らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「いかのぼり」から「凧あげ」へ

2023-01-22 | 雑学

NHK連続テレビ小説「舞いあがれ」は、ねじ工場を経営する高橋克典が演じた舞の父で社長が急死したことから、代わって社長になった永作博美演じるお母さんと福原遥演じるヒロイン舞が不振が続く会社を立て直す奮闘が始まりました。
あと2か月余でエンディングとなるこのドラマの今後の展開がますます楽しみになってきました。

このドラマはモノづくりの町東大阪と長崎県の五島列島が舞台となっていますが、五島列島ではバラモン凧を上げるシーンがありました。
ばらもん凧とは五島の方言で「元気な」「勇猛な」などを意味する「ばらか」に由来し、「ばらか」+「者」から「ばらもん」となり、「元気者」という意味だそうです。

・バラモン凧です。


ところで、凧上げが日本に伝来した当初は「いかのぼり」と言われたそうです。
「凧」は「いか」から?
今日はその由来を調べました。

「イカのぼり」の伝来
平安時代に伝わった凧あげは、当時「紙鳶(しえん)=凧、いかのぼり」と呼ばれていました。
紙鳶は魔物や病気などが風に乗ってくるのを防ぐ「厄払い」の道具として使われていたようです。
それが転じて縁起物として扱われるようになり、全国に広がって様々な形に変化していきました。
江戸時代には、空中でバランスを取るために数本の紙や糸が付けられたものが主流となり、ヒラヒラとついた足が海のイカのように見えたことから「いか」とか「いかのぼり」と呼ばれるようになりました。

「いかのぼりの禁止」
江戸時代には「いかのぼり」は大流行し、子供だけでなく大人も遊ぶようになりました。
徳川三代将軍家光もいかのぼりで遊ぶほどであったと言われています。
流行した「いかのぼり」で誰が高く上がっているか競うことも増え、「いかのぼり」同士がぶつかって落下する事故が多数発生して、死傷者が出ることもあったようです。
時には火のついた「いかのぼり」が江戸城に落下することもあったことから、江戸幕府は町奉行を通じて「いかのぼり禁止令」を発令しました。

「屁理屈からたこあげに」
しかし、楽しみを奪われた庶民の中から、「いかのぼり」のことを「たこのぼり」と屁理屈を言い出す人々が現れたのです。
「たこのぼり」と名前を変えた結果、江戸ではまた流行しました。
江戸幕府は「たこのぼり禁止令」も発令しましたが、庶民はこれを無視しました。
禁止令が多く発令されていた江戸では、多少のことには目をつぶることも多く、たこのぼりは年中楽しまれるようになったようです。

このように「凧あげ」という名前は、江戸っ子の屁理屈から生まれたもので、明治初期まで「たこ」と呼ぶのは関東の方言、関西の方言では「いか」または「いかのぼり」と呼ばれていたようです。

なお、「凧」という字は「たこ」と読むほかに、一文字で「いか」や「いかのぼり」とも読み、「凧」のことを意味する「紙鳶」は、「しえん」のほかに「たこ」「いか」「いかのぼり」とも読みます。

嘗ての正月の風物詩だった「凧上げ」は、今ではすっかり見なくなり淋しくなりました。
今の子供は凧上げよりもテレビゲームやスマホゲームの方がいいのでしょうね。