名古屋するめクラブ

~名古屋発くうみるあそぶ~

ミュージックポートレイト/熊川哲也×市川亀治郎@NHK

2011年11月05日 22時39分39秒 | 観る(映画・TV)

貯め撮り消化中。

2人のクリエイターが人生で大切な10曲を持ち寄り、

それぞれの音楽がお互いの人生にどんな影響を与えたのかを語り合う、

Eテレ「ミュージック・ポートレイト」。

「あなたの人生で大切な曲を10曲選んでください」

シンプルなようだけど、その人の人となりと生きざまみたいなのがもろ出てきます。


熊川哲也さん&市川亀治郎の号。

お2人の選曲とエピソードは以下の通り。


熊川哲也選曲。

1曲目<初めての踊り>「パブロヴァのガヴォット」 ヨーゼフ・リンケ

熊川「当時の10歳の少年は、すごい緊張してた。というか、踊りじゃないから、この時は。もう歩くだけ。音に合わせて歩くっていうのが、その年齢の課題。…30年ぶりに聞きましたよ」

2曲目<少年時代の思い出>「北の国から 遥かなる大地より~蛍のテーマ」 さだまさし

「うちの親戚も全部富良野で、今農家をやってるんだけども。もうことあるごとに僕は休みとなれば、すぐ富良野に行って野山を駆け巡り、山の中に入り、クワガタを採ったりとか、畑仕事をしたりとかっていう。『北の国から』に出演してた吉岡(秀隆)君=純ですよね。彼は僕と同世代なので、ドラマの中でも、やってることが全く同じだった」

3曲目<広がる世界>「ドン・キホーテ」 ミンクス

熊川「(イギリスでローザンヌ国際バレエ・コンクールに参加)僕は北海道の田舎から先鋭たちを毎年テレビで見てた。何十ヶ国から出て来る若手は、どんなのが出て来るか分んないんで…。(金賞受賞後も)それから僕にとって、この『ドン・キホーテ』っていう曲は、ずっと節目節目で踊ってきた作品なんですよ。十八番っていうか、僕の形容詞になり得る作品ですね」

4曲目<夢にむかって>「イエスタデイ」 ザ・ビートルズ

熊川「(英国ロイヤルバレエ団に入団)もう一心不乱に踊っていたから、向こうでは。英国社会に身を投じていたというあんまり気はしないね。バレエ社会にはいたけど、英国というロンドンの地の中においては、意外と日本人っぽい生活はしていたかな。それこそアボカドを切って、しょうゆをかけて「トロ」って言って食べてたりと」

5曲目<独り立ち>「ラ・バヤデール」 ミンクス

熊川「実際にその『バヤデルカ』の主役というのを僕、踊らせてもらったんですよ。バレエ団のダンサーが誰も、みんな怪我をしちゃって踊れなくて、急遽僕は4日間で、その3時間半の舞台を踊ってくれと言われて。舞台前にその芸術監督が『舞台前に君に挨拶に行けないかもしれないんだよ、テツヤ。なぜならば、エリザベス女王とマーガレット王女が、今日シスターズナイトアウトでこの公演を見に来るから』って」  

6曲目<未知なる世界へ>「キラー・クイーン」 クイーン

熊川「日本に戻ってきて、バレエカンパニーを立ち上げて、「戦うぞ」みたいな状況になった時に、果してクラシックを聴いて、勝てるのかな」って何か思ったっていうか。で、日本に帰ってきて、クィーンを聞いた時に、やたらと元気になった。壊せない岩も壊せるんじゃないかっていうぐらいの勇気をもらった」

7曲目<未知なる世界へ>「白鳥の湖」 チャイコフスキー

熊川「実際『白鳥の湖』ってのを、チャイコフスキーが作曲してくれなかったら、やっぱり世界的にバレエという認知ってのは、少し遅れたんじゃないかなって思うぐらい完成度が高い。だから、『白鳥の湖』ってのは、バレエダンサーにとっては、母親であると。常に教えてくれる存在。だから何回踊っても、何年踊っていても、常に生徒でいられる作品だと僕は思う。ていうのは、うちのダンサーに言いながら、よくリハーサルはしているんだけど」

 8曲目<癒しの時間>「マガマラバーレス」 マリーザ・モンチ

熊川「僕24の時に、初めて一人でブラジルのリオデジャネイロのムニシパル劇場って所からお声がかかって、踊らさせてもらった時に、そこのバレエ団の人達がすごく、ブラジリアンってすごく陽気で。フレンドリーで。町全体で僕を祝福してくれんじゃないかっていうくらいの、本当に明るい陽気な雰囲気があって、で、その時にバレエ団の子が、一緒に踊ったパートナーの子が「サマンソースペシャル」っていうメッセージを書いてこのCDをくれた」

9曲目<今の自画像>「パッサカリアとフーガ ハ短調」 J.S.バッハ

熊川「我々みたいに、芸術を追及するものにとって、必ず才能が枯れる日が来ると思って生きていけと。絶対いつか枯れるんだっていうような、そういう恐怖心が、そこに(作者の)ジャン・コクトーもあったのかななんて、僕は思ったのね。僕も一分一秒無駄にしちゃいけないと思って、舞台前は必ずこの曲を聞いて舞台に上がるようにしている」

10曲目<人生の最後に聴きたい歌>「交響曲第9番ニ短調作品125合唱つき」 ベートーベン

熊川「僕は10歳の時からバレエしかやってなくてね、35までずーっとバレエを踊ってきたんだけど、舞台上で大きなけがをして、今までずっと踊ってたのに、まったく踊れない自分がいた。…ある劇場のこけら落としで、ベートーベンの第九を振り付けしたら、そこでものすごい救われたというか、やっぱりバレエに携わる事を、先人がまた助けてくれたんだな。前を向いて喜びながら生きてくって事は、すごく大事な事なんだなって。最後死ぬ時でも終わりではなく、前を向いて倒れたいなっていうところで、ベートーベンの第九」 


市川亀治郎選曲。

1曲目<初めての踊り>「宵は待ち」 長唄

亀治郎「手ほどきの曲っていうのは決まってるんですよ。曲が短くて、子どもでもシンプルで、しかも女の振りが付いてるっていう。必ず女からやるっていう。どんな今立ち役で、男専門の人も必ず、子どもの頃は女をやる。数えで6歳の6月6日からやると、ものごとが上達するって昔から言ったものだ」

2曲目<少年時代の思い出>「少女A」 中森 明菜

亀治郎「歌舞伎座の向かいに、その当時レコード店ですよね。そこで初めて買ったカセットテープが中森明菜だったんですよ。ちょっと不良っぽかったじゃないですか、中森明菜って。テレビ見て、その当時は歌詞なんか調べられないじゃないですか。だからテレビのスピーカーに向かって書いてました」

3曲目<広がる世界>「終曲-天翔る白鳥-」 スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」より

亀治郎「これをみた時の衝撃! 見たこともない歌舞伎だったんで。(拒否反応よりも)ああなりたいっていう。全部、現代語使って。衣装はイッセイ・ミヤケで。しかも、歌舞伎って生音ですけど、初めて録音でやったから、音に合わせて動くっていうことが慣れてないから」

4曲目<夢にむかって>「MELODY」 福山 雅治

亀治郎「福山さんがラジオ放送でイケイケのときですよ、もう。すごくそれにはまって、一リスナーだったんですよ。そのときに、なんの脈略もなしに、「将来この人と仕事をしたい」と思ったんですよね。僕は歌舞伎の世界だったし、映像も出ていないし、そんなことできるとは思わなかったんだけど…。15年かかって(龍馬伝の最終回で)斬らせていただきました」

5曲目<独り立ち>「春興鏡獅子」 「第一回亀治郎の会」より

亀治郎「僕、この曲を聴くと気持ち悪くなってくるんですよ。あまりにも難しすぎて。一生かかっても僕はできない踊りだと思うんですけど、やるなら、やっぱり手も足も出ないものを…。やっぱり得意なものをやって「はいどうでしょう」っていうのは、格好悪いじゃないですか。めずらしくこの稽古嫌いな僕が、毎日もう自分の芝居がはねたあと、終わったあと稽古場を借りてやった」  

6曲目<未知なる世界へ>「風林火山-メイン・テーマ」 千住 明

亀治郎「30になってから、初めて映像に出て。やっぱり今の時代、テレビって無視できないメディアだと思うんですよね。「表現者として、テレビの俳優、テレビ映画の芝居の仕方ってどうなんだろう。体験してみたいな」。それで、映像へ出てきたいと思って、2007年の大河ドラマの『風林火山』で武田信玄でいきなり1年間ドーンと出させていただいて、がらっと180度変わっちゃったというか。今の人生があるのは、その出会いがあったからかなと。だから、ほんとありがたかった」

 7曲目<未知なる世界へ>「狭き門より入れ テーマ曲」 小林つん太

亀治郎「(初めての現代劇に)初日にこの曲がなって暗転になった瞬間に、大げさでもなんでもなく、あまりの緊張に、俺は一生歌舞伎で食ってけるからいいや。もう現代劇くびになってもいいから、ごめんなさい。蔵之介さん、もう僕出られませんって言おうかなと思って、暗闇の中で蔵之介さんの手をつかんだんですよ。ふっと言おうかなと思ったら、蔵之介さんに連れて出られちゃったんですよ。それぐらいに30いくつにして、ほんとに初心に戻ったっていうか、お客の前に出たくないと思ったんで」


8曲目<癒しの時間>「ブック・オブ・デイズ」 エンヤ

亀治郎「(休日は)僕はラスベガス。エンジョイって言うんですか。ショーを見に行って、やっぱり現役を引退したオリンピックの選手だとか、それこそバレエの人が『シルクドソレイユ』に寄って。あそこがもう4つくらいショーを独占してわけですよね。だから、超一流の人とか集まるから。ほんとに10回は同じの見てます」


9曲目<今の自画像>「マグリットの石」 さだまさし

亀治郎「歌詞のとおりで、ほんとに愛想笑い、おべっか、妥協の世界じゃないですか。それで賞賛を得るよりか、ほんとに真実でいいから、自分を偽ってでも生きたくはないなと。歌詞の中でも、さびた魂。真実のままさびた魂でも、賛同してくれる人がうわっといれば、それは勝ちなんじゃないかなと。僕の事を歌ってるんだみたいな」

10曲目<人生の最後に聴きたい歌>「Jupiter」 平原 綾香

亀治郎「もう涙出るんです。これは。今回の大震災、僕は地下鉄乗ってて、駅で体験して、どうなる事か。そういうなかで、日々伝えられる悲しいお知らせ。何人もの命がなくなったなかで、ほんとに役者って何が出来るんだろう。だけども、普通の人が自分の職業をまっとうするのに、僕ら舞台やる事が務めだから、それをやるだけである。だけども、そういう自分が今いられるって事、ほんとにありがたいなってね、若いころはそういう事が分かんなかったっていうけど、この年になるとほんとに生かしていただいてる。特に僕らなんか、先祖が同じ職業だし、余計先祖のありがたみ。家を残してくれた。名前を残してくれた。また現代劇出たのも、そういういろんな人のすべてに、ありがとうといって死にたいっていう」


題名のない音楽会。「調性って何?」

2011年11月05日 21時33分33秒 | 観る(映画・TV)

題名のない音楽会。

日曜の朝、家にいるときはパンかじりながら見ています。

そもそもいい番組ではありましたが、司会が佐渡さんになってから、

さらにおもしろくなりました。

テーマもいいとこついてるんですよね。

9月18日。

佐渡さんお気に入りの名曲を深く掘り下げる、

「名曲百選シリーズ」の第12弾。

調性ってなに?名曲百選(12)フランク「交響曲ニ短調」。

作曲家の吉松隆さんをゲストに迎え、

「作品の顔」とも言える調性や転調がもたらす音楽的魅力について分析。

調性を色で捉える考え方。

Color

調性が曲のキャラクターを決定付けるということ、
(カラオケで安易に音を上げたり下げたりするのは、作曲家の意図を全く無視した行為ということ(笑))


調性は、楽器との相性でも決定されること。

(弦楽器は♯系、管楽器は♭系)

マーチには♭系が多く、ミサ曲にはニ短調(DeusのDという意味もあり?)が多いこと。

面白いよね。


実際に、「アイネ・クライネ」を違う調性で演奏して、

同じ長調でも、こんなに雰囲気が変わるものなのだと、

バイオリンの響きを最大限に鳴りやすい調性で曲が作られているってこと。

基礎の基礎だとは思うけど、本当に勉強になりました。

作曲家が「調性」を決めると言うことは、楽器の「性格」を100%引き出すための重要事項、

それゆえにこそ「調性」は作品名に明記される。

調性は音楽に「色彩」を加え、作品のキャラクターを決定づける「要」。

なるほど。

それにしても、佐渡さんってカッコイイわぁ。

音楽への愛情が熱くにじみ出てて。

いつか佐渡さんの指揮で第9歌ってみたくなった。

歌えないけどさ。


1万人の第9 佐渡裕