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台湾を行く~2012年最後の日

2013-01-03 | お出かけ

みなさまは2012年最後の日をどのように過ごされましたか?
台湾に27日から来ていた我が家がどのような大晦日を過ごしたか、
淡々と写真を貼りながらご紹介します。
冒頭写真はご存知、台湾総督府。
日本統治時代に建てられた壮麗な建物です。
いまだにこのように台湾総督府が現役で使用しています。
1919年に建築されたといいますから、もうすぐ百年になるのですね。
日本には明治村にしかないような建物が、台湾にはたくさんあります。

31日は総督府の中は見ることができなかったため、この周りを
歩いて付近の建物を見て回りました。

ところで、この日、二日泊まったウェスティンからもう一度、
最初のホテルハワードプラザに帰ってきたのですが、
アサインされた部屋にチェックインしてみると・・・・・・



部屋の前に盆栽。
むむっ、もしかして、これは・・・・・・。

 

どーん。
なんと、ホテルに一つしかないプレジデンシャル・スイートに
部屋を割り当てられてしまったのです。

 

広い、無駄に広すぎる。
「ちょっと、なにこれ~」。
旅行が多く、いろんな経験をしてきたわたしたちですが、
いきなりこんな馬鹿でかい部屋にアップグレードされたのは初めてです。
従来の部屋の軽く5倍の面積で、応接室、会議場、独立キッチン付き。

「ちょっと・・・これ広すぎるって」
「どこにいたらいいのかかえって困るね」

げらげら笑いながら部屋をチェックして回りました。

 

あまり稼働していない部屋なので、かえって改装していません。
他のスイートはウォッシュレット(日本製)付きなのに、
二つあるトイレはどちらも壁が大理石で工事ができないようです。
オープン当時のままの内装がそのまま残され、
豪華ではあるけど古臭くてあまり居心地はよくありません。

 

とはいえ、テレビはブラービアの超大型。
テレビの向かいにある中国式の木のベンチですが、
座部がつるつる滑る木なので20分と座っていることができず、しかも
「ここからはテレビの画面に何が書いてあるのか見えない」という・・・orz
ちなみに息子が座っているのはマッサージチェアです。

 

会議室。
ここにはパソコン用の机があって、わたしはここで作業しました。
作業しながら家族声をかけても全く何を言っているか聞こえなかったそうです。

  

クローゼットの中のドレッサー、独立キッチン、そしてティーコーナー。
冷蔵庫の中のものは自由に飲んでいい、と言われましたが、
コーラにスプライトにビール、というもので、水はボトルが飲み放題なので、
全く手を付けずに終わりました。

というわけでこの広大な部屋で年越しをすることになった我が家です。

総督府のまわりだけでも歩いてみようとタクシーで出かけました。
着いた日はあまりにも蒸し暑くて驚いたのですが、
この日はすっかり冬。
セーターの上にジャケット、つまり日本と全く同じ格好をしていても、
手が冷たくて手袋が欲しいと思うくらいに外気は冷たく感じました。



スズメは日本のと全く同じ種類のようです。
スズメたちのふくれ具合で、寒さをお察しください。



運転手さんの(たぶん)都合で手前で降ろされました(-_-)。
 

近づいてみるとカウントダウンのためのリハーサルらしきことをしています。
立ち止まって写真を撮っていたら、



この銃を持った衛兵にではなく、左の人に「立ち止まるな」と怒られました。
しかし、この銃、もちろん実弾入ってるのよねえ・・・。



立ち止まると言えば、台湾の街中で見かける歩行者表示。
青の時は普通に歩いているのですが、あと10秒とかになると、
一生懸命走りだすのです。
そして、


赤になって静止。

 

このあたりは政府関係の建物が集まっています。
どの建物も、垂れ幕と国旗で新年用の飾りつけがされています。
台湾は日本のように国旗に対して妙な弾圧が無い普通の国なので、
このようにこれでもかと国旗を多用します。
ちょっと多すぎる気も少ししますが。

これは司法省と高等法院。



法務省。
もう意地になっているかのように国旗を並べています。
アメリカも7月4日はこうですが、まあ、これが普通ですよね。

 

ここには「白色恐怖政治犠牲者慰霊」の碑があります。

日本の敗戦後、国民党政府が台湾にやってきて日本軍の武装解除を行いました。
大陸から来た同民族政府を当初歓迎した台湾人民でしたが、
すぐにその凄まじい腐敗ぶりと質の悪い役人や軍人が犯罪を起こすのに驚きます。
不正の少なかった日本統治を受けてきた台湾人にとってそれは受け入れがたく、
ある市殺害事件をきっかけに民衆は立ち上がります。

2月28日にデモ隊が押し掛けると、国民政府は市庁舎の屋上から、
非武装の市民に向けて発砲、死傷者が多く出ました。

これに対し本省人(台湾人)は道行く人に日本語や台湾語で話しかけ、
答えられないと暴行を加えるなどの大陸人(外省人)狩りをするなどして対抗し、
さらには、すべての本省人が歌うことのできる

君が代を歌いながら行進し、ラジオ局を占拠。
「軍艦マーチ」を流しながら日本語で
「台湾人よ、立ち上がれ!」と呼びかけました。

対する国民党政府は、日本統治時代に高等教育を受けた医師、法律家、役人などの
インテリ層を拷問し、その多くを殺害します。
彼らの手に針金を差し込んで束ね「チマキ」と称して生きたまま海に放り込んだりしました。

台湾人たちは旧日本軍の装備や軍服を身に着けて対抗したりしますが、
ついに国民党に制圧されます。
戒厳令はその後40年続き、1980年代に李登輝総統が法改正をして初めて
この「白色テロ」と言われる暗黒時代は終わりを告げたのです。

この2月28日を記念する広場がここにあります。
銅像は林森先生、というおそらくこの228に関係のある人物。



野良犬らしいですが、首輪をしています。



迎賓館の門。

 

さらに歩いていくと、このような「いかにも中華」な建物が。
天安門広場みたいなものか、お寺かな?

と思ったらなんとびっくり、左はコンサートホール、右は劇場。
いずれも外はこんなですが中は最新設備を備えているそうです。
ですから、中には何の用事もない人も観光に訪れる場所になっています。



自由広場、と言う一角は、全体が広大な広場になっています。



工事中でしたが、ワシントンのリンカーン像のように、
中に巨大な蒋介石の石像が頭だけ見せていました。
そこでふと、先ほどの、白色テロの話と、このいたるところで見る
「蒋介石万歳」的なモニュメントとの相関関係について、
実に不思議な気分にとらわれてしまうのを感じるのです。

国民党政治によって弾圧されていた台湾のナショナリズムは、
独立を勝ち取った後、徐々に本土からの人間の流入により薄らぎ、
今後、大陸との融和を目指す馬英九政権によってさらにいっそう希薄になっていくのでしょうか。
台湾のナショナリズムが「日本」とは無関係ではないだけに、気になるところです。



広場にはテントのような仮設物品村ができていました。
寒いので皆吸い込まれるように入っていきます。

 

一歩入るなり漂う漢方と食べ物の混じった匂い。


珍しいお菓子や果物、本やおもちゃなどのお店もあります。

 

揚条(ヤウチャオ)という揚げパンを、杏仁ミルクに浸して食べる屋台。
試してみました。
ヤウチャオは、全く甘みがなく、油揚げの味がします。
うっすら甘い杏仁ミルクに浸して柔らかくしていただきます。

息子が意外な喰いつきを見せ、一人でほとんど食べました。

 

広場内に見つけた「友好の桜」
戦争中、中央大学に学んでいた何人かの台湾出身の学生は、
学徒動員され、卒業することなく、終戦を迎えました。
戦後、彼らに新たに中央大学から卒業証書が授与され、
日台の友好のあかしにしようと桜が記念に植えられました。

それがこの桜で、題字を揮毫したのが中央大学出身の海部俊樹元首相。
実は鷲さんのコメントで軍艦マーチに関するこの方の「あれ」な話を聞いてしまったので、
以来この方に対してはなんだかなあ、な印象を持っていたりするわけですが。

しかしなかなか達筆でいらっしゃいますね。

 

野良猫も発見。

 

さて、この後、ちょっとした用事で「阪急百貨店」へ。
この間訪れた101は今夜花火イベントがあります。
タワー全体が花火を「放出」し、あたかも燃えているようになる、
この年越しのイベントを見るために多くの人々が集まってきます。

 

まだ数時間前だというのに三脚をセットし待ち構えるカメラの列。
見たところプロ仕様のカメラはありません。
右は、野次馬の中からインタビュイーを選び仕込みをするテレビ局のスタッフ。
いずこもマスコミの偉そうなのは同じです。

 

三越も阪急も中は大混雑。
決して皆「買い物」が目的で来ているわけでもなく、
つまりこのイベントまでの時間つぶしの人が圧倒的に多いのですが、
それでも何しろ人数がすごいので物品販売も「かきいれどき」です。

無印良品もユニクロも、レジには長い列ができていました。
無印で靴下など買い足しましたが、日本とは品物も値段も全く同じ。



テレビの中継車も多数。
そんな街の混乱を見ながら、われわれは部屋に戻り、
部屋の大画面テレビで花火が打ちあがるのを見ながら年を越しました。



さらに、この後なぜかやっていたトンデモ映画、
「野生の証明」を見てしまいました。

元自衛官の高倉健が、いろいろあって自分一人を殺しに来る自衛隊員を
バンバン殺しまくり、娘の薬師丸ひろこを自衛隊ヘリの特殊部隊目黒祐樹に殺され、
怒りのランボーになって、こちらに向かってくる10台の陸自の戦車と、
おそらく一個大隊の陸上自衛隊隊員にピストル一丁で立ち向かうところで終わり。

「自衛隊特殊部隊は人を殺すもの」「自衛隊幹部は悪の巣窟」
みたいな映画に、自衛隊関係者はさぞはらわたが煮えくり返ったと思われます。
というか、「専守防衛」とか「自衛権」とか、いったいどうなってるのこの世界では。
なぜ自衛隊がたった一人の民間人の制圧に戦車を差し向けるの?
とにかく、一般人に与える悪影響もシャレにならないくらい酷いものがあり、
心底驚きながら、最後まで見てしまいました。

「これ、今なら右からも左からも真ん中からも総バッシングだよね」
「ていうか、上映許可が出ないんじゃない?」
「基地外!基地外!って連呼しちゃってるしねえ」

女囚「さそり」(中国から帰ってきた元日本兵のおっさんたちが、
護送中バスが谷間に落ちて山中をさまよう女囚たちを、
女囚なら何をしてもいいという理屈でけだもののように襲ってくる)
という映画のリバイバルを見てこれも非常に驚いたことがありますが、
このころって映画の倫理基準がもうむちゃくちゃだったんですね。
やったもん勝ち、というか、表現の自由の悪しき権利の行使というか。

これって今や日本国内で放映できないから、ここ台湾でやってるんでしょうか。

劇中、わたしが年賀のあいさつに写真を使用したCH-47チヌークが出てきて
「おお」と思いましたが、実はこの撮影、自衛隊の協力が一切得られなかったため
(そりゃそうだ)米陸軍からすべて協力を仰いだということです。

ですから、このとき自衛隊にはまだ配備されていないチヌークが、
なぜか自衛隊の機として登場するというある意味「お宝映画」だったわけです。

というわけで新年早々とんでもない映画初め。
エリス中尉の大晦日と年明けはこのようなものでした。