写真は、日本民家園(川崎市)で見た
地域性と住宅様式についての展示からのもの。
日本海側の京都府の海浜地域の漁村の風景。
住居は船をしまい込むように海に向かって突き出させていて
それらの様子を見ていると、
間口を抑え、海への出入りを工夫して各戸に確保している。
そういう機能性を満たしている建築デザインであることが見て取れます。
で、写真には多くの漁民が網をたぐり寄せている様が映し出されている。
明治の初年の頃の風景という解説があったので
まだ、近代的産業が勃興せず、
人口の都市集中という人口再配置が動き出していない日本の地方の現実。
エネルギー革命もなく、低レベルの機械力しかなく
ひたすら人力に依存して、生産性の低い労働が主であった時代。
たぶん、たまらない貧困が社会を一色に染め上げていた。
しかし、住宅の地域的な豊かさという意味では、
今日の写真(右側)と比較してどうであったのか?
たしかに水回りの快適性とかは比較にならないレベルで進化しているだろうし、
家電製品とか、進歩を感じさせるくらしの変化は格段でしょう。
しかし、現在の風景を見て、ある程度は記憶の残影が残されているとはいえ、
ある種の秩序が崩壊して
地域性という部分の豊かさは大きく失われていると思えます。
たぶん、決定的に人口が流失してしまっている。
船も近代化はしたけれど、
木造小型船の、ある種、美しい貧しさからは大きく隔たってしまった。
住宅建築の世界で考えれば、
この間で、素材も代わり、生産システムも大きく変わってしまっている。
現在ではこういう地域にも、大量宣伝型のハウスメーカーが来ているだろうし、
地域のデザインを踏襲する意志を持ったような作り手もいないでしょう。
いわんや、写真のような生業を持った人間の数も少なくなって
地域らしい住宅デザインの存立基盤も失われている。
いま、この地域に住む人は、最新の「日本中どこでも同じような」
ライフスタイルを志向するひとのほうが多数派であるかも知れない。
そのように考えてくると、
地域らしさ、ということを安易には言い切れないのかも知れないと
思い至る気がしてきます。
生活の実感の最大領域はいまや、やはりテレビ的現実のほうなのでしょうね。
みのもんたのほうが、生活に密着しているのかも知れない社会なのでしょうか。
なんと、複雑怪奇な社会であることでしょう。
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