長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そろそろキョンシーについての話をしよう

2010年08月30日 12時49分12秒 | ホラー映画関係
 皆さん、昨日はどんな一日でしたか? そうだいです。なんだか、私の町は今日もしんどい暑さになりそうです……キビシ~っ。
 小さなころってみんな、何か好きで好きでしょうがないものって、ありましたよね?
 もちろん、何か好きなものがあるという状態は、大きくなっても続いているのでしょうが、私の場合、好きなものを集めたり、遊んだり、飽きちゃってまた別のものが好きになっちゃうといった記憶がはっきり残っているのは小学生から中学生くらいまでのころで、それ以降になると、勉強や人間関係や仕事などで好き好きばっかりとも言っていられない生活になったためか、好きなものだけについての記憶はかなりボ~ンヤリとしたものになっちゃっています。
 そんな、「好きだ!」という感情の発散に集中できた小中学生のころに好きだったものは、現在の私の趣味嗜好にかなりの影響を与えているような気がするんですが、「三つ子の魂百までも」っていうことわざもあるくらいなんですから、やっぱり皆さんも同じでしょうかね?
 好きになっている対象自体は同じじゃないとしても、好きになるものに共通した条件があるとか、「同じものを集める」や「一つのモノにこだわる」などの好きになるなり方が同じであるとか。「好きになる」以外のこともそうなんでしょうが、幼い頃に身につけたルールというものは、意外と根強くその人の深い場所にあり続けているようです。それが個性というものなんでしょうかねぇ。

 西暦1986年。当時6歳だった私そうだいは、まさに取り憑かれたかのようにあるもののことしか考えていませんでした。はたから見ると「ほんとに好きなんだねぇ。」の一言で片づけられていたのかもしれませんが、冗談じゃない!! 私はその対象を、好きどころか非常に恐れ、そして憎んでいたのです。

 「キョンシーめ……来るなら来い! この村に来たら、俺がお前らの相手になる!」

 ……なんともはや、好きなんだねぇ。
 当時の日本では、前年に香港で製作され大ヒットしたアジアンカンフーホラー映画『霊幻道士(れいげんどうし)』(製作・サモ=ハン=キンポー 主演・ラム=チェンイン)がTVで放映され、その映画に登場した中国伝統の妖怪「キョンシー」のブームが巻き起こっていたのです。
 説明させてほしい! キョンシーとは、生前に大悪事を行った、あるいはこの世に強い未練を残して死んだ、はたまたあるいは呪術師の強力な呪いを受けたという人間が、死後に蘇って他の人間を襲うようになってしまうという、中国版の吸血鬼である。西洋の吸血鬼やゾンビにも言えることだが、キョンシーに血を吸われて死んだ人間も、お約束のようにキョンシーになって復活してしまうのだ!
 しかし、キョンシーはあの古典『西遊記』にも登場するような伝統ある妖怪なのですが、その実体はかなりあいまいで、「蘇る死体」という特徴の他は、さっきのキョンシーに襲われた人もキョンシーになるというあたりも含めて、ほとんどが映画をおもしろくするために付け加えられた新ルールだったんだそうです。例の「両手を前に突き出してピョンピョン飛び跳ねる」というキョンシー独特の動きも、「カチカチに死後硬直した死体が動き出すとしたら、こんな感じかな。」と考え出された、サモ=ハンさんあたりのアイデアなんですって。やっぱりデブゴンは偉大だ!!
 余談ですが、キョンシーの服装といえばあれ! と誰もが思い起こす、あの黒っぽくて胸にハデな刺繍がほどこしてある太巻きみたいな筒状の衣装は、映画の舞台となった20世紀初頭前後の中国では、死者が葬られる時に着せられることになっていた日本の白装束のようなもので、もともとはその時代の直前まで続いていた中国最後の帝国・清(しん)での官服(かんぷく 皇族・貴族・政治家・官僚などがフォーマルな場で着ていた制服)だったのだそうです。
 さらに余談ですが、キョンシー対策に頭を痛めていた同じころに、父がレンタルビデオ屋で借りてきた映画『ラストエンペラー』をわからないながらもチラ見して、私は北京の紫禁城に集まった何千人もの官服を着た人達が画面いっぱいに映し出されるシーンを見てあやうく失禁しかけました。
 「キョ、キョンシーがめちゃくちゃ大勢……これじゃあさすがのラム道士(『霊幻道士』の主人公 カッコいい!)でも勝てるかどうか……」
 そう戦慄しては、冒頭のキョンシー何千人問題にまったく触れずにたんたんと進んでいく『ラストエンペラー』にいきどおりを感じていたものでした。ガキンチョねぇ~!
 いやぁ、しかしなんでそんなにキョンシーに心を奪われてたんでしょうね。
 一つには、キョンシー映画が当時、TVをつければ毎日どこかで必ずやっているほど量産されて日本に輸入されていたこと。ブームの始まりとなった『霊幻道士』の他にも、同時期に台湾で製作されていた、かわいい少女テンテン(演・シャドウ=リュウ)の登場する『幽幻道士』シリーズや、日本語吹き替え版の奇跡的な暴走により神話の高みにまで達してしまったキョンシーブームのラフレシア級のあだ花『再来!キョンシーズ』……星の数ほどのキョンシーが蘇り、そして再び土へと還っていきました。
 もう一つは、キョンシーが私にとって生まれて初めて「身近に迫る恐怖」を感じさせてくれた存在であったこと。
 キョンシーそのものが怖いのではありません。キョンシー自体は、幽霊や怪獣のようにTVやスクリーンの中のモンスターとして割り切ることはできていたと思います。
 問題は! 両親や友だちなど、ついさっきまで一緒に平和に楽しく生活していた人たちが、キョンシーになったとたんに自分に襲いかかってくる怪物になってしまうことです。知っている人がキョンシーになった時、私は戦うことができるのか? それとも、何もできずに自分もキョンシーにされてしまうのか。逆に私がキョンシーになったら、まわりの人たちは私を殺そうとするのか(死んでるけど)……ここらへんがリアルに怖かった怖かった。
 キョンシーブームは所詮はブームでした。日本の田舎の片隅で虎視眈々とキョンシーを待ち受けるガキンチョをよそに、キョンシーたちは次第にTVから消えていき、再び故郷での永遠の眠りにつくことになります。
 しかし、私の中にキョンシーが遺していったものは数多くありました。何よりも想像する楽しみをおぼえるきっかけをつくってくれたわけですから。自分の嗜好の方向性を思い起こす時、私はいつも、あの頃に必死になって漢字をおぼえて、「勅命随身保命」という文句のキョンシー退治のお札を手書きでつくっていた半ズボンの自分を眼に浮かべるのです。
 まぁ、そんなこんなは抜きにしても、単純なカンフーホラーものとして、キョンシー映画はおもしろいんですよ! エンタテインメントとホラーのバランスがとれている名作が多いです。今度は『霊幻道士』をはじめとして、一作一作についての思い出をひもといていきたいですね。
  
コメント
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