こんばんは。みなさん、今日も精一杯がんばって、真夏の一日を乗り切ることができましたでしょうか? そうだいです。私も、今日はいろんなことがありました。朝から晩までなにかしらおもしろい起伏のある、楽しい一日でしたね!
さて、いつものヨタ話に入るんですが、みなさんのおうちには、別に生活に必要なわけでもないのに、なんとなく捨てられなくて置いている、というものはありませんか? 買い物の時にもらう紙袋とか、めったに読まないのに本棚に入れてある本とか。
今回はまことに勝手ながら、そういった、なくてもいいのになんとなく捨てられないでいるものを総称して「なんとなく家宝」とさせていただき、私の家にある「なんとなく家宝」を紹介させていただく第一弾としたいと思います! う~ん、これこそまさに、個人ブログのみに許される暴挙……
それじゃあさっそくいってみよう、記念すべき第一弾は、『宮沢りえ写真集 Santa Fe』(撮影・篠山紀信 1991年 朝日出版社)! みなさんの家にも、あるんじゃないですか?
説明するまでもなくこの写真集は、当時51歳、同じ年に日本における「ヘアヌード写真集」のあけぼのとなった『樋口可南子写真集 Water fruit』を発表したばかりだった写真家・篠山紀信が、当時18歳(撮影時には17歳だったという説が広まり、児童ポルノ法にひっかかるんじゃ?という議論がなされたのは記憶に新しい)の国民的美少女タレント・宮沢りえを被写体として発表したヘアヌード写真集である! 日本国内の写真集売上げ部数としては、この作品の150万部という記録は、発行20周年を来年にひかえる現在にいたるまで、いまだに破られていない!
……いや、いまさら古本屋に持ってくのが恥ずかしいから、家に置いてるだけでしょ。
ノンノン! そうじゃありません。この本には、発行されてから20年が経過しようとしているからこその、ただの「美人の裸が写っている本」にはない、実に不思議な魅力が宿っているのです。
その魅力とはすなはち、「うもれればうもれるほど輝く、ゆるみの美」!
この作品を観た私の眼には、被写体となっている宮沢さんは、ほとんどの写真で「カタそう……」という印象が残ります。雰囲気も身体自体も固そうなんです。エラそうなことをほざいちゃいますが、ホントにそう見えるんだもの!
それは、宮沢さんがこの歴史的撮影に臨んで緊張していたのかも知れないし、あえて篠山さんがそういう固い表情やマネキン人形を動かしたようなポーズをさせたからなのかもしれない。笑っている写真も多いんですが、それもなんか自然な笑顔には見えない。やはりあの国民的びっくりを巻き起こした、西洋の血をひくがゆえのがっちりした体つきも固く見える要因の一つか。あと、たまに着ているデザイン重視の衣装や真っ赤な口紅も、今となっては古くさく見えるだけ……
ところが、そんなページが九割をしめる中で、ふと見せる宮沢さんの「ゆるんだ表情」が素晴らしいんですね! 引き締めてもいないし、笑ってもいない表情。何か言いたそうでもあるし、相手がしゃべるのを待っているようにも見える表情。ここ! この部分の不思議な美しさが、なんだか今日にいたるまでひっかかるんです。パラパラとページをめくっていると、唐突に現れるミステリー。
「何を見てるんだろう? いや、逆に俺が何を見てるんだろうと思われているのか?」
なんか、お寺の仏像を観ているような気になってきて、手放せなくなっちゃうんですよねぇ。
ということで、私は気分を落ち着けたい時によく『Santa Fe』を拝観しています。
ありがたや~、ぶっとび、ぶっとび。
さて、いつものヨタ話に入るんですが、みなさんのおうちには、別に生活に必要なわけでもないのに、なんとなく捨てられなくて置いている、というものはありませんか? 買い物の時にもらう紙袋とか、めったに読まないのに本棚に入れてある本とか。
今回はまことに勝手ながら、そういった、なくてもいいのになんとなく捨てられないでいるものを総称して「なんとなく家宝」とさせていただき、私の家にある「なんとなく家宝」を紹介させていただく第一弾としたいと思います! う~ん、これこそまさに、個人ブログのみに許される暴挙……
それじゃあさっそくいってみよう、記念すべき第一弾は、『宮沢りえ写真集 Santa Fe』(撮影・篠山紀信 1991年 朝日出版社)! みなさんの家にも、あるんじゃないですか?
説明するまでもなくこの写真集は、当時51歳、同じ年に日本における「ヘアヌード写真集」のあけぼのとなった『樋口可南子写真集 Water fruit』を発表したばかりだった写真家・篠山紀信が、当時18歳(撮影時には17歳だったという説が広まり、児童ポルノ法にひっかかるんじゃ?という議論がなされたのは記憶に新しい)の国民的美少女タレント・宮沢りえを被写体として発表したヘアヌード写真集である! 日本国内の写真集売上げ部数としては、この作品の150万部という記録は、発行20周年を来年にひかえる現在にいたるまで、いまだに破られていない!
……いや、いまさら古本屋に持ってくのが恥ずかしいから、家に置いてるだけでしょ。
ノンノン! そうじゃありません。この本には、発行されてから20年が経過しようとしているからこその、ただの「美人の裸が写っている本」にはない、実に不思議な魅力が宿っているのです。
その魅力とはすなはち、「うもれればうもれるほど輝く、ゆるみの美」!
この作品を観た私の眼には、被写体となっている宮沢さんは、ほとんどの写真で「カタそう……」という印象が残ります。雰囲気も身体自体も固そうなんです。エラそうなことをほざいちゃいますが、ホントにそう見えるんだもの!
それは、宮沢さんがこの歴史的撮影に臨んで緊張していたのかも知れないし、あえて篠山さんがそういう固い表情やマネキン人形を動かしたようなポーズをさせたからなのかもしれない。笑っている写真も多いんですが、それもなんか自然な笑顔には見えない。やはりあの国民的びっくりを巻き起こした、西洋の血をひくがゆえのがっちりした体つきも固く見える要因の一つか。あと、たまに着ているデザイン重視の衣装や真っ赤な口紅も、今となっては古くさく見えるだけ……
ところが、そんなページが九割をしめる中で、ふと見せる宮沢さんの「ゆるんだ表情」が素晴らしいんですね! 引き締めてもいないし、笑ってもいない表情。何か言いたそうでもあるし、相手がしゃべるのを待っているようにも見える表情。ここ! この部分の不思議な美しさが、なんだか今日にいたるまでひっかかるんです。パラパラとページをめくっていると、唐突に現れるミステリー。
「何を見てるんだろう? いや、逆に俺が何を見てるんだろうと思われているのか?」
なんか、お寺の仏像を観ているような気になってきて、手放せなくなっちゃうんですよねぇ。
ということで、私は気分を落ち着けたい時によく『Santa Fe』を拝観しています。
ありがたや~、ぶっとび、ぶっとび。