らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

十日戎の由来

2022-01-10 | 季節

江戸小話に七福神が相撲を取る「福遊び」があるそうです。
小話では、えびす様と大黒天が相撲を取り、がっぷり四つに組みんだ後、大黒天を土俵の外に投げます。
ところが行事は軍配を上げてくれません。
そこで、納得のいかないえびす様は行事に物言いをしたところ、「見事な投げだが、えびす殿の鯛(体)が先に落ちたもので」と言われたそうです。
えびす様は、いつも脇に鯛を抱えてニコニコ笑う福の神ですが、この小話ではその鯛(体)が「落ち」になっている小話でした。

「七福神」
ところで、七福神とは次の7人の神様を言います。
先ず、日本独自の神様である「恵比寿」、続いて「大黒天」「福禄寿」「毘沙門天」「布袋」「寿老人」そして「弁財天」の各神様の総称です。
七福神信仰では「七難即滅、七福即生」と教えている通り、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われているものです。
七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。
特に農民、漁民の信仰として成長し、現代でも生き続けています。

なお、「七難即滅 七副即生」とは、仁王経に説かれている経文で、「あまたの災難はたちまち消滅し、多くの福徳に転ずる」 という転禍為福の考えから七福神への信仰が生まれたということです。


「えべっさん」
恵比寿様と言えば、ふくよかでほがらかな表情が有名です。
関西では親しみを込めて「えべっさん」と呼ばれています。
「えべっさん」は人々に幸せをもたらす七福神のひとりで、商売繁盛や五穀豊穣、大漁祈願などのご利益があります。

「十日戎の由来」
十日戎の由来については、恵比寿様が生まれたのが1月10日だったため、そのお祝いをして始まったという話や、徳川家康によって滅ぼされた豊臣秀吉を信仰していた人々が、秀吉の御神像の代わりに恵比寿様をお祀りするようになったのが十日戎の始まりという話など諸説あります。

・今宮戎神社です(2017年3月撮影)


「福笹」
十日戎では「商売繁盛で笹持ってこい!」という掛け声が聞かれます。
その「笹」とは福笹のことで、商売繁盛の縁起物です。
笹の元は竹ですが、竹は冬の寒い時期でも青々としてまっすぐに伸びていることから、商売での苦難や逆境にも耐えるとされています。

しかし、この掛け声の「笹持ってこい!」という言い方、少し変ではありませんか?
お参りした人たちは福笹を買って帰るのに、何故「笹持って来い」という掛け声なのでしょうか?
これは、昔は自分でとってきた笹に吉兆と呼ばれる縁起物をつけていたからと言われています。
つまり、掛け声には「笹を持ってきたら吉兆をつけて、商売繁盛をさせてあげるよ」という意味があるということのようです。

「吉兆とは」
なお、十日戎の福笹に付ける「吉兆」は、神社では古くから「小宝」といい、アワビ熨斗、銭叺(ぜにかます)、銭袋、末広、小判、丁銀、大福帳、烏帽子(えぼし)、臼、打ち出の小槌、米俵、鯛などを一纏めにしたもので、「野の幸」「山の幸」「海の幸」を象徴しています。

「熊手」
熊手は本来、農作業をする時や掃除の時に物を集めるために使う物です。
その様子から、金や福を招きいれると捉えられるようになり、縁起物になりました。

十日戎で買ってきた福笹や熊手は、お札と同じ扱いとなるので神棚がある場合は神棚に飾るのが正しい飾り方になります。
神棚がない場合は、家の中で最も清潔な場所で、大人の目線よりも高いところに飾るのがよいと言われています。


お供えの由来

2022-01-08 | 季節


神社やお寺でお馴染みのさい銭箱。
現在では神様にお願いごとをするときに捧げるものとしては賽銭が最もポピュラーですが、金銭を奉納するようになったのは、貨幣経済が発達してからのことです。
元々は穀物や酒、布、武具などをのうのうしたのが始まりだと言われています。
季節ごとの行事や祭りでは神様に様々な食べ物を供えています。
米。、野菜、くだもの、魚介類、菓子、酒など様々です。
こうした食べ物の中で最も重要視されているのが米です。
米は神様と関りのある行事の際には姿形を変えて登場し、大切な役割をはたしています。
例えば、正月に飾る鏡餅、祭りや戦前結婚式で使われるお神酒、彼岸の時に作るおはぎなど、いずれも米を原料とした食品です。
しかも弁当の定番になっているおむすびは本は神様に供えるための食べ物だったそうです。
古代の人々は米を紙から授けられた穀物だと見做していました。
それゆえ、大きなパワーを秘めた神聖な食べ物として扱ったそうです。
特にその年最初に収穫した稲には強い力が宿ると考え、最も大切な供物とされました。
ところで神様に供えた食べ物は行事が終わった後で人間が頂きますが、これを直会(なおらい)と呼びます。
祭の後の直会と言えばまるで打ち上げのように思われるかも知れませんが、これも神事の一部なのだそうです。
神様が召し上がった食事には神様の力が宿ると信じられていました。

直会にはその神のエネルギーを身体に取り込むという意味があります。
供物は神と人とをつななぐような存在と言えます。
おむすびも餅も今では日常生活に馴染んでいますが実はありがたい食べ物だったのです。



























七草粥の由来

2022-01-08 | 季節

令和4年が明けて早くも1週間が経ちました。
昨日は七日正月とも言われている、五節句の一番目の「人日(じんじつ)」の節句でした。

「五節句」
節句の「節」は、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。
暦の中で奇数の重なる日を取り出して、奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための邪気を祓う行事が行われたことが五節句の始まりです。
そして、五節句とは1月1日の元日(後に1月7日の人日)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)をさし、この日はすべて奇数の同じ数字が重なっています。
なお、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の「人日」を五節句の中に取り入れています。

「人日の節句」
「人日」とは、文字通り「人の日」という意味で、古代中国から伝わりました。
古代中国では正月の1日を「鶏の日」、2日を「狗(犬)の日」、3日を「猪(豚)の日」、4日を「羊の日」、5日を「牛の日」、6日を「馬の日」とする慣わしがあり、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていました。
そして7日は「人の日(人日)」とする慣わしにより人を尊重する日として定められ、犯罪者の刑罰は行わないようにしたそうです。
「人の日」には、中国では七種菜羹(ななしゅさいのかん=七種類の野菜のあつもの)を食し、無病息災を祈る習慣がありました。



「七草粥」
この中国の習慣が奈良時代の日本に伝わりました。
日本では古来、冬に不足しがちな栄養をとる為、年初に若菜を摘んで食べて生命力をいただく「若菜摘み」、7種類の穀物でお粥を作る「七種粥」の風習がありました。
これは、旬の生き生きした生命再生の象徴である若菜の「七草」を粥にして食べれば、自然界から新たな生命力をもらい、1年を無病息災で過ごせ、長寿を得られると信じられていたのです。
この風習と中国の「人の日」の習慣が結びつき、「人日」に七草粥を食べると言う現在の形になったと言われています。

なお、七草は元来、7種類とは限らず数はまちまちでしたが、現代では「せり」「なずな」「ごぎょう」「はこべら」「ほとけのざ」「すずな」「すずしろ」が春の七草とされています。

 


禊の由来

2022-01-06 | 雑学

今年も元日に地元の神社に初詣に行ってきました。
鳥居をくぐると手水舎があるのですが、今年はコロナ対策から柄杓が撤去されていて、ホースから水が出るようになっていました。
皆様が詣でられた神社は如何だったでしょうか?

ところで、この手水ですが、両手を清め、口をすすぐことにより、心(魂)も洗い清めるという意味があるのはご存じの通りです。
そして、その由来は「古事記」に登場するイザナキノミコトのエピソードからと言うことのようですが、ご存じでしょうか?
今日は「禊の由来」について調べました。

「禊」
禊(みそぎ)と言えば、スキャンダルを起こした政治家が選挙で再選した時など「禊が済んだ」と言っているのをニュースでよく聞きます。
しかし、本来、「禊」とは川や海に浸かって身体を洗い清めることなのです。
この行為によって、心身の罪や穢れを洗い流すのが禊なのです。

・手水舎の手水と柄杓です。


「禊の由来」
その由来は「古事記」に登場するイザナキノミコトのエピソードからと言われています。
その物語は次のように伝えられています。

「エピソード」
妻のイザナミを亡くしたイザナキノミコトは黄泉の国まで彼女を連れ戻しに行きました。
妻は黄泉の国の神と相談するので、その間は決して自分の姿を見てはいけないと夫に告げたのです。
しかし、イザナキノミコトは約束を破って、妻のイザナミを見たのです。
何と!
そこにいたのは体中にウジが湧き、雷神まで取り付いているという恐ろしい姿をした妻だったのでした。
驚いた彼は慌てて黄泉の国を逃げ出しました。
怒りに燃えて追いかけてくる妻を何とか振り切って地上に戻ったものの、死の国を訪れたことでイザナキノミコトは穢れてしまいました。
そこで、着ていた衣服をすべて脱ぎ捨てて、川に入って身を清めたのです。
これが「禊」の由来なのです。

「三神誕生」
この禊を行った際に多くの神が生まれているのですが、最後に生まれたのが有名な三神です。
左目を洗うと天照大神が、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が、そして鼻からはスサノオノミコトが生まれました。

・神主が振る御幣です。


「禊とお祓いとの違い」
ところで、穢れを清める行為には「祓え」もあります。
所謂「お祓い」です。
「禊」と「祓え」は混同されることも多いのですが、本来は別物です。
「祓い」は水を必要としない代わりに、人形や護符を使い、これらに穢れを移すことで心身を清めます。
また、「お祓い」をするときに神主が御幣を振るのも、御幣に穢れを移す意味合いがあるようです。

現在では、全身を水に浸けて「禊」を行うことはあまりありませんが、普段の生活に「禊」の名残りがあります。
その一つが、神社で参拝する前に手や口をすすいだり、葬儀から帰ってきたときに塩を撒くなどです。
このような行為は、「禊」の簡易版とも言われています。


ダウンジャケットのルーツ

2022-01-04 | 雑学

明けましておめでとうございます。
正月三が日も過ぎて、今日からブログを再開しますので、よろしくお願いいたします。

今年は新年から冷え込んで、寒いお正月となりました。
しかし、初冬が平年より暖かかったことから、漸く本来の寒さとなってきたと感じられる大阪南部の泉州地方です。
この寒さから、街ゆく人は今では冬の定番服装となったダウンジャケットを着ている人を多く見かけるようになりました。
そこで、今日はダウンジャケットのルーツについて調べてみました。

「ダウンジャケットのルーツ」
冬の防寒具として重宝されているダウンジャケットですが、そのルーツは20世紀前半、エベレスト登山に参加したオーストリア人の科学者ジョージ・フィンチが考案したものだそうです。
1922年、英国隊の一員だったフィンチは軍服メーカーに発注した水鳥の羽毛を詰めた布製コートで頂上を目指しました。
当時、防寒着はツイードなどの毛織物が常識だったことから、モコモコとした風体に仲間の失笑を買ったようですが、登るにつれ防風、防寒に威力を発揮したそうです。
フィンチの手記には「誰もが羨ましがる」「もはや笑われていない」と書き残していたということです。
これがダウンジャケットの始まりと言われています。



ダウンジャケットが製品として発売されるのは1930年代で、米国でアウトドア店を営むエディー・バウアーが発売したのが最初です。
彼は真冬の魚釣りで低体温症になりかけた経験から、羽毛を入れてキルティング加工することを思いついたもので、重くかさばる従来の冬物上着の常識を覆す商品として特許を取りました。

第2次世界大戦では、米軍が爆撃機の乗員用フライトジャケットに採用したそうです。
街着として世界に普及したのは1970年代のことです。

「日本でのダウンジャケット」
日本でダウンジャケットが一般的になったのは1990年代のようですが、その始まりは、1970年代に『ヘビーデューティー』というコンセプトが紹介されたころと言われています。
『ヘビーデューティー』とは、1970年代後半、街中で主にアウトドア向けのファッションアイテムが流行したのですが、その着られた様を「ヘビーデューティー」と言うようです。

当時、サーフィンやスキーそしてジョギング、キャンプや登山など自然を相手にするスポーツやライフスタイルが流行し、そうしたシーンで使われる機能性の高いウェアやアイテムを普段の生活にも取り入れる傾向が強くなっていました。
その一つがダウンジャケットやダウンベストなどですが、モコモコとしたシルエットを街で着ていると奇異な目で見られたと言います。

しかし、その後、国産品が作られるようになると共に外国製品も手頃な価格になったこともあって、1990年代のアメリカンカジュアルスタイル(アメカジ)ブームに乗じて本格的に浸透していきました。

現在ではダウンジャケットは防寒衣料だけでなくファッションアイテムとして認識されるようになってきたということです。


あけましておめでとうございます

2022-01-01 | 季節

               
                                                       旧年中はご訪問いただきありがとうございました。
                                                       本年もよろしくお願い申し上げます。

                                                       誠に勝手ながら1月3日までブログの書き込みを休ませていただきます。