ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

ハートセラピー

2011年06月03日 | これも自分あれも自分
八戸市の子育て家庭へ向けて情報発信している、

「パパママふぁいと」さん

いろんなイベントの告知があったり、

情報があったりして、

時々参考にしています。


そのサイトで、子育てに関するブログ「ハートセラピー」を開設させていただいています。

こちらと合わせて 遊びに来てください。

「パパママふぁいと」子育てブログ

相手の思いを図る

2011年06月03日 | これも自分あれも自分
「突然、愛妻家になられても、こちらは戸惑うだけです。」

思わず、こう口走っていました。


相手の思いを図る

相手の思いを図りあうことが、必要だと思っていますが、

私はまだ相手のすべてを受け止める余裕はありませんでした


(該当する方には、たいへん失礼に感じる会話が以下にかかれますが、
悪意・他意はありませんので、ご了承ください。)

「12年間、髪の毛がふさふさしていた相手が、

突然“かつら”だったんだと言って、かつらを脱いで生活されたら、

慣れるまでに時間がかかるでしょう?

思わず、頭を見てしまうでしょう?

そんな感じだよ。」


髪の毛がないことが問題なのではないのです。


かつらなんじゃないか?とは、薄々気づいていても、

それを気づかぬふりをして12年間一緒に暮らしてきたのです。

でも、それでよかったし、それが居心地がよくなっていた、

幸せで、安心の暮らしの中にいたときでした。


家族というものの大切さを再確認した、震災。

家族というものを、見直さないといけないなぁ、とふと感じた震災後。


その大事な大事な時のこと

突然に、環境は一変したのでした。


風景が変わりました。

空気が変わりました。

今までの、居心地のいい自由さで、適度に不自由で、

適度な距離感の安心だった家の中が、がらっと変わってしまいました。


「かつら、取らないでほしかったな。 今は・・。」


その想いが、正直なところです。


今、カミングアウト、しないでほしかったな。。。

大事な大事な局面だったのです。震災起こってから、いろんなものが動いて、地盤がずれて、目に見えるものがことごとくさらっていかれたのです。

そんな大きな事件の時に

こんなたくさんの命が一瞬にして奪われた時に

かつらの有り、無しを宣言されても、

それがどんなに空しく写ることか・・・。


命があっただけで、感謝

震災を体験させていただいたことで、気がつくことがたくさんあったことに感謝

家族に感謝


そんな感謝で溢れる中で

あなたは、かつらだったのね・・・と思うと

その残念な思いを告げても

時にやわらかく、時に厳しく言葉で説明しても

わかってはもらえていません


私も、頑なではあります

相手が、かつらを脱いで、これで生きていくと宣言しているのですから、

私も、それを受け止める度量があってしかるべきだと思っています


「相手の思いを図る」ことを

自分自身がしていかないといけないことだと思っています


でも

その思いを図るまでには

時間が必要です

なぜか?
長年、気がついてはいても、そっとしてきた部分です

それが、心地よかった距離感だったのです

震災という大きな事の直後であったというタイミングにも

私が受け止める度量が狭くなっている理由の一つでもあるように思えます



環境が変わり、適応していくには

時間がかかるということです



家族のありがたみを 感じる毎日の中で

自分自身の中にある 凝っている部分をほぐしながら

自然とまた

自然にまた

過ごせる環境になっていくことを 祈っています





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