儀同三司。
隋の右武衛將軍封平城郡公。
資州刺史。
梁州刺史。寬恵で著名であった。
隋漢王諒の反乱時に蒲州刺史であったが敗走し除名。
権力者宇文述に媚びて近づき、代州刺史。
煬帝北巡時に盛んに迎合獻食し、述の推薦もあり博陵太守となり、また帝に迎合した。
しかるに郡民もよく撫して人気があり、遷天水郡守。
左禦衛将軍。
大業末
嶺南地方が乱れ、裴矩に推されて交趾太守となり、諸豪傑を撫して蠻夷の支持を得た。
義寧二年/武德元年
煬帝が宇文化及に殺されると、寧長真・蕭銑・馮盎・林士弘が自立し帰属を勧誘した。
蕭銑は寧長真を派遣して侵攻させたが、高士廉に蛮夷を率いさせて撃退した。
しかし隋の滅亡を知り、ついに蕭銑に帰属した。
武德四年十月
蕭銑平定後、唐に帰属し、上柱國、譚國公、交州總管/大総管に任ぜられた。
そこで入朝した。高祖は子の師利を迎えさせた。
左武候大將軍。
貞觀元年
衰老,本郷の稷州刺史となり自養した。
九年
特進。
貞觀十一年
卒,86才.贈荊州總管,謚曰襄,陪葬獻陵。
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