先日、野村証券主催の講演会が岸和田市の浪切ホールでありました。
講師は拓殖大学大学院教授の森本 敏先生で、講演テーマは「当面する国際情勢と日本外交」と題してですが、内容は主に次の2つのサブテーマで話されました。
1.2012年はどんな年か?
2.中国は何をしようとしているか?
レジュメがなかったので、講演の中からメモしたポイントをご紹介します。
・講演会があった岸和田市の浪切ホールです。
「2012年はどんな年か?」
まず、来年は世界各国で選挙が行われ指導者が代わる年であること。特に米・ロ、東アジアの各国の選挙後の体制について話されました。
・アメリカ・・・来年11月の大統領選挙は、現時点では共和党の候補とオバマ大統領が全くの互角であり、オバマが勝つためには国内経済を立て直し、実体経済を改善すること。
そして、実績を残すために、日本には、民主党政権2年間の宿題に対して強硬に回答を求めてくること。
・ロシア・・・・ロシアも来年が大統領選挙であり、プーチンとメドベージェフが入れ替わるが、ロシア経済は決してうまくいっていないのが現状だ。
現在は天然ガスや石油などの資源で潤っているだけで、その石油もあと40年くらいで無くなる言われているので、極東部の資源開発を次期政策の柱にして
いること。
中国の軍事拡大に非常に敏感になっていること。
・中国・・・・・この国はには選挙はない。来年10月に総書記は胡錦涛から習近平になり、首相は温家宝から李克強になることが決まっており、この体制が2022年まで続く。
習近平は江沢民前総書記が推薦した人で、人民軍に関係しない初めての人だそうです。
・韓国・・・・・来年12月が大統領選挙。韓国では大統領は1期で交代するが、今までの大統領経験者は現職の時に常に汚職にまみれており、退いた後に訴追されて刑に服したり、
最悪の場合は自殺に追いやられたりする悲惨な結果が通例の国である。
・モンゴル・・朝青竜が大統領に立候補する予定だそうだが、彼だけにはなって欲しくない。天皇陛下お会いするなんてとんでもない。
・日本・・・・・・野田総理は崩れないが、閣内から崩壊する懸念がある。適材適所と言っているが、民主党政権3期目となると大臣の器が居ない。
民主党政権になって日米関係はガタガタになった。東日本大震災の対応は阪神大震災と比べて比較にならないくらい遅い。
民主党政権の任期は再来年7月だが実績を残し、支持率の上昇を見て、早ければ来年の夏にも総選挙があるだろう。
先月の日米合意で5つの宿題を付きつけられている。
①普天間問題
②TPP参加問題
③米国産牛肉の輸入緩和問題
④ハーグ条約の加盟問題(国際結婚夫婦の離婚時における子供の親権のあり方など)
⑤武器輸出5原則の緩和
この内①を除いた②~⑤については、11月10日にハワイで開かれるAPECまでに回答を求められている。
・北朝鮮・・・来年4月12日が金日成生誕100年、金正日70歳、金正恩30歳親子で100歳と言うことで、100と言う節目の年に強盛大国、先軍政治、即ち、軍事大国を目指して
いる。
このように、来年は世界で指導者が交代するなかで、日本はどのように対応していくのか難しい年となる。
2つ目のサブテーマ「中国は何をしようとしているか?」については明日ご紹介します。
皇后さまは10月20日の今日、77歳、喜寿の誕生日を迎えられました。
戦前は皇后誕生日を「地久節」と呼び、皇后陛下の誕生日をお祝いしていました。天皇誕生日(天長節)と異なり、国の祝祭日として勅令で定められることはありませんでしたが、一部の女子校などでは、休日にして祝われていたようです。
「地久節」は、昭和23年(1948年)7月に「皇后誕生日」に改称されています。
皇后誕生日について調べたところ、皇后・美智子陛下は昭和9年(1934年)10月20日、日清製粉勤務の正田英三郎・冨美(富美子と改名)夫妻の長女としてご誕生されました。
昭和32年(1957年)に、聖心女子大学文学部外国語外国文学科(英文学)を首席で卒業され、同年8月、軽井沢テニスコートで開催されたトーナメント大会で当時皇太子だった明仁親王と出会いました。
この出会いは「テニスコートの出会い」としてよく知られているところで、その後もテニスを通して交際を深めたと伝わっています。
当時、皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然と考えられており、誰も彼女をお妃候補とは思わなかったようです。
このため、資産家の令嬢とはいえ、旧華族出身でないことから、香淳皇后、高松宮妃、秩父宮妃の方々から猛烈な反発を受けたそうです。
昭和33年(1958年)11月27日、結婚が皇室会議に於いて満場一致で可決されると、清楚で知的な美智子様の姿は絶大な人気を集め、当時「ミッチー・ブーム」が起こりました。
そして、昭和34年(1959年)4月10日、皇太子明仁親王と結婚され、明治以降初めての民間出身の皇太子妃となりました。
昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇のご崩御に伴って明仁親王が即位され、美智子妃殿下は「皇后陛下」になられました。
皇后陛下は国民に開かれた皇室の想起者といわれていますが、伝統を守ることを非常に大切にされています。
また、訪問相手や周囲で仕える者に対する気遣いを常に怠らないと言われ、慈悲深い姿は、多くの人々に感銘を与えておられます。
昨日も宮内記者会の質問に対し、東日本大震災と原発事故の被害について、犠牲者の遺族、被災者への思い、復旧・復興に携わる人々への感謝を1700字近い長さで綴られたそうです。
皇后陛下は7月と9月に頸椎症(けいついしょう)による痛みを発症されているそうですが、御無理をなさらず、いつまでもお健やかにいらっしていただきたいと思います。
昔、子供の遊びに「はないちもんめ(花一匁)」がありました。
年配の人はこの遊びをご存知と思います。
2組に分かれて歌を歌いながら歩き、メンバーの一人を指して『○○さんが欲しい」と宣言してやり取りをする遊びです。
この遊びに歌われている歌は、花を一匁(もんめ)買う際に、値段を負けた悲しい売り手側と、安く買って嬉しい買い手側の様子が歌われているとされていますが、実際は、貧しい親が人買いに「箪笥、長もち、どの子が欲しい?」と聞くという悲しいものだそうです。
子供の頃は意味も知らずに歌いながらよく遊んでいたものです。
今日は、その「匁」についてご紹介します。
「匁(もんめ)」とは、尺貫法における質量の単位です。明治24年(1891年)公布の度量衡法によって1匁は3.75グラムと規定されました。
この単位の公式の名称が「匁」になったのは明治時代の事で、それまでは銭(せん)と呼んでおり、その重さは名前の通り1文銭(3.75g)の重さに由来しているそうです。
因みに、この重さは現在の5円硬貨の重さと同じです。
なお、『尺貫法』とは、長さの単位として尺を、質量の単位として貫を用いる日本古来の度量衡(長さ、容積と重さ)の体系で、中国大陸や朝鮮半島から伝来し、大宝律令(701年)により制度として確立されたと言われています。
この『尺貫法』は昭和34年に廃止され、メートル法が施行されて、重さについては一貫とか一匁などは使わなくなりました。
「世界で使用されている匁(もんめ)」
ところが、「もんめ」という単位を今でも公に使っている業界があります。
それは真珠業界です。
真珠業界では「もんめ」と平仮名で書きますが、真珠の重さの単位として今でも特例で「もんめ」の使用が認められているそうです。
「もんめ」が世界中で使われるようになったのは、明治時代に日本が真珠の養殖に成功し、世界の真珠取引の中心になったことによるもので、海外では「momme(mom)」と書くそうです。
廃止になった重さの単位「もんめ」は真珠業界を介して世界で通じる日本語として残っているようです。
今日は最近増加している劇場型と呼ばれている悪質商法の事例をご紹介します。
国民生活センターより配信されたメルマガによれば、最近は劇場型のトラブルに巻き込まれる高齢者が増加しているようです。
「事例」
A社から電話があり、太陽光・風力発電などの再生可能エネルギーを扱うX社の社債購入を勧められ、
「D工務店のD氏もほしがっている。35口700万円ずつ共同で買わないか。必ず高く転売できる」と言われた。
実際にBという会社から「買い取りたい」と電話があったので信じ始めた。
その後A社から
「D氏が70口分購入したが、代金を法人名義で振り込んだので受け付けられなかった。今、彼は海外出張中で手続きできないので代わりに買ってほしい。2~7倍にして返す」
と言われたので、X社に社債70口1400万円分を振り込んだ。
数日後、A社とB社に電話したが通じず、だまされたことに気づいた。(60歳代 男性)
このように、劇場型と呼ばれる消費者トラブルでは、詐欺のグループ内で役割を決めて電話をかけてきます。
この事例では、A社もB社も同じ仲間で、「代わりに買えば数倍にして返す」という甘い言葉で60歳代の男性に電話しています。
他にも、社債や医療債、未公開株などについて「自分達の代わりに買ってほしい。お礼を含めて高く買い取る」とか、
「社長と同じ出身地の人しか買えないので代わりに買ってほしい」や、「共同出資なのであなたが買わないと他の出資者に迷惑がかかる」などと言って購入を迫るなど、勧誘方法も巧妙になっています。
「ひとこと助言」
・「買った額より高値で買い取ってもらえるので、商品や権利を買わないか」と勧誘され、実際に買い取り希望の業者も現れるなどして、その商品や権利を購入するように仕向け
られる劇場型の手口が後を絶ちません。
・このようなケースでは、事例のように業者と連絡が取れなくなってしまうことが多く、いったん支払ってしまうとお金を取り戻すのは極めて困難です。
・甘い誘い文句には十分注意してください。
・おかしいなと思ったら、お金を支払う前にお住まいの自治体の消費生活センター等にご相談してください。
今日、10月17日は「貯蓄の日」です。そこで、「貯蓄の日」について調べました。
「貯蓄の日」
貯蓄の日は、1952年(昭和27年)日本銀行が10月17日を勤労の収穫物であるお金を無駄遣いせずに大切にしようという意味を込めて制定した記念日です。
その由来は、10月17日に伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)の行事からと言われています。
現在、多くの国民は労働の対価として金銭をもらうようになっていますので給料がいわば収穫物です。
収穫したお金は大切に使おうという趣旨で、1952年(昭和27年)に日本銀行貯蓄増強中央委員会(現・金融広報中央委員会)が神嘗祭の中で内宮の奉幣儀(ほうへいのぎ)が行われる17日を「貯蓄の日」と定めたものです。
「神嘗祭(かんなめさい)」
伊勢神宮では10月15日から25日までは神嘗祭(かんなめさい)が行われています。
これは、その年に採れた新米を最初に神様に捧げて感謝する行事です。
外宮では10月15日宵と16日暁に、内宮では10月16日宵と17日暁に、新穀を由貴大御饌(ゆきおおみけ)としてお供えされますが、関連行事は25日まで続きます。
またこれに合わせて、宮中では神宮御遙拝の儀などが執り行われます。
神宮の行事の中でも最も重要な行事で「神宮の正月」とも言われているそうです。
(参考)
なお「貯蓄の日」に当たり、参考までに1世帯当たりの平均貯蓄額を調べました。
総務省統計局が発表した平成21年(2009年)の全国消費実態調査によれば、二人以上の世帯の1世帯当たりの全国平均貯蓄額は1520.8万円となっています。
更に、1世帯当たりの平均貯蓄額を都道府県別にみると、上位、下位の各5県は次のようになっています。
(上位5県)
1位.香川県 1972.5万円
2位.奈良県 1899.1万円
3位.神奈川県 1866.0万円
4位.愛知県 1820.4万円
5位.徳島県 1750.2万円
(下位5県)
47位.沖縄県 587.6万円
46位.青森県 974.2万円
45位.鹿児島県 994.5万円
44位.熊本県 1052.3万円
43位.宮崎県 1069.3万円
孫の日
これは大泉逸郎が歌う『孫』の歌詞です。
1. なんでこんなに 可愛いのかよ
孫という名の 宝もの
じいちゃんあんたに そっくりだよと
人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔
(女の子の場合の歌詞)
春になったら 飾ってあげる
桃の節句の ひなかざり
きりょう良い娘に 育っていつか
嫁に行く日が 来たその時は
祝い言葉を 祝い言葉を かけてやろ
この歌は、孫を思うおじいちゃんの慈愛に満ちた気持ちがよく表れていて、私の大好きな歌の一つです。
折しも、今日10月16日は「孫の日」です。
そこで今日は「孫の日」について調べました。
「孫の日」とは、日本百貨店協会が「おじいちゃん、おばあちゃんから孫にメッセージを伝える日」として提唱し、「敬老の日」から約1カ月後に設定された記念日です。
・長男の孫娘(3歳)です。
スタートしたのは1999年(平成11年)からで、毎年10月の第3日曜日を「孫の日」とし、日本記念日協会の登録認定も受けています。
最近では、「孫の日」は「高齢化社会の中で、祖父、祖母と孫のコミュニケーションを深めるという社会的な意義は大きい」とする評価を得ているそうです。
しかし、まだまだ認知度が低く、ある調査によると6~7割の人が「孫の日」の存在を知らないと回答しているそうです。
実を言うと、私も新聞の折り込み広告で知り、急遽、今日の記事を書いたものです。
・9歳になった二男の孫娘です。
日本百貨店協会が制定した記念日と言うことは、百貨店の売り上げを伸ばすという消費拡大の意図がミエミエですが、おじいちゃん、おばあちゃんにとって宝物の孫ですから、
今日の『孫の日』は孫とのコミュニケーションを深める日として、百貨店やスーパーなどの思惑通りプレゼントを渡し、孫と楽しんでは如何でしょうか?
大阪府南部の泉州地方は玉ねぎの産地として知られています。農家では栽培用の苗が大きく育っており、間もなく定植が始まります。
当地方には「泉州玉ねぎ」という銘柄があって、地元ではたくさん栽培されているようです。
私も過去この品種を栽培したことがありますが、比較的大きな玉ねぎが実る代わりに、耐病性に若干弱いように感じました。
このため、最近では耐病性に優れた別品種を栽培するようにしています。
今日は、私の玉ねぎの育苗についてご紹介します。
私は当初玉葱の苗を購入していましたが、年によって品薄になるなど安定的に苗が入手できない経験をしたことから、種を購入して苗を育てるようにしました。
当初は失敗しましたが、地元の人と話をするうちにその方法を学び、最近では失敗することなく育苗することが出来るようになりました。
・9月22日、早生品種を蒔いた後の状態です。
今年植えた品種は、「早生」「赤玉ねぎ」「晩生」の3品種です。
早生品種の種蒔きが若干遅れて9月22日になりましたが、他の2品種は「赤玉ねぎ」が9月27日に、そして「晩生」を9月29日にと、例年と同じ時期に蒔きました。
1週間から10日ほどで出芽し、その後は順調に育っています。
・10月7日時点の出芽状況です。
手前から早生、赤玉ねぎ、そして晩生の各品種で、赤玉ねぎと晩生は2~3㎝に伸びたところです。
種まきから10日余り経過すると、その後の生長は意外と速く、4日後の10月11日には10㎝ほどになっていました。
・10月11日の出芽状況です。この苗が今月末には20㎝くらいまでに生長し、11月初めには定植する予定です。
現時点では順調に生長しています。
しかし、苗の下をモグラが通り、土を盛り上げているので、枯れないかを心配しているところです。
今日は「鉄道の日」について調べました。
「鉄道の日」とは、明治5年(1872年)10月14日に日本初の鉄道が新橋(後の汐留)~横浜(現在の桜木町)間に開通した事を記念し、鉄道創業50周年に当たる1922年(大正11年)に「鉄道記念日」として鉄道省により制定された記念日です。
1949年(昭和24年)には日本国有鉄道の記念日となり、分割民営化後も引き続きJRグループの記念日として祝われていましたが、1994年(平成6年)に、運輸省がこのままではJRグループ色が強いということで『鉄道の日』と改称され、JRグループを始め全ての鉄道事業者が祝う記念日となりました。
この日は鉄道の発展を祝うとともに、鉄道が広く一般に愛され、その役割について関心が高まることを願う日としたもので、今年度で18回目を迎えます。
JR西日本ではこの「鉄道の日」を記念して、JR全線またはJR西日本管内の普通列車普通車自由席を自由に乗り降りできる「乗り放題きっぷ」を発売しているそうです。
「豆相人車鉄道」
なお、鉄道の日に因んで、熱海・小田原間を走った珍しい「豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう)」についてご紹介します。
「豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう)」は明治時代の鉄道資本家の雨宮啓次郎氏と地元の有志20余名の努力によって、明治29(1896年)年3月、熱海-小田原間25㎞全線が開通し、所要時間4時間ほどで走った鉄道です。
この人車鉄道は定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すと云う極めて原始的なものですが、明治40年(1907年)12月、軽便鉄道に代わるまでの12年間、貴重な交通として利用されたそうです。
この「豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう)」の熱海駅舎跡が現在の南明ホテルの場所だったそうで、ホテルの前には記念碑と説明板がありました。
・南明ホテルの玄関口に立てられている「豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう)」のレリーフです。(5月17日撮影)
(参考) 人車続行運転風景です。(人車鉄道の世界より)(写真は宮田憲誠氏所蔵)行運転風写真は宮田憲誠氏所蔵)
他者の不幸や苦痛などに同情した時や、他人に迷惑をかけて申し訳なく思う場合に使う言葉に「気の毒」があります。
今年は東日本大震災や台風12号、15号による被災地の皆さんに対して、日本人の殆どの人が「お気の毒」と言う言葉を使われたのではないでしょうか?
そこで今日はこの「気の毒」の語源について調べました。
「気の毒」
「気の毒」とは、“自分の心に毒となること”が元々の意味です。
広辞苑では「心の毒になることの意」として、「自分の心が苦痛や困惑を感じること」、「腹立たしい」、「困った」、「決まり悪く恥ずかしい」と説明しています。
室町時代末期の頃は、そうした使い方が一般的だったそうで、例えば、「財布を忘れて気の毒だった」と言ったとすれば、それは“自分が決まり悪い思いをした”という意味だそうです。
それがやがて、まるで自分の事のように心を痛めてしまう他人の苦痛や不幸を指しても「気の毒」というようになりました。
江戸時代後期になると、自分の気持ちとは関係なく、相手は今きっと「気の毒」なのだろうと察して相手を思いやる使い方、いわゆる「同情」という意味に変化してきました。
「気の薬」
この「気の毒」には「気の薬」と言う反対語があります。
「気の薬」は「心の保養になること」「おもしろいこと」を指す言葉で、「気の毒」の「毒」に対して「薬」の字を使用して作られた反対語です。
「気障(きざ)」
この「気の毒」と同じように、元々は自分の気持ちを指して言っていたものが他者へ向けた言葉となったものに「気障(きざ)」があります。
この言葉は「気障(きざわ)り」の略語で、元々は「(自分の)気にかかること、心配なこと」を指す言葉だったようです。
「気障(きざ)」という言葉は江戸の遊郭で生まれ、江戸時代後期に一般に流行しました。
特に遊郭では、色男ぶったり、気取ったり、嫉妬深い人の行動や言動が気に障ったようで、そうした人を「気障(きざ)」というようになり、そこから「服装や態度、言動が気取っていて不快なさま」という意味に広がりました。
現在よく使われている「キザな奴」と言う「キザ」の言葉は「気障(きざわ)り」から発展して生まれた言葉だったようですね。
石焼イモが美味しい季節となりましたね。
最近ではスーパーでも石焼イモを売っている店があり、傍を通ると美味しそうな香りが漂ってきます。
今日は、石焼き芋の起源とサツマイモの収穫についてご紹介します。
石焼き芋の起源」
日本への石焼き芋の伝来は16世紀末に中国から沖縄へと伝わり、それが九州・四国・本州へと広まっていったようです。
1719年に来日した朝鮮通信使の人の日記で、京都の日岡で焼き芋売りの露天商があったと書かれています。
その時は蒸し芋だったのですが、明治時代になる鉄の平釜で焼くようになり、これが石焼き芋の始まりと言われています。
今のように引き売りするようになったのは昭和のはじめのようです。
さて、今年の我が家のサツマイモ栽培は「鳴門金時」と「紅あずま」の2品種を20本ずつ植え付けましたが、新しく開墾した畝だったので草が次々と伸びてきて草取りに追われました。
・下の画像に見られるように芋づるが草の中に隠れるくらいに草が伸びています。
・イモ掘りはイモの蔓を鎌で切り取ることから始めます。そしてマルチをめくり、株元をスコップで掘り起こします。
・これが掘り起こした「鳴門金時」です。今年は多くて1株に3~5個、少ない株では1個しか付いていませんでした。
なお、一つのことに関連して多くのことが現れるさまを「芋づる式」と言いますが、これがその謂れの基になった芋づるです。
・これが今年収穫した「鳴門金時」です。
・こちらは「紅あずま」で、昨年と比べて収量が少ないように思います。
(参考)
サツマイモの語源はご存知のように薩摩に伝来したことからついた名前ですが、伝来ルートによって「唐イモ」とか「琉球イモ」などと称されています。
日本には、16世紀末にルソン(フィリピン)経由で中国福建省に伝わり、1597年に宮古島、1607年に琉球に伝わり、そして1614年頃薩摩に伝わったと言われています。
関東にまで広まったのは、青木昆陽が1735年に『蕃薯考(ばんしょこう)』を著し、救荒作物として普及に努めたことによります。