三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

歴史的国家ネットワーク「駅逓」

2014年06月04日 05時10分48秒 | Weblog


先日のオホーツク散歩で発見した上藻別駅逓です。
現在は北海道開拓期に存在した「鴻之舞金山」の資料が置かれていますが、
本来は、歴史的建造物としての「駅逓」が保存されているもの。
駅逓がある、ということを聞いて
即座に行って見たいと思ったのは、普段から歴史に興味があるからなんですね。
駅逓とは、明治から昭和初期まで北海道辺地の交通補助機関として、
宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行う制度。その運営者は、駅逓取扱人(半官半民)。
ということなんですが、
明治の時代というのは、王政復古という側面もあったわけで、
古代の日本国家創設期から作られてきた「国家ネットワーク」というものが
具体的なかたちで追体験できる施設と言えるのです。
日本には、中国での律令に基づく中央集権国家制度が導入されたのですが、
そこではさまざまな文化も一挙に導入された。
国家という以上、その意思の伝達徹底ということが不可欠になる。
畿内地域以外の遠隔地にある「鄙」の地方に対して
国家権力意志を伝え、権力を敷延させていくには、
情報を伝播していく神経細胞のようなネットワークが必要だった。
古代の世界では、この部分が「駅」であった。
整備された「街道」~東海道、東山道、南海道、山陽道などの交通要衝地に
一定の間隔で、交通手段としての馬が用意され、
旅客に対してのサービスを提供する宿泊も伴った施設が「駅」として作られた。
そのような伝統的ネットワークが、
明治の北海道開拓には復古的に再現されて、「駅逓」制度として作られた。
そういう駅逓が実際にあれば、日本史の中の
ひとつの重要な部分を実体験的に感受できることになるわけですね。
この「上藻別駅逓」は、いまもひとが管理して使われている歴史的建造物であり、
まことに貴重なタイムスリップを味わうことが出来ます。

まぁまさか、北海道のような歴史的遺構に乏しい地域で
こういった施設が残されていようとは思わなかった。
まさに北海道に一番足りない部分、歴史の積み重なり、
人文的な興味部分が、思わぬところで発見できた喜びであります。
建築としても、何回か建て替えられたり増改築されているには違いないのですが
基本デザインとしても、明治の雰囲気が伝わっても来る。
こういう施設について
いまでも北海道内で数カ所は残っているので、
これらの存在の歴史的価値について、きちんとだれか、歴史学者さんが
まっとうな意見を言っていただけないかと期待します。
ただ、それもきっと東大の先生でないとなかなか受け入れられないでしょうね。
そういった下世話なことはまぁいいとして、
ぜひ地域地元のみなさんは、こういった施設建築をもっと活かしたらいい。
そんな思いを抱きながら、楽しく見学させていただきました。
管理されている方も、本当に面白い方で、腹を抱えて楽しめました。
ぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょう?
コメント
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