きのうまで東京出張しておりました。
昨夜遅くに帰って来たのですが、
関東が半袖の気候なのに、こっちはコートが必要なほどの寒さ。
寒暖の差に愕然とさせられますね。
出張の間の移動時間は、貴重な「読書時間」。
読書を出来る時間というのは、常に眠気との戦いであって、
日中の活動時間で読書に宛てられるというのは
こういう出張時の飛行機などの待ち合わせー搭乗時間が一番密度が濃い。
で、最近は学術系の歴史書などを読むことが多く、
それにある程度、読文意識が慣れてきていた。
ところが今回、たまたま間違えて違う本を持ってきてしまった。
司馬龍太郎さんの「播磨灘物語」であります。
「ありゃ、間違えたなぁ」というところですが、
若い頃には、なんべんも読み返していた愛読書です。
ひさしぶりに、読み始めてみた。
適当なところからページをめくって
「あ、ここか、そうそう、こういう展開だったよな、で、次は・・・」という
勝手知ったる状態で読み始めたのですが、
読書というのは、やはり面白い。
若いときには読み飛ばしていた部分でも、いま読み返してみると
文意の底の意味が、まったく違うかたちで浮かび上がってきたりする。
そして、筆力というか、文章力のすばらしさに
あっという間に、没頭させられてしまう。
なんなんでしょうね?
歴史小説作家としての構想力であったり、構成力であったり、
なによりも人間観であったり、というような
さまざまな人間の興味の引き出しがどんどん開け広げられていって
作家との対話、物語主人公との対話が活発に頭のなかに充満していく。
ある没入的集中力が沸き立ち続けていくのですね。
こういうこと全体が「面白い」ということなんでしょうが、
久しぶりに読んでみて
司馬遼太郎さんの眼力・筆力の確かさに圧倒される思い。
読みつつ、まったく頭の一部が小説世界での領域に浸っている感覚がする。
そうなんですね、こういうのが読書の最大の楽しみですね。
すっかり読書の興奮を思い出してしまいました。
結局はやはり、文章力ですね。
う~~む、すごい。