三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【羽黒山・祓川神社にかかる天然石の橋】

2019年05月22日 07時15分58秒 | Weblog



祓川と須賀の滝 (はらいがわ・すがのたき)
昔、出羽三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、
水垢離をとり三山への登拝の途についた。
滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より
約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。

国宝・羽黒山五重塔シリーズ(笑)であります。
出羽三山神社の一帯には、多くの建築と土木の工事がみられる。
建築はわかりやすいけれど、そこに至る道路や階段など土木の工事も
歴史年代あるいは、縄文以来とも思われるような
深遠な人力工事痕跡があちこちにみられる。
出羽三山地域という、遠景で見ても美しいパワースポットへの
多くの人々の敬虔な愛情表現とも受け取れてたのしい。
わたし的に「おお」と思わされたのがこの天然石の橋であります。
この「祓川」というのは上の記述のような「清め」の水浴場のようですが、
この橋の先には「祓川神社」という社が建っている。
たぶん、身を清めた修験たちは、この社に参拝してから
さらに登山を目指していったのだろうと思います。
そういう意味で、羽黒山全体として神域への通過儀礼箇所。
多くの人間が参拝する通路として、この橋は重要だったのだろうと。
で、その橋の掛け方がなんとも豪快な工事。
川幅は15-6m前後でしょうか。その岩場っぽい川底から石を積み上げて
3箇所の橋げた・橋脚を造営し、そこに平板上の自然石を渡しかけている。
万が一を考える手すりなどもなく、足を踏み外せば固い岩場の川底に落ちる。
神域への通過儀礼箇所らしく、自ら身を処すように仕掛けている。
川底から大小の石を積み上げていく橋脚自体は時間はかかったにしても、
そう大きな工夫はいらなかっただろうけれど、
この自然石の平板はどのように切り出されたモノか、
また、ここまで運搬して屹立させた橋脚部にわたす工事は
どのように行ったのか、その工事の年代も考えてみて興味を持った。
この神社と橋の手前には「朱塗りの美しい神橋」が掛かっていて
案内などはそちらについて記載されているけれど、
この自然石渡しかけの橋については説明がなかった。
はるか昔人の労苦に思いを至らせて、謹んで渡らせていただきました。
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