函館空港が新しくなりました。
以前は、建物全体が空色で、火曜サスペンス劇場なんかにも数回登場したり、何十年か前には発砲事件が起こって少し有名になった空港です。
今は、モダンでしゃれた雰囲気になり、建物内の照明も以前の蛍光灯の白々とした感じではなくなり、クリーム色のような黄色身を帯びて、柔らかい雰囲気に変わっています。
そんな空港で、両親としばしの別れ。
搭乗手続きを終え、土産屋や本屋で時間を潰した後、やがて時間が来て皆で搭乗口へ移動する。もの悲しい気持ちを心の中にしまって、へたに明るく振舞ったり、なにが大丈夫なのか、いや大丈夫ではない気持ちを隠して、「大丈夫、頑張るよ。」と元気よく言ってみたりしている自分がいる。別れの惜しいのは、私も両親も同じだ。この行かねばならない状況は、私の結婚を決めたときに覚悟をしていたはずなのだ。そうその覚悟を決めたのはくしくも、私と、そして両親も同じなのだ。
後ろを振り返るのが恐くて、心の動揺が無いかのように手荷物検査場で荷物を待つ。制服を着たスタッフに笑いかけられるでもなく無愛想に置かれた自分の荷物を受け取り、顔を上げてみたが、両親の姿は見えなかった。私は、別の人と間違えて、思わず手を振った。
移動したのだな、と咄嗟に思った。ガラス張りで、お互いが見えるようになっている場所へと。
待合所の方へ歩いていくと、サーヤがすでにガラス張りのところへ走っていた。そして、受話器を取って、両親と話している。
新しくなった空港。この搭乗待合所と先ほどまで一緒にいた見送る側の場所は、ガラス張りですべて見えるようになっている。所々に受話器が設置してあり、こちら側と向こう側とで顔を突き合わせながら話すことができるようになっているのだ。
サーヤと両親の話している所より少し手前にも、同じように顔をつき合わせて話す家族や、コンタクトを取るカップルが、心もとない気持ちを隠しながら互いの姿を必死に目に焼き付けている様が、私の心にズキンと突き刺さる。ズキンズキンという脈動のまま、自分の両親の前に立ったとき、思わず涙がこみ上げてきた。鼻の奥と目の奥がキュイーンとなって、思わず嗚咽が洩れそうになった。ま、まずい!と思って、少し顔を上げたり、角度を変えたり、両親の表情をなるべく見ないようにして、サーヤやエリーを見て気持ちを切り替えるのに必死だった。夫もいる、子どももいる、離れるのがつらいと思っている両親がいる、その前で泣くわけにはいかなかった。でも、今にも泣き出しそうに顔の表情が普段と違っている父が、そこにいるではないか。父が。あの強い父が。弱く、一回り小さくなったように見えた瞬間だった。父も母も、なるべく私を見ないようにしているのが分かった。見てしまうと、崩れているお互いの表情で、涙が出てしまうのが分かったからだ。いや、私の表情が、普段と違って寂しげだということが手に取るように分かってしまったからなのだ。
涙を流すぎりぎりのところで、お互いにさよならをした。普通なら、出立する側がその場から去る映像が目に浮かぶのだが、搭乗するところまでガラス張りで見えてしまうここでは、逆であった。送ってくれた両親の方から、その場を去り、下りのエスカレーターで手を振りながらの別れになった。昔の映画やドラマによく出た、成田空港の下りのエスカレーターで手を振って別れるシーンさながらの、見事なシチュエーションだった。
両親の姿が見えなくなった後、夫が言った。
「ここまで姿が見えると、余計に別れるのがつらくなるね。」
「そうだね。」と答えて、心の中で思う。とっても酷なところだな、と。
サーヤも言った。「ママ、サーヤ、とっても悲しくなってきちゃった・・・。」
その目は赤く、うるうると涙が溜まっていた。
ふむふむ、空港側に対しては、別れる側のことをもう少し考えてほしいと思ったが、このシチュエーションはいい映像が撮れるよ、と倉本聡あたりには吹き込みたくなる感じだった。
以前は、建物全体が空色で、火曜サスペンス劇場なんかにも数回登場したり、何十年か前には発砲事件が起こって少し有名になった空港です。
今は、モダンでしゃれた雰囲気になり、建物内の照明も以前の蛍光灯の白々とした感じではなくなり、クリーム色のような黄色身を帯びて、柔らかい雰囲気に変わっています。
そんな空港で、両親としばしの別れ。
搭乗手続きを終え、土産屋や本屋で時間を潰した後、やがて時間が来て皆で搭乗口へ移動する。もの悲しい気持ちを心の中にしまって、へたに明るく振舞ったり、なにが大丈夫なのか、いや大丈夫ではない気持ちを隠して、「大丈夫、頑張るよ。」と元気よく言ってみたりしている自分がいる。別れの惜しいのは、私も両親も同じだ。この行かねばならない状況は、私の結婚を決めたときに覚悟をしていたはずなのだ。そうその覚悟を決めたのはくしくも、私と、そして両親も同じなのだ。
後ろを振り返るのが恐くて、心の動揺が無いかのように手荷物検査場で荷物を待つ。制服を着たスタッフに笑いかけられるでもなく無愛想に置かれた自分の荷物を受け取り、顔を上げてみたが、両親の姿は見えなかった。私は、別の人と間違えて、思わず手を振った。
移動したのだな、と咄嗟に思った。ガラス張りで、お互いが見えるようになっている場所へと。
待合所の方へ歩いていくと、サーヤがすでにガラス張りのところへ走っていた。そして、受話器を取って、両親と話している。
新しくなった空港。この搭乗待合所と先ほどまで一緒にいた見送る側の場所は、ガラス張りですべて見えるようになっている。所々に受話器が設置してあり、こちら側と向こう側とで顔を突き合わせながら話すことができるようになっているのだ。
サーヤと両親の話している所より少し手前にも、同じように顔をつき合わせて話す家族や、コンタクトを取るカップルが、心もとない気持ちを隠しながら互いの姿を必死に目に焼き付けている様が、私の心にズキンと突き刺さる。ズキンズキンという脈動のまま、自分の両親の前に立ったとき、思わず涙がこみ上げてきた。鼻の奥と目の奥がキュイーンとなって、思わず嗚咽が洩れそうになった。ま、まずい!と思って、少し顔を上げたり、角度を変えたり、両親の表情をなるべく見ないようにして、サーヤやエリーを見て気持ちを切り替えるのに必死だった。夫もいる、子どももいる、離れるのがつらいと思っている両親がいる、その前で泣くわけにはいかなかった。でも、今にも泣き出しそうに顔の表情が普段と違っている父が、そこにいるではないか。父が。あの強い父が。弱く、一回り小さくなったように見えた瞬間だった。父も母も、なるべく私を見ないようにしているのが分かった。見てしまうと、崩れているお互いの表情で、涙が出てしまうのが分かったからだ。いや、私の表情が、普段と違って寂しげだということが手に取るように分かってしまったからなのだ。
涙を流すぎりぎりのところで、お互いにさよならをした。普通なら、出立する側がその場から去る映像が目に浮かぶのだが、搭乗するところまでガラス張りで見えてしまうここでは、逆であった。送ってくれた両親の方から、その場を去り、下りのエスカレーターで手を振りながらの別れになった。昔の映画やドラマによく出た、成田空港の下りのエスカレーターで手を振って別れるシーンさながらの、見事なシチュエーションだった。
両親の姿が見えなくなった後、夫が言った。
「ここまで姿が見えると、余計に別れるのがつらくなるね。」
「そうだね。」と答えて、心の中で思う。とっても酷なところだな、と。
サーヤも言った。「ママ、サーヤ、とっても悲しくなってきちゃった・・・。」
その目は赤く、うるうると涙が溜まっていた。
ふむふむ、空港側に対しては、別れる側のことをもう少し考えてほしいと思ったが、このシチュエーションはいい映像が撮れるよ、と倉本聡あたりには吹き込みたくなる感じだった。