三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

長期存続する名家とは

2014年06月16日 05時02分23秒 | Weblog


きのうの「上時国家」の内部の様子です。
江戸時代末期のこの家の様子が保存されているということ。
「上」「下」というように「時国家」は2家に分かれていますが、
この分離には、江戸期の複雑な政治状況が反映されているようで、
そうした支配構造の変化に柔軟に対応できるだけの「情報力まで含めた実力で、
この家は生き延び続けてきたようなのです。
経済については、ひたすら農本主義を貫徹して
大きく隆盛する商品経済・資本主義に対して否定的な態度を取り続けた
江戸幕府政権は、地方の「庄屋」や国内交易を支えた商人たちを経済主体にして、
それに乗っかっていただけの存在のように思われます。
平家に出自を持つこの時国家も、そうした地域経済の運営者であったようで、
地域の中での「公共」をも担う家だったようです。
写真には、高い位置に「駕籠」が納められています。
家の当主なりが使うためと言うよりは
公共的な利便として、用意しているという印象を持ちました。
今日で言えば、新幹線のような交通手段として、
貴人・公人のための用意を、このような庄屋層がしていたと推定される。
2層吹き抜けの大土間空間にそんな残照を感じました。

そしてこのような富貴は
やはり北前船交易によってもたらされたと思われます。
江戸幕府政権によって
大きさや構造について船の進化は制限されている中で、
不可欠になっていった商品交易の拡大は、その資源供給基地になった
北海道蝦夷地との北前船が大きな経済動力になっていた。
農本主義による、ひたすら土地への課税収奪だけしか見なかった政権に対して
賄賂などの手段を活用して生き延び続けてきたのでしょうね。
しかしそれにしても、
平安時代の終末期から、鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸と、
変遷し続ける時代変化の中で、柔軟に対応し続けた時国家には驚きます。
さらには、昭和を代表するロッキード事件の裁判長は
この時国家が輩出したのだそうです。
名門としての矜持が、その背骨にあったのかも知れません。
生き延びるという魂魄において、
「家」というものに、並々ならぬものを感じざるを得ません。
そういう意味で、家を取材しつつ歴史を感受する
わたし自身のスタンスに、エネルギーをいただいた気がしました。

コメント
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