らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

安倍仲麿

2011-10-11 | 雑学

一昨夜は、中秋の名月と並んで美しい月と言われる「十三夜」でした。
百人一首にこの美しい月を眺めて詠んだ有名な歌があります。
今日はその歌を詠んだ安倍仲麿と和歌をご紹介します。

安倍仲麿(あべのなかまろ)は奈良時代の貴族で、元正天皇の霊亀2年(716年)に遣唐留学生に選ばれ、遣唐使・多治比県守(たじひのあがたもり)に従って16歳で留学生として唐に渡りました。
玄宗皇帝に仕えて寵遇(ちょうぐう)され、李白や王維とも交友があったそうです。
留唐三十余年で帰航の途につきましたが、嵐に遭って帰国を阻まれ、節度使(唐・五代の軍職で軍団の司令官)として安南に赴き、治績をあげました。
後、長安に帰り、在唐五十余年、73歳で長安の地に没しました。

・小倉百人一首の札です。

百人一首でおなじみの次の歌は、安倍仲麿が唐の地で大空を遥かに見渡し、若い頃眺めた大和の三笠の山の月を懐かしんで詠んだ歌です。

 「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に 出でし月かも」  (安倍仲麿)
  意訳:大空を遥かに振り仰いで見ると月が出ている。あの月は昔、故郷の三笠の山に出た月と同じものか、ああ、恋しいことだな。

この歌が詠まれた時期は、月が美しい仲秋(八月)かと思っていましたが、調べてみると天寶12年11月16日(753年12月15日)の仲冬(11月)の歌のようです。
この日は十六夜(いざよい)の月ですが、月の形からは満月だったようで、冬至前の寒い時期に煌々と照らす満月を眺めながら、望郷の念にかられて詠まれたのではないでしょうか。
この時、唐に渡って既に39年が経ち、55歳になってなお大和を懐かしむ安倍仲麿の気持ちを思うと、帰国が思うに任せない無念さがこの歌ににじみ出ているように思います。


十三夜

2011-10-10 | 雑学

昨夜は、中秋の名月と並んで美しい月と言われている「十三夜」でした。
例年、この時期は秋雨前線が南下して天気が安定していることから、『十三夜に曇りなし』と言われていますが、昨夜は正にこの謂れ通り、雲一つない夜空に煌々と輝く見事な十三夜の月が顔を見せてくれました。
38万㎞の彼方から明るく照らしてくれる十三夜の月は、日本の震災復興を優しく見守ってくれているかのように穏やかな顔で微笑んでいました。

・ベランダから撮影した十三夜の月です。


秋の観月の行事は、旧暦の8月15日(今年は9月12日)の「十五夜」と旧暦9月13日(今年は昨日)の「十三夜」があります。
「十五夜」に月を愛でる習慣は中国から伝わったもので、サトイモなどを供えることが多いことから「芋名月」と呼ばれています。
一方の「十三夜」の観月は日本独特の風習であり、平安時代に貴族たちが集まって月を眺めて詩歌を詠んだのが始まりといわれており、栗や豆を供えることが多いことから「栗名月」或いは「豆名月」と呼ばれています。

この観月の行事のどちらか一方の月見だけをすることは「片見月」といわれ、昔から縁起が悪いと嫌われているようです。
1カ月前に「十五夜」を愛でた方は昨夜の「十三夜」の月も愛でたでしょうか?
お忘れになった方は上の画像でどうぞ。


熊取だんじり祭り

2011-10-09 | 地元紹介

昨日はと今日の2日間は、大阪南部の泉州地方はだんじり祭り一色になります。
今日は我が町、熊取町の「熊取だんじり祭り」をご紹介します。

熊取町は今年町制施行60周年を迎え、記念すべき年のだんじり祭りが昨日から行われています。
町内各地区から大森神社に集結した11台の「地車(だんじり)」は、境内中央の舞台を2周半全力で駆け回ります。
「熊取だんじり祭り」の宮入りは心鎮めて宮入りするのではなく、賑々しく荒々しいのが特徴で、いつもコメントを戴いているiinaさんが10月に1日に紹介していた富山の「新湊曳山まつり」の『静』とは対照的な祭りとなっています。   (参考)「新湊曳山まつり」http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/aa909b62f8c287df2605070147e5443f
宮入り後の「地車(だんじり)」は、太鼓のお囃子も小気味よく、町内のパレードに出ていき、そして勇壮な槍回しなどが行われます。

・槍回しをしている五門地区の「地車(だんじり)」です。 槍回しとは、スピードをつけたまま、「地車(だんじり)」を直角に曳き回す曳行方法です。


・こちらは大久保地区の「地車(だんじり)」で、同じく槍回しをしているところです。「地車(だんじり)」の曳き手は多い地区で400~500名、少ない地区でも100~200名だそうです。


熊取の「だんじり祭り」は、いつ頃から始まったのか明らかではありませんが、1841年(天保12年)には、町内8ケ村が「地車(だんじり)」を所有していたとの記録があることから、少なくとも170年以上の歴史があるのではないかと考えられています。

・屋根の上では大工方が元気よく飛び跳ねています。


・小垣内地区の「地車(だんじり)」です。各地区の「地車(だんじり)」にはこのような立派な彫刻が彫られています。

夜になると「地車(だんじり)」を提灯で飾り、静かに曳行します。

・大久保地区の夜の「地車(だんじり)」です。


・五門地区の夜の「地車(だんじり)」です。


消費者トラブル(CO2排出権取引)

2011-10-08 | 消費者問題

今日は、最近急増している消費者トラブルについて調べました。
国民生活センターによると、最近、CO2((二酸化炭素)排出権取引に関する儲け話トラブルが多発しているそうです。
その概要と対策についてご紹介します。

相談事例
突然「今値上がりしているよい商品がある」と電話があり、後日、自宅を訪問され、CO2排出権取引の勧誘を受けた。
その際「元本は必ず戻る」「すぐ倍になる」などと言われ、「利益換算表」という書面を見せられたため、信用してしまった。
3回に分けて200万円を現金で手渡したが、その後すぐに「値段が下がったから追証が必要になった」と連絡があったので、支払ったお金が全てなくなってしまったことがわかった。
投資の経験は全くなく、こんなことになるとは思わなかった。
「重要事項説明書」という書面には漫然とチェックした記憶はあるが、仕組みやリスクについて口頭での説明はなかった。

「助言」
CO2(二酸化炭素)排出権取引に関する相談は、2010年度以降総件数が230件に及んでいます。
4半期ごとの直近の推移をみると以下の通りであり、昨年から急増していることが分かります。
・2010年10-12月期が2件であったものが
・2011年1-3月期には55件と急増しています。
・2011年4-6月期には115件になり、さらに倍増しています。
・2011年7-9月期は58件となっており、直近1年間に230件の発生をみています。

「問題点」
本件の悪質商法には次のような問題点が見られます。
・取引の問題点
 (1)消費者自らが市場の状況を確認することはほぼ不可能であること。
 (2)取引金額が高額であり、支払ったお金が全てなくなるケースもみられる。
・業者の問題点
 (1)過去にロコ・ロンドン金取引を行っていた業者が勧誘していること。
 (2)業者の実体を確認することが極めて難しいこと。
 (3)連絡不能になったケースもみられる。
・勧誘に関する問題点
 (1)「元本は必ず戻る」などと事実と異なる説明が行われていること。
 (2)良いことばかりを告げ、ハイリスクで複雑な取引であることを説明していないこと。
 (3)投資経験がない、あるいは契約を理解していない高齢者に勧誘が行われている。

「消費者へのアドバイス」
・取引の仕組みが分からなければ契約しないこと
 CO2排出権のCFD取引(差金決済取引)はハイリスクで複雑な取引であるので、仕組みが理解できなければ絶対に契約しないこと。
 知識や経験のない一般の消費者は絶対に手を出してはいけません。
・電話や訪問を受けてもはっきりと断ること
 電話や訪問を受けても、取引をするつもりがなければはっきりと断ること。
 とくに、業者の話をいったん聞いてしまうと、やりとりをしていくうちに親切にされるなどして業者のペースに飲まれてしまい、結果的に不本意な高額取引をさせられてしまうケースも多いの     
 で、十分に注意すること。
・出来るだけ早く消費生活センターに相談すること
 CO2排出権のCFD取引の勧誘を受けて少しでもおかしいと感じたら消費生活センターに相談すること。
 また、不本意な契約をしてしまったら、特定商取引法によるクーリング・オフが可能な場合もあるので、できるだけ早く相談してください。

他にも、高齢者を狙った悪質な投資商法が多発しています。
安易に契約せず、必ず家族か知人などに相談し、不要ならきっぱりと断ってください。


配偶者の呼び方

2011-10-07 | 雑学

今月3日からスウェーデンの王立科学アカデミーでは今年のノーベル賞の発表が行われています。
昨年は北海道大学の鈴木章名誉教授とバデュー大学の根岸英一特別教授の日本人科学者2名がノーベル化学賞を受賞していますが、今年も日本人の受賞があるのかと期待が高まっているところです。
今年の受賞はさておき、昨年の受賞者・鈴木章さんが会見の中で「ワイフ」という言葉をよく使われていましたが、今日は自分の配偶者の呼び方について考えてみました。

自分の配偶者を対外的に何と呼ぶかは実に悩ましい問題だと思います。

鈴木章さんは昨年の受賞後の会見の中で、ご自分の配偶者を「ワイフ」と紹介され話題になりました。
自分の奥さんを「ワイフ」、ご主人の事を「ハズバンド」と言う呼び方は、戦後、欧米文化を取り入れた言い方として流行した時期がありました。今でも70代以上の中には使う方がおられるようです。

最近の若い人に多いのが「うちの奥さん」や「嫁(さん)」のようです。
「奥さん」と言う呼び方は「奥方」が変化したもので、本来、敬意が含まれていますが、呼ばれる女性側は字面から“奥にさがった印象”を持つ言葉だと云う人もいるようです。
また、関西の呼び方から広がったという「嫁」は、一般的に結婚して家族の一員になった女性を指すことが多いことばで、自分の配偶者に「奥さん」や「嫁」というのに抵抗がある人は少なくないようです。
では、「女房」はどうでしょうか?
「女房」は定番の呼び方のようですが「主人に仕える女性」という意味があり、「家内」も「奥さん」と同じように字面から夫婦平等に欠けるとする人もいるようです。

一方、男性の配偶者を呼ぶときはどうでしょう。
最近多いのが「旦那(さん)」ですが、これは本来「檀家」から来たことばで、商人や芸者が得意客に対して使うことばとして有名です。
しかし、定番の「主人」は「自分が仕える人」という意味が本来あってこちらも夫婦平等に欠けると云う人もいるようです。

結局、無難なのは「うちの妻」「うちの夫」になるのかもしれませんが、誰もが納得する呼び方がないのが現状のようです。
対外的に夫婦間の呼び方をどのように呼ぶのか、難しいですね。

因みに私は「家内」と呼んでいますが、この呼び方は夫婦平等に欠けているのですね。読者のみなさんはどのように呼んでいるのでしょうか?


「パンの耳」について

2011-10-06 | 雑学

毎朝、食パンを食べている人が多いと思いますが、食パンの周りを囲む硬い部分を何故「パンの耳」と言うのでしょうか?
調べてみました。

「パンの耳」の言葉は、人間の「耳」に由来しているようです。
一般的に物に名前をつける時、既存の物からの類推や例えを用いるのはよくあるようです。
例えば「机の脚」ということばがあります。
「脚」とは、本来人間の体の下にあって体を支える働きをする部位を指しますが、この支えているという点に着目して、机の本体を支えている部位を人間の脚に例えて名付けられたようです。
他にも、「釘の頭」,「壺の肩」などがありますが、これらも人間の体にあたる部分からの類推によるものです。

「耳」の場合も同様です。
「パンの耳」の場合は音を聴くといった「耳」の働きではなく、人間の顔における耳の位置に着目しています。
すなわち「耳」は人間の顔の端にあります。そこで何か平面的なものの端に位置するものを人間の耳に例えて「耳」と呼んでいるものです。



他にも、「金銭を不足なく用意する」ことを「耳をそろえる」とか、「紙の耳、布団の耳をそろえる」などにも耳が使われています。
「お金の耳を揃える」というのは札束の端を揃えるという意味ですが、この場合もやはり人間の「耳」からの類推で、江戸時代には小判の縁のことも「耳」と呼んでおり、何枚もの小判を重ねることを「小判の耳をそろえる」言っていたようです。

一方、関西ではパンの耳を「パンのへた」という人少もなからずいます。
「蔕(へた)」とは、ナスやトマトの実についているガクのことですが、そこには「役に立たないもの、すぐに捨てられる物」という意味があります。
しかし、「パンのへた」は別で、「へり、ほとり、はた」を意味する「辺・端(へた)」に由来するもので、ここから「パンのへた」が使われるようになったようです。

要は、パンの「耳」も「へた」も同じ意味の端っこを指す言葉で使われているものです。
「パンのへた」を使用している関西の人達はこの事まで理解しているのかどうか知りませんが、下手(へた)な勘ぐりは止めておきましょう。

参考までに英語では「heel of bread(足のかかと)」と言うそうです。
日本が顔の耳で、英語圏は足のかかとなのですね。


達磨忌

2011-10-05 | 雑学

お寺や神社、そして観光地などで縁起物として広く親しまれているものにダルマさんがあります。
このダルマさん実は禅宗開祖の菩提達磨の座禅姿を模した置きものだそうです。
そして、今日10月5日は、その菩提達磨(達磨大師)の命日である「達磨忌(だるまき)」です。

達磨さんは本名を菩提達磨といい、達磨大師ともいいます。
南インド国の香至(こうし)王の第三王子として生まれ(生没年未祥)、般若多羅に師事してその法を学び、今から1500年ほど前の六朝(りくちょう)時代(達磨60才頃)に中国の広州に入り、武帝に召されて金稜(現在の南京)で禅を伝えました。
崇山(すうざん)少林寺に住し、面壁9年の座禅を行ったと伝えられています。

室町時代に日本に伝わった仏教の禅宗では達磨大師と言う僧侶を重要視し、「祖師」は達磨を表す言葉となっているようです。
この達磨大師には壁に向かって九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説があり、ここから、手足のない形状でダルマの置物が作られるようになったと言われています。

・宮本武蔵作の八方にらみの達磨絵(徳願寺HPより)


ダルマは何度転んでも起き上がる置物として人気がありますが、これは一説には、150歳もの長寿であったとの伝説や、その不屈の坐禅修行のさまにあやかったものと言われています。
ダルマの置物は別名「願掛けダルマ」とも言われていることから、目の部分は書き入れず空白のままで売られています。
目を入れる方法は、祈願者が思い思いの願いを込めてダルマに向かって右(ダルマ自身の左目)に墨筆で目を入れ「半開眼」し、願いが叶ったらもう片目を入れて満願とするのが慣わしとなっています。 



ダルマさんは、くじけず辛抱すれば必ず報われる、不撓不屈の精神を授けてくれる尊いお祖師様です。


イチゴの定植

2011-10-04 | 家庭菜園

孫たちはイチゴが大好きで、今年初めて「我が家のイチゴ狩り」をして大層喜んでくれました。
その時のブログです。http://blog.goo.ne.jp/raishou0213/d/20110505

来年も孫の喜ぶ顔が見たくて、先日、イチゴの定植をしたところです。

イチゴの苗作りは春先の収穫後に伸びてくるランナーを別の畝に植え付けて育てますが、今年は、収穫が終わった株をそのまま残し、自然に伸びたランナーが根を出して生長したもを切り取って定植苗として植え付けしました。

・これが自然に伸びたイチゴ苗です。この中からよい苗をより分けて植え付けます。


・たくさんある苗の中からこのように株元が太く育った苗を掘り上げて植え付け苗とします。


その苗を60センチ幅の畝に2列に植え付けました。
現在4畝に植え付けていますが、右に見えている2畝にも植え付け、全部で150株ほど植える予定です。


家庭菜園での楽しみは収穫も然(さ)ることながら、孫たちの喜ぶ顔を見ることであり、来年もそれを期待してイチゴの植え付けをしている好好爺です。

・今年の5月5日、孫たちが喜んだイチゴ狩りの一時です。





沢庵禅師

2011-10-03 | 雑学

昔から日本の食卓に欠かすことのできない定番の食べ物である漬物。イモ類を除いて殆どの野菜は漬物にすることが出来ます。
日本の漬物で有名なものには、たくあん漬け、福神漬け、らっきょう漬けなどがありますが、全国各地には野沢菜など、その地方の特産野菜を用いた漬物がたくさんあります。

今日はその中から代表的な漬けものである「たくあん漬け」の考案者とも言われている沢庵禅師について調べました。

沢庵禅師(1573年12月24日~1646年1月27日)は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧侶で、諱(いなみ)は宗彭(そうほう)です。
但馬国 出石(現在の兵庫県豊岡市出石町)に生まれ、諸大名の招請を断わり、大徳寺の首座や南宗寺の住持などに歴任し、1620年(元和6年)に郷里の出石に帰り、出石藩主・小出吉英が再興した宗鏡寺に庵(投淵軒)を結んだそうです。
紫衣(しえ)事件で出羽国に流罪となり、その後、赦免されて江戸に戻り、萬松山 東海寺を開きました。
書画・俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重されたそうであり、多くの墨跡を残しています。

「沢庵漬名称発祥の地」の石碑が建っている「春雨庵」の入口です。(画像はいずれも2008年10月に撮影したものです)


沢庵禅師は後水尾天皇から、僧侶として最高の誉れである紫の衣を許されていましたが、寛永6年(1629年)の紫衣(しえ)事件で、幕府の怒りを買い、出羽国上ノ山(現在の山形県上山市)に流罪となりました。
その際、時の上山藩主、土岐頼行は、この沢庵禅師のために草庵を寄進し、禅師はこれを「春雨庵」と名付け、寛永9年間までの3年間を何不自由なく過ごしたということです。

・流刑の地、山形県上山市の「春雨庵」です。この建物は、原型をその遺跡に再建したもので、茶室が併設されています


沢庵禅師は漬物の沢庵(たくあん)を考案したことで知られていますが、剣の達人でもあったそうです。
彼は、「無心の剣法」というものを説きました。無心とは、何も考えずにぼんやりしていることではなく、「ひとつのことにとらわれない」という意味だそうです。

・春雨庵に安置されている沢庵禅師の像です。


(参考)
「紫衣(しえ)事件」
紫衣事件とは、1627年(寛永4年)将軍徳川家光の時、皇室から大徳寺・妙心寺の僧に賜った紫衣を幕府が法規を楯に奪い、今後は天皇に代わって幕府が許可を与え、命令に服さない者の紫衣の着用を禁止したことによって起こった事件です。
この命令に怒った沢庵は江戸に上り、大徳寺反対派をまとめて反対運動の先頭に立って、沢庵自らが書いた抗弁書(こうべんしょ)を幕府に出しましましたが、幕府はこれに怒り、中心人物である沢庵を羽州(山形県)上ノ山に流罪にしました。
なお、3年後には、2代将軍秀忠の死による大赦(たいしゃ)によって江戸に帰り、3代将軍家光が品川に4万坪の土地を与え、萬松山 東海寺を建ててその開山に沢庵禅師を迎えたと言われています。


スイチョウカ(酔蝶花)

2011-10-02 | 

いつもの散歩コース、熊取町(大阪南部)の長池公園に久しぶりに出かけました。

散歩コース沿いにはたくさんの草花が植えられていますが、過去に見た花が殆どであり目新しい物はありませんでした。
その中で、ここでは初めて見る白色と淡いピンクの花がひと際目立ったので撮影してきました。
調べてみるとこの花はクレオメで和名では「スイチョウカ(酔蝶花)」と言う花です。
原産地は南アフリカで、開花時期は7から9月、草丈は1mくらいに伸びて、その頂点にたくさんの花を付ける綺麗な花でした。



「スイチョウカ(酔蝶花)」は、花がつぼみの頃はピンク色をしており、開いてくるとだんだん白色に変わります。
名前の由来は、4枚の花弁を蝶が飛ぶ様子に、ピンクから白色へ変色する花弁を“酔った蝶”に見立てたことから「酔蝶花」と呼ばれるようになりました。
英名では「スパイダーフラワー」と蜘蛛をつけて呼ばれていますが、こちらは長い雄しべを蜘蛛の足に見立てたようです。



花は、4花弁で、雄しべと雌しべが、異様に長く、英名の「スパイダーフラワー」も理解できる感じです。