6歳のくせに、大人顔負けのボキャブラリーを使いこなすサーヤ。
その生意気な言い方が、母親である私にそっくりなのを棚に上げ、
つい苛々してしまうサーヤの発言。
約7割にカチンときて、約3割にほのぼのしているような毎日。
他人の子どもなら、ゆとりを持って答えられるのに、なぜに我が子にはそんなふうにできないのだろう?不思議。
でも、そんな約3割の中の心温まる一言一言に、行き詰った時の母は、とても救われている。
昨日の夜。何に反応したのか分からないが、サーヤが突然言った言葉。
「ママ、知ってる?子どもはねぇ、子どものことを信じている大人が好きなんだよ。」
「へぇ、そうなん。子どものことを信じる?」と私。
「うん、そう。子どもの力を信じている人のことだよ。子どもってね、すごい力を持ってるんだよ。」
「そうだねぇ。ママもそう思うよ。」
そして、今日の夕方、私はその言葉を突然思い出し、聞いてみた。
「昨日言ってた、子どもを信じてる大人って、サーヤにとっては誰のことなん?」
すると、サーヤはたくさんの人たちの名前を挙げた。
「パパでしょ、ママでしょ、北海道のじじとばばにぃ、奈良のじじとばばでしょ・・・」から始まり、自分のおじ・おばの名前を言い、てとてとのスタッフの名前もずらりと並んだ。
なんだか、とっても嬉しくなって、
「サーヤもママも、たくさんの人たちに囲まれて幸せだね。」って答えた。
ほんとうに、とっても嬉しかった。
その後、こうも言い出した。
「サーヤねぇ、目に見えないものが見えるんだ。」
「へ!!???」一瞬、幽霊が見えると言い出すのかと思った。が、違った。
「いじわるな心とか、優しい心とかが見えるの。ほら、今そこに(テレビの上の天井の方を指差して)、いじわるな心があった!これをとっつかまえて、外に投げるんだよ!ほれ!!」
サーヤは、少し目が赤く、涙ぐんでいるように見えた。気のせいかな。
私の不安定で悲しんでいる心をさしているのかもしれない。
ママ、早く元気になって、って願っているんだと思った。
胸がきゅんとなった。サーヤのいっぱいの優しさといたわりに、母は襟を正す。
その生意気な言い方が、母親である私にそっくりなのを棚に上げ、
つい苛々してしまうサーヤの発言。
約7割にカチンときて、約3割にほのぼのしているような毎日。
他人の子どもなら、ゆとりを持って答えられるのに、なぜに我が子にはそんなふうにできないのだろう?不思議。
でも、そんな約3割の中の心温まる一言一言に、行き詰った時の母は、とても救われている。
昨日の夜。何に反応したのか分からないが、サーヤが突然言った言葉。
「ママ、知ってる?子どもはねぇ、子どものことを信じている大人が好きなんだよ。」
「へぇ、そうなん。子どものことを信じる?」と私。
「うん、そう。子どもの力を信じている人のことだよ。子どもってね、すごい力を持ってるんだよ。」
「そうだねぇ。ママもそう思うよ。」
そして、今日の夕方、私はその言葉を突然思い出し、聞いてみた。
「昨日言ってた、子どもを信じてる大人って、サーヤにとっては誰のことなん?」
すると、サーヤはたくさんの人たちの名前を挙げた。
「パパでしょ、ママでしょ、北海道のじじとばばにぃ、奈良のじじとばばでしょ・・・」から始まり、自分のおじ・おばの名前を言い、てとてとのスタッフの名前もずらりと並んだ。
なんだか、とっても嬉しくなって、
「サーヤもママも、たくさんの人たちに囲まれて幸せだね。」って答えた。
ほんとうに、とっても嬉しかった。
その後、こうも言い出した。
「サーヤねぇ、目に見えないものが見えるんだ。」
「へ!!???」一瞬、幽霊が見えると言い出すのかと思った。が、違った。
「いじわるな心とか、優しい心とかが見えるの。ほら、今そこに(テレビの上の天井の方を指差して)、いじわるな心があった!これをとっつかまえて、外に投げるんだよ!ほれ!!」
サーヤは、少し目が赤く、涙ぐんでいるように見えた。気のせいかな。
私の不安定で悲しんでいる心をさしているのかもしれない。
ママ、早く元気になって、って願っているんだと思った。
胸がきゅんとなった。サーヤのいっぱいの優しさといたわりに、母は襟を正す。