雨の日は畑ができないので、撮り溜めているドラマを観ることにしています。
私の好きなドラマは内田康夫原作の‟浅見光彦シリーズ‟です。
先日の雨の日にはこのシリーズの第22作「佐用姫伝説殺人事件」を観ました。
「佐用姫伝説」とは、今から1480年余り前、佐賀県の唐津の港から朝鮮半島へ出兵した大伴狭手彦(おおとものさでひこ)にいつまでも領巾(ひれ)を振り続け、最後にはその悲しみのために石と化したという佐用姫の物語です。
この「佐用姫伝説」は「羽衣の伝説」「浦島太郎伝説」と並んで、日本三大悲恋伝説と言われており、唐津市を中心として全国に見られるようです。
原作者の内田康夫氏はこの伝説に、昭和30年代、唐津北西に位置する呼子(よぶこ)の港に海を隔て存在した遊郭で起きた悲恋を重ね合わせて、陶磁器を巡る事件の謎解きと悲恋が展開されていくというストーリーを書き上げていました。
・鏡山山頂にある佐用姫の銅像です(ウィキペディアより)
今日はドラマのタイトルにもなっている「佐用姫伝説」をご紹介します。
「松浦佐用姫伝説」
宣化天皇2年(537年)に、任那(みまな)・百済、両国を新羅の侵攻から守るために朝廷から遣わされた名門大伴氏の青年武将・大伴狭手彦(おおともさでひこ)は唐津の地で渡海の準備をしていました。
その身の回りの世話をしたのが長者の娘で、絶世の美女と言われた松浦佐用姫(まつらさよひめ)です。
やがて二人は恋仲となるのですが、軍団は出発となり、二人は別れることになったのです。
別れを惜む佐用姫は鏡山へ駆け登り、身にまとっていた領巾(ひれ)を必死になって打ち振りました。当時は領巾を振れば、邪を払い願いがかなうと信じられていたのです。
軍船は次第に遠ざかり小さくなっていきました。
鏡山から見送っていた佐用姫は狂気のようになって鏡山を駆け下り、栗川(現在の松浦川)を渡って海沿いを北へ向かって走っていき、やがて加部島(かべしま=呼子町)の天童岳の頂きに達しました。
そして、遂に舟が見えなくなるとその場にうずくまり、七日七晩泣き続けて遂には石になってしまったという悲しいお話です。
・佐用姫岩です。(日本伝承大艦より)
なお、「肥前国風土記」には、狭手比古と別れた後も、思い続けていると夜ごと狭手比古に似た男が通うので、後をつけるとそれは山の沼に棲む大蛇で、その大蛇は姫をさらって沼に入ったという物語となっているそうです。
「佐用姫伝説」、日本三大悲恋に数えられるだけあって悲しい物語ですね。