長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

怪獣のいない怪獣映画 1954年版『ゴジラ』

2010年08月16日 11時57分34秒 | 特撮あたり
 みなさんこんにちは。そうだいです。
 昨日は8月15日でしたね。いや、だからなんだってわけでもないんですが、私の町は、なんとなく8月15日という日付にふさわしい酷暑の一日でした。どこまでも青い空と絶え間ないセミの声……1945年の8月15日もそんな日だったのでしょうか?
 私は1980年に生まれ、人生のほぼ100%を日本で過ごしてきましたので、本当の「戦争」を体験したことはまったくありません。ただ絶対に避けなければならないものとしての強いイメージがあるだけです。
 知らない分、私は戦争のイメージをいろんなものから得てきました。教育、TVのドキュメンタリー、小説、マンガ、アニメ……などなど。戦争と言えばこれ!っていうフィクション作品っていっぱいありますよね。『火垂るの墓』は、怖くて哀しかった!
 そんな中でも私の印象に残っているのが、1954年に公開された日本初の怪獣映画『ゴジラ』です。『ゴジラ』というタイトルの映画は、1984年公開の続編と1996年公開のハリウッド版のものが他にありますが、今回は元祖『ゴジラ』についてです。
 とはいえ、この『ゴジラ』は戦争映画ではありません。戦後十年が経とうかとしている復興した東京に、太平洋の水爆実験の影響で凶暴化した原始の大怪獣ゴジラが上陸して大暴れ! ストーリーはかなりシンプルなもので、東京を壊滅させたゴジラはラストで、天才科学者・芹沢博士の発明した最終兵器・オキシジェンデストロイヤー(基本的に海底で生活しているゴジラの習性を利用して、水中の酸素を破壊してゴジラを窒息死させるというとんでもない兵器 かっけぇ!)によって息絶えます。
 こうまとめちゃうと、『ゴジラ』は典型的な怪獣映画! 実はこの『ゴジラ』には、ストーリーのネタ元になったんじゃないかと言われているアメリカの怪獣映画があります。『原子怪獣現る』というもので、『ゴジラ』の前年の1953年に公開されました。
 『原子怪獣現る』のストーリーも、核実験の影響で復活した原始の大怪獣リドサウルスがニューヨークに上陸して大暴れ! ……うーん、おんなじ。
 ところが! ここまでストーリーが共通していながら、『ゴジラ』と『原子怪獣現る』は全っ然似ていません。理由は二つを見比べれば一目瞭然。
 『ゴジラ』に、怪獣映画らしくない要素が山ほど盛り込まれているからなんです。
 アメリカの『原子怪獣現る』は純粋100%の怪獣映画で、街で暴れる怪獣を軍隊が退治するというもの。でも『ゴジラ』は違うんだなぁ!
 『ゴジラ』の前半、ゴジラご本人が登場するまでのひっぱりシーンではなんと、ゴジラを神としてあがめる小笠原諸島の小さな島・大戸島の村祭りの様子が流れます。そこの島民は、かつて江戸時代にも現れたというゴジラの言い伝えを信じていたのです。そして、村の長老の一言。
 「むかしゃあ、長くシケの続く時にゃあ、わけぇ娘っコをいけにえにして、遠い沖に流したもんだぁ。」
 もうこんなこと言われちゃうんですから。ゴジラはただもん、いや、ただ怪獣ではありません。そして、満を持して島にゴジラ登場! 特に暴れるわけでもなく、東京目指してまた海に消えるんですが、この登場シーンはかなり強烈です。山の向こうから、巨大ななにかの足音が聞こえてくる……どんどん近づく足音、おびえる島民! そして山の稜線を越えて現れるゴジラの頭と、あの有名な鳴き声の第一声!! 何度見てもしびれます。
 その後、ゴジラの東京上陸シーンが始まるわけなんですが、ここからもまた、ただの怪獣映画にあらざる別の要素が色濃く現れてきます。それがどうやら「戦争の記憶」のようなんです。
 ゴジラの存在と東京接近が現実視され、政府が東京都民への一時避難を呼びかけるのですが、サラリーマンらしい男がこうつぶやくシーン。「また疎開かぁ。やだなぁ。」
 ゴジラが大暴れする東京で、逃げ遅れた母と子。母が子にこう言うシーン「もうすぐお父ちゃまのところへ行くのよ。」
 ゴジラによる東京壊滅の後、被災者が強い放射能汚染にさらされていることが判明して力無く首を振る医師。
 東京壊滅の犠牲者のために、ラジオ中継で流される女学校の慰霊歌合唱……

 重い……重すぎる!! これ、ほんとに怪獣映画!?

 高校生だった時、怪獣映画のファンとして、記念すべきゴジラシリーズの第一作をついに観るぞ!とわくわくしてビデオを借りた私は、正直言っていまいち面白くありませんでした。
 そして、暴れる大怪獣ゴジラも、はっきり言ってどうも強そうじゃない! 動きはのろい(当時初めて作られた怪獣ぬいぐるみがかなりの重量だったため)し、口から吐く放射能火炎もシリーズ化した時のビームみたいなかっこいいものじゃなくてモヤ~っとした煙みたいなやつだし。ぬいぐるみの制作上の都合からか、まともに手も動かせずにただノソノソと歩き回るだけのゴジラは、私を少なからず失望させるものでした。
 ただ、第一作のゴジラは怖いんですよ! この点では、シリーズ化されるにあたって数多くのぬいぐるみが新調されてきたゴジラですが、歴代のどれにも負けないものがあります。特に、焦点の合っていないちょっと笑ったようにも見える眼が怖い。なに考えてるんだろう?
 白黒映画の闇の怖さを最大限に活用している撮影も素晴らしいのですが、この『ゴジラ』では、大怪獣ゴジラそのものも、水爆で被爆した被害者、というイメージが強く現れていると思います。被爆してぼろぼろの身体になり、放射能のため息をつきながら復興した東京の夜をさまようゴジラと、そのゴジラによって、忘れようとしていた戦争の記憶を無理矢理思い出させられる日本人。何度観てもやりきれない映画です。
 そんな意味で言うと、この1954年版の『ゴジラ』は、のちに日本で花開く怪獣文化の直接の先祖でありながら、子供が観ても親しみを持てるような「怪獣」はいっさい登場しないという不思議な作品であると言えます。
 こんな生まれ方をしたゴジラはやっぱり、他の怪獣やウルトラマンに倒されるような格じゃあないんですね。神なのかなぁ、やっぱり?
 頼むから、この「ゴジラ」の名にふさわしい復活をまたとげてもらいたいもんです……お願いしますよ、『ゴジラ3D』! 
コメント
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