KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

11か月目~マイペースで行こう

2011-10-19 | KOFUKU日記

《今日も朝から3匹で仲良く日向ぼっこ》

 
《あったかくて気持ちいいからねむくなっちゃう~》


今日は相方さんの11回目の月命日。
来月で一周忌を迎えます。

異常に早い一年でした。
そんな短い中で2度も引っ越しをして、親友の結婚をはじめ
周りもいろいろな変化を迎え、時の流れの速さには驚かざるを得ません。

ただ自分は、確かに環境は劇的に変わったけれど、
中身は何も動いていない気がしています。

「いまだに死んだなんて信じられない。生きて帰ってくる気がする」
とかって、近しい人から言葉をかけられると私には不思議です。
そして、そんな風に言えるなんて羨ましいと思ってしまいます。

なぜなら、そんな風に言える方にはそういえるだけの距離があったからです。
そうであれば、何でいないんだろう?今もどこかで…なんて風に思えるのかもしれない。

でも私にはそうは思えません。
なぜなら24時間、隣にいつも居て当たり前の人だったからです。

だから毎日彼が居ないという現実を目の当たりにします。
そして「もう生きてここにはいないんだな」と思ってしまいます。
そんな11か月で、そして、そう初めて思った日のままにいる気がします。

家族をはじめ、遺品を片付けろとか、新しい道を歩めとか、
そりゃまあ、いろいろ言われてきました。

言ってくれている方々の気持ちもわかる。
言われていることの意味も分かります。

でもねぇ、無理。
あたしにはそんなの無理です。
だって、今までちゃんと生きてたんだもの。

人はそれじゃあ、死んだ人も浮かばれないとか、悲しむよ、とかいうだろう。
そうかもしれない。
でも、いい。

今まで生きていた人が、突然いなくなったからって
居なくなったんだから、じゃさっさと片付けよう、とか
もう居なくなっちゃったんだから仕方ないとか
私はそんな風には思えないし、思いたくない。
あたしが死んだとしても、そんな風に簡単に思われたらきっと嫌だ。
あたしならお互いの悲しみの中に愛を見つける。

きっとお互い、天と地で、それぞれを思いながら、
いろんなことを消化していくことが大事だと私は思う。
だから、私はマイペースでそのことに向き合っていきたいと思っています。

天と地を繋いで、マイペースで行こう。

食べる喜び

2011-10-18 | KOFUKU日記
今日の南国はとてもとてもさわやかな秋晴れであります。
ちびっこさんたちは朝からさわやかな空気とおひさまの光の中でひなたぼっこです。

 
《きょうもいいお天気だねぇ~。そおだねぇ~(^^)》

庭では珍しい笹の葉バッタさんも日光浴中。


秋というのは善いですなぁ。


私は昨日、メンタル系の定期診療に行きまして
なぜだか担当医の先生の身の上話とメンタルで止んだ時の話を一時間ほど聞きました(^_^;)
なんか、いつの間にか、私の方がカウンセリングしているような感じに…(笑)

こういうの、よくあるんですよね~。
スピリチュアル系の方とかと話してても、いつしかこっちが相談聞いてたりとかします。
見た目話し難い感じがすると自負してるんですが、なんか重い話を語りやすいんでしょうかね?
まあ、話を聞かせてもらえるというのはありがたいことです。
ありがたいことだけど、ああも語られると、自分の話はできませんわ(・。・;

そのせいか、昨日からちょっと熱っぽくて風邪気味な感じです。
なので今日はちょっとゆっくり過ごしています。

とはいえ、あまりにも見事な気持ちの良い朝だったので、
おベントづくりと家の片づけをした後、
お庭と花壇に秋まきのハーブの種を蒔きました。
芽が出るといいなぁ。


今日から甥っ子のちび君は2泊3日の「宿泊学習」だそうで
皆と他校の子供たちとキャンプをして、箸などを製作したり
お山に登ったりするのだそうです。大荷物で出かけて行きました。
この2日間は家の中が静かになりそうです。


さて我が家には1歳未満のちびわんこから、
74歳になったじいちゃんまで幅広い年代の人間がおります。

小さい体の犬たちと小学生、そして二十歳の御嬢さんが居るせいか
鹿児島という土地ながらも、放射能問題には結構過敏です。

世田谷の高放射能はラジウム、だから大丈夫的なオチで終わりましたが
今日も朝から、その結果とは裏腹に、原発事故由来であると思われる
高放射能の場所が東京には多数存在するとの報道がなされています。

これまでの「大丈夫」「ただちに問題はない」発言が
いかに根拠のないものだったか証明しているような感じですね。

だって単純計算しても最上限まで引き上げた年間暫定基準値
20ミリシーベルト超えちゃうんですよ~。

放射線医療に従事する人間が白血病などになった場合の
労災認定基準が5ミリシーベルトなのに。。。。
いかにそれがヤバい数値かお分かりになると思います。

このままでは確実に病魔が若い方たちを襲うでしょう。
それを防ぐには、周りにいる大きな人たちが気を付けてあげるしか方法がありません。
今を怠れば、先に必ず恐ろしい出来事が待っています。
私は関東、関西にいる大きな方々には、それを自覚してほしいと思います。
目に見えないものだからこそ、気を付けて、守ってほしいです。


南国に住む我が家でも若い人たちが多いので、
やはり内部被ばくが一番心配される為
食材はすべて九州産、もしくは外国産を選ぶ毎日です。

大きいスーパーなどではそれでも東北産が多いし、
細かい数値は表示がないし、産地偽装などの不安感もあります。

それで我が家では父がお商売であちこちをめぐるので、
野菜や卵などは以前からよく知っている安心農家さんの
地売りの物などを選んで買ってきてくれます。

ひら飼いの地卵や合成肥料などを使わない野菜は
そのもとになっている部分が見えるので比較的安心して食べられますし、
何よりも採れたその場で売ってくださるので新鮮な上に安いんですよね~。

ただ、今は安全を考えて、オーガニックの食材であっても
有害物質のたまりやすい表皮などを厚めにに剥いたり、
肉なんかも煮たりするときは一度湯でこぼしをしたりするように心がけています。

ストロンチウムやセシウム、ヨウ素などを溜めないために
海藻類やカルシウムなども取ったり出来るように食材を選ぶようにもしています。
昨日は病院の薬局で「カルシウム飴」を見つけまして
これは関東関西方面のお友達に送ろう!と思わず買ってしまいました。

関東や関西では本当に食材選びが大変なことと思いますが、
小さい人たちのために大きな方々が努力して頂きたいと思う今日この頃です。

もちろん、被災地の方々の復興はココロから応援したいので
食材は生産者の方には本当に申し訳ないのだけれど、
安心感が自分に生まれない限りはあえて購入を控えさせて頂きますが
その代りに、このように生まれた不安感から生産という仕事を
原発によって奪われてしまった方々を守って頂きたいと思うので
毎月本当に少額ですが定期的に息の長い募金などをするようにしています。

やはり、こうして不安によって自由意思で買わないのなら
突然に買ってもらえなくなった方々を、買わない皆が力を合わせて
違う方法で守ることを考えていくべきであると思っています。
それには生産者、消費者共に安心感のある方法で助けあうべきと私は思っています。
はやく政府がそういった事に立ち上がってくれたらなぁと願っています。


話はそれましたが、このように我が家は年齢の幅が広くて
1歳から10代、20代、30代、40代、70代といるので
生活や食のサイクルもおのずと違ってきます。

特にちびくんとカンナちゃんは学校に行ったり
アルバイトをしたりして、食事の時間も違うので
食べ物を取り置きしたり、分けたりすることもよくあります。
そこで、家仕事をするものとしては、その時に使う器や備品が気になるのです。


毎回完ぺきなテーブルコーディネートなんて無理だし、本当に疲れちゃうと、
買ってきたものをそのまま出して…なんてこともありますが
私は基本、ある程度、片付いた部屋とテーブルで
出来るだけ心地よい見た目で食事をしたいと思っています。
一人だと余計難しいけれど、それでも、美しくしつらえるという
女性美と言いますか、家庭美をあきらめたくない方です。

うちのおじいちゃんは映画と韓流が大好きで、
50円DVDを借りてきて、お茶と簡単なお茶菓子を傍に
夜は毎日それを観るのが楽しみなのですが、
そのDVDを借りに行くショップはリサイクルショップの中にありまして
たまに一緒に行くのですが、昨日は主婦心に火がつく食器に出会いました。

ジャン!♪



はい、これです。

これ、レンジやオーブンOKの大小セットの食器なんです。
パッキンのついた蓋がついて居るので、そのままタッパーのように保存できます。
しかもそのままあっためることもOK!

で、サイズがとてもいいのです。
この一番下の大きなサイズが、現在5人とちびさんズの大人数の我が家では
色々なものを盛るのにピッタリで、特にグラタンとか作るときには大助かり!

だって、小さいサイズだと、何度も焼いたりしなきゃいけないし、
しかも、早く作ったものが冷めるし、一緒に食べられないでしょう?
やはり家族はそろってご飯食べたいじゃないですか?

で、昨日、これを見て一目ぼれしまして~
しかも新古品でとても安かったので買ってしまいました。
ちなみにこれはディズニー仕様でミッキー模様です。
2セットあってもう一組はモノトーンベースのかっこいい幾何学模様でしたが
私は柄のレトロ感が我が家にピッタリかなと思い、こちらを求めました。

遅く帰ってきた人におかずを取り置くのにも
こんな器だと食べるときにもかわいいし気持ちいい。
やっぱり綺麗にお食事したいですもんね。

これから使うのが楽しみですが、明々後日、甥っ子ちび君が戻ってくるので
大好きなグラタンでも焼いてあげたいと思っております。

あ、もちろん、ちびっこワンコたちのお茶碗もありますよ~(^^)



甥っ子ちび君のセレクトで、ぶたさんがまろ君
ワンコがピーちゃん、にゃんこがピピちゃんのです。

我が家では体に有害物質が残るので、特にちびっこたちには
プラスチックやメラミンは極力使わないように心がけています。
これも小さい人には放射能と同じくらい、気を使ってあげたいところです。


わずかなことで、家庭が明るくなるのは善いですね。
つくづく家仕事は幸せの素だなと思うのでありました。

ココロに響く言葉

2011-10-16 | KOFUKU日記


《がうがうまろたん(笑)》

私は「言葉」がすきです。
生まれ落ちて以来、音と意味は同時にある、と感じています。
ほんと、生れ落ちてすぐからです。

なので言葉との出会いは私にとっては衝撃で、
3歳で本が読めるようになり5歳のころには
大人の本から医学書まで読んでいました。
とにかく毎日毎日本を買ってもらって漁るように読んでいました。

小学校に上がったころには家の押入れ2つ分(計4つ)には
多分、千冊以上の本があったかと思います。
小学校、中学校では図書館の方を読破して
廃本をしまっていた書庫に電気を引いていただいて読んでいました。
高校生の頃くらいまでは月に70冊は読んでいたでしょうか?
そして本を読むたび、そこに書かれた言葉と一緒に、
世界中の色や香りが心の中に入って来ました。

今は体調がしんどくてもうそんな風には集中して本を読めませんが今でも本が大好きです。
こればかりは本が大好きな母と、求めるままに沢山の本を与えてくれた父に感謝せねばなりません。
おかげで私の人生は深く広い土壌を与えられたと思っています。

私は同じ本を時間を空けて何度も繰り返して読みます。
だって本は何度読んでも面白いですから。

なぜなら私のココロは常に変化をしていくもので以前の私のままではないからです。
その時の自分があるように、私の中に新しい理解が生まれていきます。

そして自分の中の変わって行く部分と変わらない部分が本を読むことで理解できます。
読書とは自分も知らない自分や、よく知る自分を、
さらに知ることができる大きな魔法様に感じています。
(芝居をすることも同じ様に感じています)

本は一度読んだらもう読まないとかいう方もいますが
私はなんて勿体ないことをするのだろうかと思います。
私にとっては自分の変化をみすみす見逃すような感じがしてしまうのです。
まあ、その方、それぞれなんですけどね。

そんな読書を通し、ここまでの人生を通して、自分を振り返ってみると
私は割かし「白黒はっきりしている人間である」と感じます。
そして、それは人生のパートナーであった人とも一番の共通点でした。

でも、これはあくまでも自分の中の揺るがぬものに対する感覚に対してですね。
私たちは信じたものに対して、ものすごくストイックになれるタイプだと言えるでしょう。
自分の好きな世界、好きなもの、大事にしている感覚がはっきりしているのです。
だから良くも悪くも、その感覚にまっすぐになってしまいます。

本や言葉の世界と触れるという事は、そんな自分をよく教えてくれます。
なんせ、わたし、好きな世界がほんとにはっきりしているのです。
昔からその世界は揺るがないのです。
だから私が見るもの、聞くものにそれらが現れます。

今みたいに難しい生活状態になって、いろいろできなくなっても、
それらは変わらずにそこのあってくれるので、
じれったい思いをすることはあっても、あまりあわてることはありません。
常にやりたいこと、作りたいものがはっきりしているからです。

そういう部分がどんな状況でも一切散漫にならないので、
ただそれをこなしていくペースの問題になります。

そして、もともと、その感性に正直に製作や執筆をするので
できないわぁ~とか、書けないわぁ~と焦ることがありません。
できるぞ!と思った時が書き時、つくり時だから。
まあ、根っから芸術家タイプでお商売には向いてませんねぇ、って話ですね(^_^;)

相方さんも間違いなくそうでした。
ある意味でゆがみのない、超めんどくさい二人でしたね(笑)
でもそんな自分たちの感性に自信と誇りを持っている二人でもありました。
自分の世界がはっきりあるということは、とてもありがたいことです。
本や自分なかにある変わらない世界観というのは自分を支えてくれる大きな力です。


さてさて、私の実家のお風呂や洗面所は
それぞれ天井高くて二畳以上の広さがあるんですが
お手洗いも一畳からあって、体操ができちゃうくらいなんです。

今まで住んでいたマンションやお家より全然広いので
トイレットペーパー用のアンティーク風ラックとかおいているんですが
その上にお花とかといっしょに本を数冊ずつ置いています。

今は数少なくなった私の蔵書、それでも手元にいま数百冊あるんですが
その中から、適当に選んで月に一回づつ変えて置いています。

先月はアンティークに関する本と国際的な生活を描いた漫画を置いてありました。
今月は庭に小さな生き物がいる我が家の庭にピッタリな工藤直子さんの詩集と
少し懐かしい日本を感じられる本を置いてみました。

その本の一冊「おばあちゃんの知恵袋」はだいぶ昔にちょっとブームになった本です。
そして母と私のお気に入りの一冊、私には思い出の一冊です。

そこに連なる言葉は「わたし」という人間を私に教えてくれます。
同じ本を好んだ母がどんな人であったのか教えてくれます。

そしてココロに響く言葉は
私自身のココロの響きでもあるのだと教えてくれるのです。






《痛い》

すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか

だからこんなに痛いのか


《花》

わたしは
わたしの人生から
出ていくことはできない

ならばここに
花を植えよう

KUDOH NAOKO


暮らしとは自分の手で作り上げていくものです。
手は人間の外に出た頭脳です。
手がコツを覚えて、人間はあらゆる品物を創ることが出来ます。
そしてコツとはコツコツ努力して観につけて行くのでコツと申します。
それを長い人生経験から知っているのが、おばあさんです。
この本はおばあさんの手の深いしわの意味を教えてくれます。

「おばあさんの知恵袋」帯文より、鈴木健二

コトコト煮物*とんこつ《追記あり》

2011-10-14 | KOFUKU日記


じいちゃんがとんこつ(軟骨のスペアリブ)と野菜類を買ってきてくれたので
薩摩の郷土料理とんこつを炊いております(鹿児島では煮るでなく‘炊く’)


《じいじが帰ってきて大喜びのちび達。おもちゃを持って囲んで祭り状態です》

とんこつはむかし、薩摩の武士が戦場や猟場で作ったのが始まりの郷土料理です。
西郷隆盛さんは良く訪れた鹿児島の日当山温泉で
地元の農民とトンコツを肴に焼酎を酌み交わしたそうです。

さつま黒豚の骨付きあばら軟骨肉をたっぷりの芋焼酎と黒砂糖、地味噌(麦みそ)で
コトコトと時間をかけ、灰汁を丁寧にすくいながら煮ます。
後からお野菜などを鍋に入れてさらに煮込みます。
仕上げに鹿児島の甘いお醤油をほんの少しだけまわし入れて完成です。

じっくりと煮込まれたさつま黒豚は、ホロホロと身が柔らかく、
軽くお箸でつまむだけで肉がはずれます。
脂はゼラチン質に変わり肉は本来の味を凝縮され、甘くておいしいのです。

これから3~4時間くらい煮込んで完成です。

煮込み料理はスピリチュアルでも愛を伝えるのに大きな力のある料理だそうです。
今日は雨、少し冷え込むのでちょうどいいかな。

おいしくできますように。


《二時間たちました》



はい、二時間たってジャガイモや厚揚げなどを投入です。
本日の焼酎は黒霧島を使用いたしました。
お砂糖は喜界島産の黒砂糖と三温糖。
お味噌は行きつけのラーメン屋さん「笑」さんで分けてもらっている手作りの麦みそ。
醤油は丸丁の醤油です。
ニンニク生姜も入れて我が家風になっております。

あと一時間くらい煮込んで完成です。


《出来上がりを窓辺で待つまろたん》

すべては愛のなせるわざ

2011-10-14 | KOFUKU日記
 

《今日は雨だからまろぴぴぴ達も一休み…》


こちらは朝から雨になりました。
今日明日と結構強く降るようです。
雨はそのまま、また近畿に行くそうなので水害には十分お気を付けくださいね。

雨が降るたびに秋が深くなりますね。
金木犀の香りも深く、秋だなぁと感じます。

家の裏には二階建ての我が家の倍以上もあるような大きな銀杏の樹もあり
これから秋が深まって色づいていくのが楽しみです。

今週は浄化週間だったのか、週明けから体調が良くなかったので
毒出しの意味もかねて、家でゆっくりと過ごしています。

何しろ心身不調になってからは、物事を行うのが難しく、
今はこうして時間をかけてパソコンに向かうくらいしかできませんので
できることを、と思い、パソコンに向かうことを心がけたりしています。

ほおんと難しいんですよね。
目が急激に悪くなったので、手仕事や手紙を書くのも以前ほどできません。

不安症というのは厄介で、本当に一人では出歩けないものなのです。
特にちび達がいるので、この場を離れている間に何かあったらと思うと
本当にお風呂にすら入れないのです。

30秒以内に走って帰ってこれない場所には出かけられない。
だから、毎日、手紙を書いても出しにいけない。
お手紙を書くことが、ある意味、人とつながること
と思える今の生活ではそれがとっても残念です。
以前は30秒以内のところにポストがあったからよかったんですけどね。
ちび達を抱っこして連れ歩ける場所にショップもないので
週末に家族と出かけるしか方法がありません。


ただ、こういう情けない自分と対面していますと、
最初はへこんでばっかりでしたが震災を経験して以来、変わった気がします。
たくさんの突然の悲劇に同じような方も多いのでは?
と想像するに至り、顔知らぬ方々の心の平和を祈りたい気持ちになりました。
そのおかげで今年はがんばってこれたような気もします。


もともと私は自分に負けたくない人なんです。
自分が決めたことがやれないのが本当に悔しい人。
世の中の人を見ると、なんで「できない」って状態で
平気でいられるのかが理解できない人でした。
だから、できないってことが本当に嫌でした。

ところが今の私は嫌なんだけど、
どんなに頑張っても、どんなに努力してもできない。

それは10年前に当時10年を暮らしたパートナーを突然死で失くしたことにさかのぼります。
すべてを失くしたと思いました。
ぴーちゃんを片手に日本を放浪するしか生きていけない日々がありました。
音も色も見えず聞こえず、感動する心は失くしたんだと思いました。

すると今までできていたことができなくなったのです。
時間が経つごとにいろんな障害が出てきました。
人にはわかりません。自分にしかわかりません。
いつしか不安で何もできなくなった自分がいました。
何をしても心の中の不安は一向に晴れないし、
そんな自分が本当にショックでした(^_^;)
一体どうしていいんだか、全然わかりませんでした。

なんでもやれてた以前を知る人は「一体どうしちゃったの?」って言うし
その頃の私を知らない人はまるで怠け者かなんかの様に言うし、見る。
そして、ああしたらいい、こうしたらいいと、
自分の考えだけを押し付けてきてはそれができないと
まるでダメなものを見るように話をされる。
時には「かわいそうにねぇ、怪我なら治せるのに」と言われたこともありました。

これまた元が人様よりもかなりバイタリティある生き方をしていたので
今の元気なしなしな自分ですら、ちょっとやると人よりもできる印象を与えるらしいのです。
でも、それは、やっぱり以前とは違うので、浮き沈みがあるわけですよ。
そうすると、周りからはまるで努力をしてないように思えるらしいんですねぇ。

ほとんどの人に私の中の葛藤や努力は一向に理解してもらえない10年でした。



そんな10年の間を一緒に歩いてくれたのが昨年亡くなった最愛の相方さんです。

相方さんがいるときが一番ピークでひどい状態でしたが
相方さんは理解の深い人で、そんな私と生活することを選び
私ののために共に仕事をしてくれて
演劇という世界とつなぎ続けてくれた人だったのです。
一人では不安から生きていけないような状況だったので
生活も24時間、一緒にいる生活をすることを選んでくれたのでした。
一人では出歩けないので、毎日車に乗せてくれて
週末は必ず遠出をして自然の中に行けるようにしてくれました。

私は彼にそうしてほしいと言ったことは一度もありません。
逆に迷惑になりたくないので、何度も去ろうとすらしましたが
相方さんの方が、何かしらの理由をつけては隣にい続けてくれたのでした。

深い深い慈愛をもって一緒に生きてくれた人でした。
だからこそ、私も彼に何をお願いされたわけでもありませんが、
自分の才能と人生のすべてを相方さんと生きることに使えたのだと思います。
本当にお互いに支えられた10年を過ごしました。

そんなパートナーがまた突然にいなくなったわけですから
いやもう、どうやって生きていけばいいものか…。
実のところ、いまだにわかっておりません。

ただ、命を受け継がれたんだなと感じています。
だから生きていかねばなと思います。
まだ忘れ形見たちもいますしねぇ。おいていけません。

そう思いますと、この不安症なるものは
それらを守るために与えられた才能じゃなかろうか?
なーーーんて善き風に解釈しちゃってみたりしています(笑)

でもこの状態が10年も続くとさすがにその現実に慣れも出てきます。
10年たってやっと、まあ、しょうがないやぁと思えるようにもなってました。
そう、いまだに「なってきた」ってレベルです。

人間は本当に難しいですが、それでもこうして生きているんでやってかなくちゃいけません。
なので、このところは「やりきるぞ!」という思いを持たないための努力をしています(笑)

いや、私の場合、そうしないと今でもほんとに落ち込むんですよ。
できるはずの事が、本気でできないわけだから。

もちろん以前も完ぺきではなかったですが、私なりの覚悟や達成感があったわけです。
だから最低限、そこまで持ってこないと生きてる気がしないわけです。

「まあ、いいや」
って、いつも思うってのは、私にとっては勇気がいることなのです。

だって悩むじゃないですか?悔しいじゃないですか?
がっかりしちゃうじゃないですか?
自分が決めたところまでできてない、ってことには。
私にはそれが一番ストレスなんですなぁ。いまだ。


でも、いまは「まあいいや」ってレベルで過ごすことにしています。
それでいいと思う努力をしています。
できないことがあっても仕方ないって思うようにしています。


そんなこんなで、今は朝おきたらちび達を連れて、眠る家族を起こし、
送り出しをしたら、今度はお弁当作りをして、片づけをして、
カンナちゃんを送り出したら、ちび達のために庭を掃除して
ちび達の遊び場を確保したら、それから自分のコーヒーを淹れ、
そして手紙を書く道具や本や手仕事のしたくもして
それから電源を入れてパソコンに向かいます。

もうね、これだけでもやんないとダメになっちゃいそうで
どんだけフラフラでもやっちゃうんです。
基本、母性で生きてる方なんで、誰かのことしてないと
自分の生きてることがつかめないタイプといいますか…。
ある意味、生きがい??(^_^;)

そして、できる気分になった時にすかさず本を読んだり、
こうして文章を打ったり、手仕事をしたり、
コーヒーやお茶を飲んだりして過ごします。

何もできなければ、ただそのように過ごします。
ただ時間と一緒に流れます。

最近、時間の具体的な存在というのを忘れていましたが、
(テレビとか見ない人なので)
帰ってきてから庭に種を植えたらば芽が出て
それを見ると、時間があったのだなぁなんて思えます。
ありがとう、植物たちって感じです。
やっぱ、自然は偉大ですね。


そんなこんなでできない事だらけのダメダメな人なんですが
なんとかやってかなくちゃねと思って、考えたり発信したりもしています。
もうすぐカンナちゃんや家族とネットショップも始めるので、
また色々なつながりもできることでしょう。


夕べ、相方さんが久しぶりに夢に出てきました。
いい夢でした。自然で。やっぱり旅をしてて。
私たちらしい夢でした。
相方さんと今も深くつながる愛を感じました。


もうすぐ相方さんが向こうに旅立って一年がたちます。
一年過ぎたとは思えないくらい早いです。

時間が過ぎるほどの寂しさは増し、
写真もじっくり眺められないほどです。
死後の涙は自己憐憫と言われようがなんだろうが
私はそれは愛ですよと思いたい。
そう思って、寂しさを感じてます。

私は療養中の上に、一人で出歩けないから、
一周忌の場に行けるか、まだわかりませんが
どんな場にいても繋がっていることを感じていたいなぁと思っています。


なんとなく、こんなダメな自分のところでも
いまだに変わらず会いに来てくれる相方さんを思い、
今日はこんな記事を書きました。


相方さんのご両親やご兄弟をはじめ、
世界中、そして今年の日本には
たくさんの切ないお別れをした方がいらっしゃいます。

そういう方々がゆっくりと穏やかに生きていかれますように。
今日も天と地を繋いで、相方さんと共に祈りたいと思います。



愛と真実
それだけがすべて
(BY 米澤観児)

すべては愛のなせる業