ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

意識と直観

2011年06月21日 | これも自分あれも自分
直感は、瞬間的に感じ取ることがらのこと

直観は、直接に本質を見抜くことがらのことです


私たちには、意識があります。

顕在意識と潜在意識があります。

その意識から来る言葉は、実は

自分のできていないところへの指摘だったり、

小言だったり、非難だったりして、

不安やストレスをもたらすものです。


でも、直観は違います。

私たちのことを励まし、応援し、背中を押してくれる助言者です。

私たちの考えをよい方向へと導いてくれる、魂の声です。


ふと、声が聞こえてくるとき、

ふと、アドバイスをいただいたとき、

これはどちらの声なのか、自分自身に聞いてみるといいかもしれません。

そして、できることなら、

プラスの方へ導く声の方に注目して、

前を向いて歩いていける人になりたいな、と思いました。



仕事 と 家庭 と 子育て と

2011年06月20日 | 子ども
私の場合、仕事をしていると、家のことはなんとなく後回し

子育ても、惰性でしている感じがしてくる時があります。

パート勤務ではありますが、

勤務以外の日や時間は、何かしら用事があって、

自分の時間や、家のことをする時間はありません。


子どもたちとの時間を割いてまで、

あっちの会議、こっちの会議と出席しています。


これでいいのかなぁ?

疑問に思います。

きちんと子どもが育っているのだろうか・・・

家が片付いてなくて、大丈夫なんだろうか・・・

私は、何を一番大切に思いながら、生きているんだろうか・・・

私のしていることは、単なるエゴなのではないだろうか・・・


一瞬、不安になります。

今のままでいいのか?

改善すべきことは改善していくべきなんじゃないだろうか?

では、その余裕はあるのだろうか?

かといって、悩んでいるだけでは、何も変わらないし・・・


ぐるぐるぐると 頭の中は 

今の自分の反省ばかり

今の自分のできていないところを見つめてばかり


そんな毎日で、果たしてよいのでしょうか?

家庭、仕事、子どもたち、夫婦関係

自分のできていないところに焦点を当てて、

眉間にしわを寄せて、

悩んでもできない自分にイライラして、

そのイライラは、結局家族に向けられて、

それで、果たしていいのでしょうか?


自分が、自分自身のマイナスな部分に焦点を当てていると、

その自分は、他の人のマイナスな部分を見つめることに繋がりがちです。

それでは、お互いによくないと思いませんか?


私は、自分が落ち込んだ時、

自分が自分のマイナスに焦点を当てている時、

子ども達のできていないところや、

もっとこうしてほしという願望を押し付けてしまいます。

イライラした声と、表情で、命令口調になってしまいます。


いやですねぇ・・・

イライラの原因は、子どもたちでしょうか?

いいえ、自分自身です。


ならば、イライラの根本を解消しなければいけません。

どのように??


それは、

物事の捉え方、考え方を変えることです。

マイナスな考え方が、すべて悪いというのではありません。

マイナスに考えるからこそ、人は向上するし、人の気持ちが分かるし、

互いを思いやり、共感できるという素晴らしいことを

生み出します。


ただ、毎日がマイナスな捉え方、考え方に基づいて生活していると、

自然と物事はマイナスの方向へと働き、

自分が望んでいないのに、

望んでいない方がやってくるようになります。


では、どのように変えるかというと、こうです。


「自分は今、とても頑張っています。

人が認めなくても、自分が認めてあげます。

よくやっていると思います。

頑張る自分のことを、誇りに思います。

そして、そんな自分を支えてくれるみんなに、感謝します。

ありがとう。」


このとき、謙遜は不要です。

そんなに、頑張ってないもの・・・。

それは、自己の否定です。

あなたは、頑張ってないわけがないんです。

生きているんですから。今現在。


そして、その頑張りを認めてあげるんです。

そのあとに、生かされていることへの感謝を伝えるのです。

自分の細胞一つ一つに。です。


自分を認める行為と、感謝の気持ちを持つこと。

そうするだけで、

できていないと思っていた自分が、なんだか誇りに思えるようになり、

他の人や、子どもたちのことも、

できなくて当然、今からできるようになるのだからと、

肯定的に、また余裕ある目で、見つめることができるようになるものです。


心が健康でないと、なかなか難しいですが。

私も、近頃、再開しました。

自分をきちんと見つめる作業を。


人のせいに しない

2011年06月19日 | これも自分あれも自分
感情

本能

知性

理性

これらが、ま~るく整っていると、

想念が生まれ、

バランスの取れた行動ができると習いました。


感情的になってはいまいか?

知性や理性にだけ、偏ってはいまいか?


日々、心を丸く持てたら、きっと嫌なことはないのかもしれません。

いえ、言い方に語弊がありますね。

嫌なことも、嫌だとは思わなくなるかもしれません。というほうが、

正しい言い方かもしれません。


私は、まだまだ未熟者ゆえ、

人のせいにして、自分を正当化しようとしてしまいがちです。

そして、何かにつけ、嫌な思いをする時は特に、

人のせいにばかりしてしまう自分に気がつきます。


気がつかせていただいた、「波動塾」。

とても、有意義な時間を過ごしました。

3時間、4時間の講義は、ほんとうにあっという間で、

こんな退屈のしない講義・講座・勉強会は、

他にはないであろうと、思います。

そうです。眠くならないのです。

なぜなんでしょう?

きっと、魂が喜んでいる内容だから、なのかもしれません。

もしかしたら、細胞の一つ一つが、

「そうそう、聞いておいてください!」と懇願しているからかもしれません。


波動は、エネルギーです。

この世にある、あらゆるものから出ているエネルギー。

そして、そこにはちゃんと意識があるということと、

だからこそ、すべてに感謝をしながら生きていくということ、

愛を持って、接するということ、

人のせいにしないということ、

心を真ん中に置くということ、

そんな、生きていくうえで、とても重要で、

そして、とてもシンプルなことを教えてくれる場所です。


波動塾生の方々も、那須からいらして、

その方々のあったかくて、安心できて、

包み込むようなエネルギーを背中に感じながら、

授業を受けさせていただきました。


授業を受けた10数名の八戸、八戸近郊のみんなも、

顔が、表情が、

みるみるうちに明るくなり、すっきりしていくのが分かりました。

その場にいるだけで、浄化作用が働いているのですね。

素直に学ぼうという姿勢が、

悪いものを去らせることにもなるといいます。


私も、すっかり、嫌な考え方を手放して、

スッキリしています。

今日から、また、素直で、従順で、

きっと愛すべき人間の一人に戻っているはずです。

どうぞ、みなさん、よろしくお願いします、ね。


私は、こうして、たくさんの方々にお会いできたことに、

感謝しています。

私を、応援してくれ、支えてくれ、

諦めずに友人でいてくれるみんなに、感謝しています。

命を粗末にしなくて、よかったと、

心から思います。ありがとう。。。

相手の読んだものが、夢に!

2011年06月18日 | 子ども
ある夜のことです。

長女と、お互いのエネルギーを流し合いました。

「ママのエネルギーは、まだぶわって全体に広がる感じだね。

そらさんのエネルギーは、ピンポイントにびびびびびって届くよ。

まだまだ、って感じだね。」と、ご指摘がありました(笑)


そして、二人は眠りにつきました。


朝、目が覚めると、

私の夢が、とても不思議な夢だったので、

子どもたちに話しました。

「大きなカラスのような黒い鳥が出てきたの。

翼が大きくて、かっこいいんだよ。

でね、その黒い鳥が、ゲジゲジみたいな空飛ぶ虫みたいなのと、

戦っていてねぇ。。。

そのゲジゲジさ、風の谷のナウシカに出てくるやつよりも、

体の節が少なくて、4節くらいの形なんだよ。(おもちゃの木琴みたいな感じ)

食べているのか?つついているように見えるし、

足とかで蹴っているような感じも見えるし、

なんかね、戦っているように見えるんだよ。

ママは、それを一緒に空の上から見ているの。


大きくて、とんがった岩場を抜けたり、

海の上を飛んだりしながら、戦っててさ。


でね、

戦いが終わった黒い鳥たちが、湖の浅瀬みたいなところに帰ってくるの。

大きな翼をブワッと広げたかと思うと、

さーっと閉じる感じが、すんごくかっこよくてさ。

でも、翼がボロボロになって帰ってくる鳥もいてさ。

そんな夢を見たんだよ。」


この話をしている間、長女は、目を見開いていました。

何か言いたそうです。


「ママ! その場面、私が昨日の夜、寝る前に読んだ本、そのものだよ!」

と言うではありませんか。


黒い鳥は、式神といって、形を自由に変えられるんだよ。

そのときは、黒い鳥になってたんだ。

と・・・。


本のタイトル「少年陰陽師 いにしえの魂を呼び覚ませ」だとか。


こういうことも、あるものですねぇ。

もしかしたら、私が見ている現代ではないような、

御伽噺のような夢のときは、娘の読んでいる本の影響かもしれない・・・と思ったのでありました。











波長の合う 合わない

2011年06月17日 | これも自分あれも自分
私たち人間は、60億人という数まで増えていますよね。

日本人だけでも、1億2800万人強も、この狭い国土の中に、

うじゃうじゃしています。


小さな箱の中に入れられた分子たちは、

互いにぶつかり合いながら、

自分の落ち着く居場所を探し求めることは、必至のことかもしれません。

小さな箱に収まりきれず、箱から飛び出す分子がいても、

おかしくありません。

ぶつかり合う衝撃に耐えて我慢してきたために、

自分自身を見失う分子がいても、

それはとても正常な反応かもしれません。


小さな国土の中にいながら、

その中でもまたさらに小さな地域、集団、家族の中にいます。

そんな風に考えると、窮屈になってきますね。

誰か、ここから出してほしい!って思いますよね。

エネルギーが高いと、ぶつかる時の衝撃が強く感じるかもしれません。

自分の居場所の確保だけに囚われてしまうと、

余計に自分も、そして周りも傷つけてしまう結果になってしまうかもしれませんね。


これだけの人がいたら、

波長が合う人、合わない人がいて当然です。

合わせようと、無理に自分を押し殺して接したり、

逆に思いっきり関わらないと思ったり、

どちらの接し方を選択するにしても、

心は疲労してしまいます。

相手の波長を、思い切り受けてしまうからです。


では、どうしたら、その人の波長を受けずに過ごせるのかというと、

相手と、自分とを、まったく切り離して考えて、

普通に接することです。


あの人と合わない・・・と思っている間は、

あなたは、その相手と同調しています。

同じ波長ではないのに、相手の波長に入ってしまうために、

自分の波長が乱れ、

ぐわんぐわんと、不協和音を奏でます。

あなたは、その不協和音に不快感を覚えるのです。


ならば、

相手と自分とを切り離すことです。

線を引くということです。

線を引いて、お付き合いをしない、のではなく。

線を引いて、普通に挨拶を交わし、会話をするのです。

そうすることで、自分のエネルギーを下手に消耗せずに済みます。

疲れません。


相手と自分とを切り離すことを意識して、

接してみてください。

相手の心がわかるように、なるかもしれませんよ?

そうなれば、相手の心の奥に寄り添える言葉が、

自然と出てくるかもしれません。



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