統一地方選挙が始まりました。
知事と政令指定都市の市長を選ぶ投票日は4月12日に、その他の市区町村の首長と議員を選ぶ投票日は4月26日に行われます。
大阪では相変わらず橋下人気が高く、大阪維新の会から出馬すれば当選確率がぐ~んと上がる傾向にあります。
2012年12月の衆議院議員選挙で大阪7区から日本維新の会の公認で初出馬した上西小百合氏は、小選挙区では自民党の渡嘉敷奈緒美氏に敗れたものの、比例で復活当選を果たしましたが、これも「大阪維新の会」という看板のお陰によるものです。
そして昨年12月に行われた衆議院議員選挙でも、比例で復活当選して2期目を務めていました。
“浪速のエリカ様”と言われた上西小百合氏は、日本維新の会から三顧の礼をもって候補者に擁立された人ですが、その日本維新の会の女性エースを橋下代表は一昨日除籍処分としました。
正に「泣いて馬謖を斬った」訳です。
・上西小百合議員です。(本人のオフィシャルサイトより)
その理由は、3月12日、体調を崩して医師の診察を受けたにもかかわらず、その夜に知人議員と会食をしていたこと。
翌13日の衆議院本会議は体調不良を理由に欠席したにも拘らず、その直後に旅行したなどと一部で報じられたことなどです。
橋下代表と会見した上西議員は、支援者との会合への出席で、旅行ではなかったと説明する一方で、本会議前日にほかの党の議員と会食するなど、体調管理が不十分だったと陳謝しました。
しかし、橋下氏は「国会議員としてあるまじきふるまいだ」と述べ、議員離職を促したものの受け入れられず、「一連の行動は極めて不可解」とし、「日ごろの言動に問題が多く、改善の見込みが全くない」と結論付け、「皆さんの税金が上西氏の給料に消えることを許せば大阪維新の消滅につながる」と説明して、除籍を決定したものです。
「泣いて馬謖を斬る」
三国志の「蜀志の馬謖伝」に「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」という諺があります。
その故事は、次のように伝えられています。
『馬謖は三国志時代の蜀の武将で、諸葛亮の信任を受けて参軍した人物です。その馬謖は街亭の戦いで命令に背き、戦略を誤って魏軍が惨敗しました。
諸葛亮にとって馬謖は愛弟子でしたが、軍律の順守を最優先させるため、命令に背いた馬謖を斬罪に処し涙を流しました。』
この故事から規律を保つためには私情を挟まず違反者を処分する例えとして「泣いて馬謖を斬る」と言うようになりました。
今回の上西議員の除籍に対する橋下代表の心境は、諸葛亮のそれと同じだったかもしれません。
除籍の説明で「皆さんの税金が上西氏の給料に消えることを許せば・・・。」という橋下氏得意の理由付けで市民に説明していましたが、このような市民感覚をアピールすることで有権者の心をつかみ、現在も高支持率を維持しているのでしょうね。