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飛虎将軍廟~将軍になった飛曹長

2013-01-07 | 海軍人物伝

 

今回の旅行先はわたしが「何が何でも」と台南を盛り込んだわけではなく、
台北と、去年行かなかった南西部に行っておけば「台湾をとりあえず網羅した」
と言えるのではないかということでTOが決定しました。

台南航空隊のあった場所に行けるのは感無量でしたが、かといって
台南航空隊が台湾のここ台南でどんな活動をしていたか調べても全くわからず、
あまり海軍関係は期待していなかったと言うのが本当のところです。

しかし、改めてこの海軍搭乗員、村人のために自らの命を失った杉浦飛曹長を知り、
(といってもそれが海軍軍人であったことは台湾に行く前日に知ったのですが)
やはり海軍の縁がわたしをここに来させたのかもしれない、と思いました。

台南到着の次の日、最初にここを訪れるためにホテルを出発しました。
ホテルの人に資料を見せて「ここに行きたいのだが、運転手に何といえばいいのか」
と尋ねると「ここは有名だから誰でも知っている」と言われました。

特に台南に来た日本人は必ずここを訪れるようです。

 

1993年に建て替えられた本堂はそれでも小さなものです。
赤い垂れ幕には

「歓迎 日本国の皆々様 
ようこそ参詣にいらっしゃいました」

と書いてあります。
ご本尊の飛虎将軍は、この廟が建立された1970年当時には正確な資料がなかったのか、
明治時代の海軍軍装か、警官の制服のような姿をして見えます。



この廟を管理しているおじさん。
我々が入っていくと、お昼時間で祭壇の横の机に座ってお弁当を食べていました。
日本語は全くしゃべれないようでしたが、
お線香の上げ方を身振りで教えてくれ、日本語で

「日本語の説明が必要です」
「いいえ、時間がないので説明は結構です」

と書いた紙を出してどちらかと聞いてきたので、説明をお願いすると、
近くに住んででもいるのか、数分で一人の男性がやって来ました。

蔡さんと言う方で、日本からの客に日本語で説明してくれる係です。

 

それによると、杉浦少尉の生い立ちはこのようなものでした。

杉浦茂峰は大正12(1923)年11月9日、茨城県水戸市に、
杉浦満之助、たねの三男として生まれました。
小さいときから利発で、家族にもかわいがられて育った子供でした。

志願して海軍飛行予科練に入隊。
乙種予科練であったと言うことは13~4歳で予科練に入ったことになります。
乙種は尋常小学校高等科卒(中学2年生)が受験できたといいますから、
杉浦飛曹長は最後の乙種予科練生であることは間違いないでしょう。

戦死した時、一か月後に21歳になるはずだったこの若者はすでに飛曹長でした。
乙種入隊で海軍に入って、すでに8年経っていたからです。

霞ケ浦駐屯地に一時いたこともあるそうです。
最後の乙飛ということは、杉浦飛曹長は、当ブログ「甲飛予科練の憂鬱」で述べた、
「甲種予科練と折り合いの悪かった期」ということでもあるのですが、その話はさておき。

1944年10月12日、杉浦飛曹長は台湾、台南の海尾上空に来襲したグラマンF6Fと、
二号零戦と言われた零戦三二型に乗って交戦、墜落死します。

昭和20年、高尾の海軍航空隊にて、海軍合同葬が営まれ、さらに同年6月、
茨城県水戸市にて、他の戦死者192柱とともに合同葬にてその魂が弔われます。
水戸市は杉浦飛曹長の出身地です。

その功績に対し「功6級金鵄勲章」並びに「勲7等青色桐場章」が叙勲され、
杉浦飛曹長は海軍少尉に特進しました。

 

ここに奉納されているこれは勿論本物ではありません。
杉浦少尉が叙勲された勲章のレプリカが保存されているのです。

戒名は「忠勝員義阿繁峰居士」

戦後、自分たちのを戦火から救うために自分の命を犠牲にした
この海軍搭乗員に対し、海尾の人々は感謝の念を表そうと、
1971年にその恩を顕彰する祠を立てました。

四坪の小さな祠はそれ以来近隣の人々は勿論遠方からの参詣者が絶えず、
特に日本からは毎日のように人が訪れて杉浦少尉の霊に手を合わせます。

お弁当を食べていたおじさんは廟守といい、参拝客の相手は勿論、
朝夕二回、煙草を三本ずつ点火して祭壇に捧げ、朝は「君が代」、
夕方五時ごろに「海ゆかば」を流して廟を守ってくださっているのです。



どうやらこのような専門の煙草立てを誰かがつい最近奉納したようです。

日本語で説明してくれた蔡さんが、「時間外ですがお供えしましょう」と、
わたしを祭壇の前に呼んでくれました。



こうやってガスバーナーで火をつけるのですが、それを
蔡さんはありがたくもエリス中尉にやらせてくださいました。
なぜ三本かと言うと、祭壇には真ん中のご本尊、「飛虎将軍」と、
両脇に軍服を着た二体の神様がいらっしゃるからです。

「これは信者に頼まれれば、飛虎将軍の代理として、
短期間その家にお出ましになる、護衛のような役目の神様です」

というのが蔡さんの説明でした。



三本の煙草から紫煙が立ち昇りました。
生前煙草が大好きだった杉浦飛曹長のために、こうやって今日も
煙草に火は点けられるのです。

普通に点火して置いておくよりもなぜか早く燃えるのだそうで、
「何しろ、ヘビースモーカーでいらっしゃいますから」
と蔡さんは真顔で言いました。

「飛虎」とは戦闘機を意味するとのことですが、「将軍」とは?
実際には昇進して少尉だけど、この廟ではちと昇進させ過ぎではないか?
そもそも杉浦飛曹長は海軍さんなんだから将軍と言うよりは提督なんじゃ?
と思われたあなた、あなたは正しい。

しかし、この台湾の人々にとって、「将軍」の意味は軍隊のそれではなく、
「神様として祀られる勇士の総称」なのだそうです。

毎日自分のために国歌や「海ゆかば」が流され、好きな煙草に火が灯されるばかりか
日本人が毎日のようにやってきて、そして総称とはいえ将軍にまで祭り上げられて・・・。

当の杉浦飛曹長は、もしかしたら少し照れておられたりしませんでしょうか。


明日は台湾の人々とこの飛虎将軍廟の関係についてお話しします。