叔父はもう亡くなってから5年以上経つのですが、
函館に長く住んでいて、その家に母に連れられてよく遊びに行っていた。
母は、どうも末っ子のわたしを連れて、よく実家や
実家の家族を訪ねることが多かったひとでした。
考えてみると、嫁として結婚したら、
1年中、神経の休まる時間がないくらしなので、
そのような実家帰りが昔の人間にとってはなによりの骨休めだったのでしょうね。
とくに母は、これも末の弟だった、函館の伯父と仲がよかったようでした。
伯父には実子が生まれなかったので、
大家族だったわが家から、自分に一番血のつながりの近い姉の家の子を
なんとか、もらい受けたいと思っていたようで、
たまたまわたしが末っ子で、よく母と連れ立ってきていたので、
わたしにそうした白羽の矢が立っていたそうです・・・。
で、わたしも何回か、函館の伯父の家に来たことがあり、
札幌とは全然違う、いわば文化的な香りのする街並みが好きで、
行くことが楽しみだったものでした。
昨日はそんなことで、函館の街を
散歩がてら、歩いてみました。
で、ふと、街の記憶が突然甦る瞬間があって、
振り返ると、いまはもうたぶん、取り壊されていると思いこんでいた
伯父の住んでいた家にそっくりな家に出くわしました。
最後に伯父の家を訪れてからでも、もう25年近く経っているし、
その間に伯父は函館で勤めを退職して、札幌に家を建てて
移り住んでいますから、たぶん、もうないだろうと思っていたのです。
ところが、記憶というのは断片化しながら、
ある空気感のようなものを鮮烈に記憶していて、
「あ!」と、一気に情景が押し寄せてくるものなんですね。
たたずまいはまさにこんな印象に近かった。
室蘭工業大学を卒業した伯父は、家のことを話すとき決まって、
「古い家がいいんだ」と、語ってくれていました。
なので、借家だった函館での家はいかにも、こんな写真のような家で、
古色蒼然、だけれども、こころの中のなにかが吸い寄せられていくような
そんな古びたわびを感じさせる住まいだった。
記憶の中では、そういう印象は
かれの実家である、母も育った三笠の家の印象にも通じるところがあって、
不思議にやすらぎを感じさせてくれる家でした。
いま、考えてみると、住宅についてのいろいろな体験の中でも、
伯父の、家に対する感受性はわたしも受け継いでいる部分があると認識しています。
日本人がところを定める、というのには
やはり精神性のやすらぎ、というものが一番大きな部分なのかも知れない。
この写真のような古美た自然な素材のもつ表情。
自然木の松が無骨な肌合いと、柔和な造形を見せる中に門があり、
庭木が外界から守るように家を取り囲んでいる。
その奥に、人間の、訪ねるべき人格が存在している。
訪れるものに、そういう出会いへの期待感を高めるような
そんな風合いがあるような気がします。
やっぱり、こういう家の良さは今日も永続していって欲しい、と
念願しながら、じっと立ち止まって眺めていた次第です。
本日は仙台で、建築家のみなさんと「デザイン」を巡ってのイベントで
講演を行います。
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