三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

高温多湿が生む緑への感受性

2010年04月10日 07時25分04秒 | Weblog




北海道には希薄にしか存在しなくて
一方、本州以南地域では一般的に存在する点景に、写真のようなのがあります。
まぁ、ごくありふれた料理屋さんの前庭であります。
北海道でも探せばあるのですが、
普通の料理屋さんなどでは、こういうしつらいまではしない。
っていうか、やっぱり冬場の緑の管理とか、
雪囲いを徹底しなければならないとか、
手間暇が掛かりすぎると言うことが大きいと思います。
なんですが、やはり緑の植生の違いもやはり大きい。
ヨーロッパの緑と日本の緑は、針葉樹と広葉樹くらい違うと耳にします。
ヨーロッパの緑はほうっておくと消えてしまう緑だけれど、
日本の緑(本州以南地域)は、大変な成長力に富んだ緑である、と。
高温多湿、きわめて蒸性の高い環境が
活発な植栽環境を構成していて、
自然への感受性において、独特のものが生成されたのではないかというわけ。
わたしたち北海道に暮らす人間は、
こういう写真のような光景は大好きなんですが、
このまま、北海道で作ろうとすると、メンテナンスが大変なんですね。
でもまぁ、じゃぁそういう「めんどくさい」っていうものを放置しておいたら
どこまでも感受性が鈍磨していってしまうのではないか、
っていうような危惧も生まれるとは思います。
ある意味ではその通りで、
なんでも、簡単に手間を掛けないで、というようになると
いろいろ大切な民族的感受性を失ってしまう部分が大きいと思います。
わたしたち現代がほぼ失いつつあるものの中に
日本的「家」感覚、というものがあります。
これは個人的な思いを超えて、人間の生存の基本のようなものとして
「家の存続」ということを、個人主義の上位概念として持っていた。
そういう感覚が、どんどんなくなってきている現実がある。
親戚関係が喪失して、結婚式すらほんの直系家族だけで済ませるとか、
というようなことが当然のようになってきている。
きのうのブログのような
「向こう三軒両隣」的なコミュニケーション重視社会から、
都市的孤立生存志向の「マンション近隣トラブル」関係への移行なのか。
まぁ、大きく言っていけばそういう現実が進行していると言えますね。

でもまぁ、現実に北海道的な環境の中では
メンテナンス意識の高まりと、環境の厳しさは、
文化レベルとして、バランスがまだとれていないということか。
あるいは、日本列島社会2000年超の文化性と、
高々150年程度の文化蓄積社会では、違いが大きいと言うことなのか。
なんとなく、こういう部分でも
その違いをいろいろに実感させられてきています。







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通り・町家の風景

2010年04月09日 06時18分55秒 | Weblog




写真は、川越の駄菓子屋さん通り。
おい、いまでもこういうのあるのかよ、っていうところですが、
まぁ、日本中どこにでもあったこういう界隈性が
庶民の生き様の中心的な部分なのではないかと思います。
日本人は農家と、村社会というように基本様式が認識されていますが、
こと住宅ということを考えたら、
現代の住宅って、こういう通りと町家建物の関係を基本にして
現在成立しているのではないかと思えるのです。
士農工商っていう身分制社会の固定的観念がやはりいまでもあって
農を上に見るような考え方が強いと思うのですが、
固定された身分社会では、2男、3男といったひとたちは
こういう「町」で暮らしていく生き方が多かっただろうと思うのです。

建物の側で言うと、
特徴的なのは、主屋から張り出した屋根の部分、
いわゆる「下屋」的な部分が通りに対して日射遮蔽と雨よけになっていて
その下にさまざまな交易品が展示される。
下屋っていうものの意味合いがわかりやすく見えてくる感じがします。
この通りでは、日除けオーニングのような装置も
下屋の代わりを果たしているような店もあります。
こういうまゆのような空間性に包まれて育まれてきた
日本的感受性というものも相当に大きいと思います。
「向こう三軒両隣」というような言葉がありますが、
こういう言葉は、たぶん、農家的な集落では、集村だったとしても
あんまり実感がなくて、やはりこういう商家での意味合いが強い。
コミュニケーションというものも、こういう通りと町家の中から、
生まれ出てくるものだったのではないか。
たぶん、こういう交流は歴史年代始まってからすぐくらいから
人間は営み始めたのではないか、と思えてくる。
旅をしている人が、こういう町にたどりついて
とりあえず茶屋にでも入って、
この街の様子を尋ねる、っていうことから情報がやり取りされたのでしょうね。
こういう通りと町家は、
いろいろな成立様式があったと思いますが、
たとえばいまでも「門前仲町」みたいな地名があるように
いろいろな集客装置、神社仏閣とか、政庁であるとか、
そういう人が集まるところの周囲に生起していったのでしょう。
以前に「材木屋」の起源の話を聞いたことがありますが、
このような集客装置の中で、情報が活発にやり取りされ
そういう話の盛り上がりの中から、
「そうか、いっちょ、やってみるか」
みたいなノリで、始めたに違いないと思えるのです。

やっぱりこういう光景、
楽しいし、いろいろ好奇心をかき立てられるものだと思いますね。






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現代住宅は、町家の発展形か

2010年04月08日 06時04分29秒 | Weblog




現代、日本で一般に建てられている住宅って、
その原型はなんなのでしょうか、と問われたらどう答えるのでしょうね。
わたしなども随分、住宅を取材していますし、
それほどの疑問を持たずに撮影立ち会いしてくるのですが、
こういう住宅って、どういうルーツがあって建てられているか、
明快な答えはないだろうと思います。
逆に言えば、昔建てられていた住宅とどのように違うのか、
あるいは同じ部分はどこなのか、って探求した方がいいかもしれない。
現代は車社会であり、道路の幅というのが一定に確保されていることが
社会的な大前提のように思う。
必ず「接道」という条件が住宅には義務づけられている、
っていう意味では、やはり自然発生的に生まれてきた「町家」建築が
現代住宅のルーツに一番近いのではないかと思います。
町家って、必ず「通り」に面して建てられていて、
特徴的には、ほとんどのケースで写真のような
外界との「結界装置」、門などを持たない形式が多い。
町家が通りに面しているのは、そもそも「町」というものの基本要件に属している。
町って、成立の根拠が「交易の場」だったのですね。
通りというのは、それ自体が人の往来を前提としているのは自明。
そういうものに対して、サービスを提供するのが「町」の意味。
町家は、そういう機能性を形にしてきたような存在だと思います。
で、現代住宅はアメリカなどで発達したモータリゼーションの影響が大きい。
道に対するアクセスを最大の成立要件としているという意味で、
町家の感覚に一番近かったのだと思うのです。

まぁそういった思いがあって、
逆に、こういう写真のような「門」のような建築空間に
何か、忘れてきたものがあるように思えてならない。
門は、外界と建築空間の内側とを隔てている結界であることは明らか。
いろいろな意味合いがあると思うけれど、
この写真のように、主屋を切り取ってイメージに強く印象を植え込む
「額縁」的なクローズアップ効果も持っている。
機能性というよりも、どちらかといえば、精神的な意味合いのほうが大きい。
現代住宅や建築が、機能性に大きくフォーカスし続けてきたのに対して
こういう装置って、精神性の方に大きな価値を見いだしてきたのかも知れない。
門の機能的な意味って、防御性くらいしか考えにくい。
しかし今後の「サスティナビリティ」を考えていく建築では
ひたすら「機能性追求」だけでいいのか、という疑問を感じざるを得ない。
そんな未来へのヒントが、こういう部分に感じている昨今なんですが、さて。


きのうの、winmail.dat事件。
スタッフから、革命的解決法が送られてきました。
「え、そんなんでいいのかよ」っていうところなんですが(笑)、
いとも簡単に中身を見ることができました。

やり方としては以下の通りです
●「winmail.dat」が添付されたメールをGmailかyahooメールに送る
 そのまま転送でも、新規メールに添付しても、結果は同じです。
●Gmailまたはyahooメールで受け取ると添付ファイルが正常なファイル形式に戻っている
●それを保存して使う

これだけなんだそうで、さっそく試したら、
あらら、そうなんかい、いいっしょこれ。
っていうほどあっけない具合であります。
まぁ、上記の無料メールサービスに登録して、別アドレスは作る必要はありますが
簡単にゲットできるので、誰でも利用できるでしょう。
困ったときには、参考にしてください。







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あぁ、winmail.dat・・・

2010年04月07日 06時12分55秒 | Weblog




ここのところ、全国のみなさんとメールなどでやり取り中。
で、いろいろな問題が発生しておりますが
いちばん困ったことが、やりとりするデータのことであります。
写真のようなファイルが添付されてくるのですが、
わたしの環境、MacOSX10.6.3というMacでの最新環境ですが、
これでは、どういうソフトに持っていっても見ることができない。
送信者に確認したら、添付ファイルにはPDFもあるので
必ず見ることができるはずだ、ということなんですが・・・。

そこでいろいろ試行いたします。
とりあえず、わたしのMacでは仮想環境としてWindowsXPを動かしているので
そっちを起ち上げてデータを見てみようと思うのですが、
それでも見ることができない。
仮想環境では限界があるのかと思い、サブのWindowsマシンに
データをメモリースティックに入れて開こうとしたけれど
これでも見ることができない。
で、やむなく技術スタッフにレスキュー依頼。
そうしたら、winmail_openerというフリーソフトの存在を教えられました。
なんでも、
「Microsoft Outlook (97, 2000)を使っている人からwinmail.datファイルを受け取ることがあるかもしれません.Winmail.datは添付ファイルすべてとリッチテキストメッセージを含んでいるのですが,どんなe-mailクライアントでもこのフォーマットを扱えるとは限りません.そんなときWinmail Openerが解決法になります.」
ということなんだそうです。
普通にWinマシンを使って、標準的な使い方をしているユーザーは
なんの苦もなくデータを見られるのでしょうね、きっと。
しかし、少なくともMacユーザーは見ることができない。
なので、今回のプロジェクト参加メンバーでは、わたしともうひとりが
見ることができない形式だったのですね。
全員で8人くらいですから、25%であります(笑)。
で、まぁ、ようやく見ることができて添付ファイルを確認できました。
一種の圧縮形式なんでしょうが、
メール書類と、添付ファイルが一体のものになって表示されている。
データはWordと、ExcelとPDFなので、どれでも互換性があるので
やっと確認することができた次第なのです。

その後は、仮想環境でもこの「winmail_opener」のお陰で
解凍表示することができております。
このソフトについては、日本語で翻訳してくれた方がいて
ソフト説明の書き出しも面白かった。
「Winmail Openerは軽量かつシンプルなユーティリティで,(winmail.datで悪名の高い)TNEFエンコードメッセージを表示し,中身を展開することができます.つまり,電子メールでwinmail.datを受け取った時に,Winmail Openerを使えばリッチテキストメッセージの内容や,そのファイルに埋め込まれた添付ファイルを表示することができるのです.」
「そうか、悪名の高いヤツなんだ」と笑える。

でも、たまたまこういうソフトの情報を知ったからいいのですが、
こういうwindowsユーザー同士でも困るようなデータ形式、
普通のMacユーザーはこんなのまったく知るわけがない。
こういう情報障壁に属すると思われるようなことはどうなんでしょうか?
いいかげん、こういう仕様はオープン化できないものなのでしょうか。






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江ノ電の文化性

2010年04月06日 05時59分38秒 | Weblog




先日行った鎌倉では、
江ノ電を利用しました。
まぁ、ほんの10数分の往復距離だったのですが、
なんともレトロな、ほのぼのとした時間感覚・距離感を味わいました。
電車って、輸送人数も多く、時間優先で遠距離を短縮するのが
基本的な要件、というように日常生活ではなっていますが、
この江ノ電は、まぁ言ってみれば
列車と市電の中間的な、というか市電により近い感覚。
鎌倉駅から長谷まで乗車したのですが
距離で言えば、まぁ歩いてもそうは掛からないだろうと思える距離。
鎌倉という街自体が、歩いて生活できるサイズでコンパクトシティなので、
その感覚の中にスッポリと収まっている。
途中の車窓には、普通の民家の庭先が目に飛び込んでくる。
「え、こんなに近くて、生活丸見えじゃん」
っていうような驚きがあります。
まぁ、北海道的距離感覚とはまったく違う自他の距離感。
こんなに近い距離の中でお互いのプライバシーって
「見て見ぬふりをする」しか、ありえないだろうと思われます。
そういう意味では、
こういう地域での暮らし方というものも理解はできるけれど、
当然のようにエチケットとか、生活ルールというものが不可欠でしょうね。

休日に行ったので
まぁ日帰りで鎌倉観光っていう人が多かったのですが、
鎌倉って一種のテーマパーク・ディズニーランドと考えれば
大成功している地域でもありますね。
そういう地域の移動手段としての江ノ電も、
重要な観光のプレーヤーであり、
十分にその機能を果たしていると思います。
まるでミニチュアのワンダーランドとでも言えるような街ですね。
車体の大きさにしろ、そのデザインにしろ
街の雰囲気との調和を優先しているような移動手段。
たくさんのひとたちが写真を撮っていますが、
だれもが、こういう時間感覚のなかに、癒しを感じているのだと思います。
こういう意匠性で、ビジネスとしても成り立っていると言うことに
地方から来るとむしろびっくりさせられます。
地方では、いまでもやむなくこのような時間感覚の中にあるものもある。
でもそれは時代の中で見捨てられつつあるようなものである場合が多い。
関東圏という、
人口規模が3000万人という大消費地域の中で、
このようなランドスケープデザインは成立しているのですね。
一時期、ほかの地域でも
このようなレトロ感覚で町の振興を図ろうとした動きもあったのですが
だいたいがもののみごとに破綻している。
鎌倉の場合は、まずは歴史というベースがあり
そのうえに地域への愛着が十分に住む人の中にある、
ということが、こういうランドスケープを成り立たせているのだと思う。

そういう点では、まことに「豊かさ」を感じさせる光景。
ちょっとまぶしすぎるくらいの思いを感じた次第です。






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雪割りサンデー

2010年04月05日 07時14分18秒 | Weblog





北国にもようやく春らしい天気がやってきまして、
きのうは、冬の間の雪かきの残滓として残っていた
わが家の固い岩盤状の雪を、スコップで割って
すっかり雪のとけた道路に出して、道行く自動車のみなさんにも
ご協力をいただいて(笑)、雪割りしておりました。

南の方のみなさんには、なんの事やらというところですが、
まぁ、岩のようになった雪の塊を、
大きめに持っていって、アスファルト道路に叩き付けるのです。
っていうか、高い位置から落下させて細かく砕いて
そういう状態になった雪を、クルマのタイヤで
踏み砕いてもらうわけです。
クルマの走る道路を「融雪装置」として利用するという
北国の春特有の、雪割りの知恵なわけです。
クルマの方でも、多少の障害物感覚はあるのですが、
「ああそう、やっているワケね」
っていう感じで、そうイヤな顔はせずに協力していってくれる。
わたしなんかは、クルマに乗っていて、こういう情景に出くわすと
むしろ喜々として、雪の塊を粉砕したくなる(笑)。
「ボス、バキッ、ジュワジュワ」
っていうような音を立てていってくれるのです。
効果音は、人によって聞こえ方が違いがあります(笑)。
最後の、ジュワジュワっていうのは、
粉砕された雪が、ある程度細かくなって
太陽光で暖められた路面で融け気味になっている様子も表現したもの。
そういう雪が、個体として小さくなり、
最後は水に還元され、さらに蒸発していくのですね。
このような雪の変化を、物理的に誘発する一連の行為が
北海道人にとっての、この時期の雪割りなんです。
まぁ、北海道といっても、比較的都市に属する生活文化でしょうか。

っていうことで、あまり熱心に雪かきできなかった冬のなごり、
すこしずつ取り組んできて、
きのう、最終的にすべての雪の塊を処分できた次第です。
きのう処分したのは、約15平米くらいの面積だったでしょうか。
で、ようやくにして、冬前にほったらかしにしてしまっていた
庭木の整理にも着手。
剪定やら、切っていたまま、散乱していた葉っぱの掃除など、
昨年末の整理もあわせて行うことができました。
おかげさまで、スッキリ気分爽快、やや筋肉痛の朝であります。







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水をデザインする

2010年04月04日 06時48分18秒 | Weblog




きのう旭川の北総研の建物のことを書きましたが
ちょっと写真がわかりにくかったかも知れません。
で、ちょっと拡大してみたのが画面左側の写真です。
雨樋、というのは面白い建築装置ではあるなぁという着想を得た次第。
日本という列島は、ヒマラヤがあることで成立した
多雨気候の国土条件。
木の文化が発達したというのは、伐採しても伐採しても
どんどん森の更新作用が活発だということであり、
その基本条件として、雨が多いということを表している。
東アジア3国、中国・朝鮮・日本の似たような寺社建築などで
日本の寺社建築の屋根へのこだわりの進化は顕著だと思うのですが、
そういうのも、このことを表現していると思います。

で、考えてみると日本の建築って
「水をデザインする」っていうことが多いと思うのです。
右側には、手水のデザインを探してみた次第です。
大体、寺社参詣の時には日本人になじみの深い装置。
おおむね、水路の配給口は鋭角に切り取られた竹、というのが多い。
茶室の事を聞いたとき、貴人を迎えるときには、
雨樋の竹を新調して迎えると言うことがあるときいたことがありますが、
高温多湿で、竹の更新性・成長力が高いという自然条件が
こういった豊かな感受性を生み出してきたのかも知れません。

まぁ、写真としては
このふたつの機能を表してみたのですが、
自然が奏でる水の輪廻を建築的に活かして使っていくという
こうしたデザイン力が、わたしたちの文化にはあると思います。
雨樋は、視覚性というよりも機能性と、音のデザインでしょうか。
一方の手水は、その受け止めている石の美しさと
波紋が生み出す幾何学的美しさと、かすかな音のデザイン。
片方は、寒冷地北海道旭川の雪解けの水を落としてくるものであり、
もう一方は江戸大名庭園での石の文化のもの。
どちらも時空間を超えて、日本人的な感受性を伝えてくる仕掛けですね。
本当に楽しいなぁと思います。







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春の水音、旭川・北総研建築

2010年04月03日 05時25分32秒 | Weblog





北海道の研究団体として、
地方独立行政法人・北海道立総合研究機構(道総研)が発足しました。
これは、これまで北海道が設立してきた
農業関係から建築関係までの研究機関を統合した組織。
私の仕事でなじみの深い「北総研」も、この組織の一部として
生まれ変わることになりました。
ということで、打合せもあってきのう訪問。
この北総研の建物、実はわたし、いちばん好きな建築です。
北海道が開拓の時代から、自治体として取り組んできた
「北の風土に住む」ということの研究開発の成果が
端的に表現され、素材から工法、考え方まで、まことにわかりやすく
北海道の建築、というモノを考えるすべての要素を伝えてくれる。
そして軽快感のあるそのデザインは、まことに環境建築という
概念をぴったりと表現していると思います。

性能というものとデザインというものとの
それぞれの役割と意味合いというものがたいへん楽しく理解できる。
行くたびに、細かいディテールで面白みを感じるのですね。
きのうは、帰り道、エントランスを抜けて駐車場までの差し掛け屋根から
雪解け水が美しい水音を聞かせてくれていました。
こういう音って、北海道人にとってかけがえのない季節の音。
え、どこからするんだろうと見てみたら、
差し掛け屋根から、ところどころドレンパイプが飛び出していて
そこから、水の落ちるあたり1m四方くらいには
小石が敷き込まれた場所があって、そこに水音が反響していたもの。
建築は五感で感じるものだと思いますが、
まさに自然が作り出す季節の変化を受け止めて
それを装置化し、音の要素でも自然を感じさせている建築になっている。
こういう部分のデザインまでも、
できる機会に形にした、という設計者たちの考えは素晴らしい。
たぶん、19世紀の北海道が時計台と赤煉瓦庁舎で語られるとすれば、
20世紀の終わりのこの北総研建築も遺すべき遺産になるのではないか。
いつもそんな思いをしながら、この建物を感受しています。

赤煉瓦や時計台は、
基本的に、北海道開拓についての北米の基本デザイン設計者たちの
考え方を表現したものではないかと思います。
日本の伝統的な建築概念を持ち込むことなく
北米や欧州の基本的考え方を躊躇なく導入したことはきわめて明晰。
それまで部分的に存在した日本建築ではない、文化の導入だったのですね。
そしてそのどちらも寒冷地建築として
「気密性」というものを基本にした考え方だったのではないかと思います。
そして、ほぼ1世紀半を経て、そういう考え方を基本として
さらに大きな学習を積み重ね、この時代が考え得る北方建築の姿を
端的に表現したのがこの建築だと思うのです。
北海道を訪れる建築関係のみなさんは、
いやできれば住宅を考える一般のみなさんも、
この建築を、一度はぜひ体感していただきたいと思う次第です。







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鎌倉大仏さん

2010年04月02日 06時53分37秒 | Weblog




以前に東大寺の大仏殿は拝観して参りましたが、
鎌倉には行ったことがありませんでした。
まぁ、なんとも、いかにも、
という観光地なので、ちょっとはずかしくて(笑)
見に行けない典型のような存在ではないかと思っています。
東大寺の大仏にも、坊主が単純に「大仏見たい」といってくれたので
修学旅行以来の拝観をさせていただいた次第。

でもこの鎌倉の大仏さんは
どうも国家事業的に建立された感じはなく、
どっちかというと、民間主導型の大工事だった様子が伝わっている。
この大仏を収めている寺自体、由緒正しい寺ではなく(失礼)
真言宗からはじまって、禅宗臨済宗になったり、有為転変している。
そう考えると、民衆的な造像の経緯が偲ばれてくる気がします。
大仏造像の費用と、その金銅を入手するために
宋との貿易船が計画されたというような記述もあって、
民衆的な動きに対して、それを支援するような動きがあったようです。
っていうような経緯が、庶民的な敬称として
「大仏さん(ニコっ)」っていうような愛着を生んでいるものでしょうか?
約500年以上もこうやって野ざらしで座り続けているわけですが、
覆い堂はあったけれど台風や津波などで被害を受けて
その後、再興されることがなかったということ。
幾多の戦乱やらもくぐり抜けてきた建造物ですね。
座っていてこの状態では4頭身くらいしかない。
頭がでっかく、首のあたりには補修された部分もあります。

それにしても、民間の盛り上がりで、
こういう仏像を鎌倉に建設しようというような動きって、
一体どういう経緯だったのでしょうか。
同時代には日蓮の鎌倉での布教活動などもあったので、
仏教が民衆的なレベルまで行き渡って、ということなのでしょうか。
そういう動きを受け、勧進者がお金を集めることに成功したということか。
宗教というものと、日本人の関係性について
いろいろな思いを感じさせてくれると思います。






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お好みの天丼

2010年04月01日 06時45分14秒 | Weblog




最近、東京では池袋によく宿泊します。
昔、東京にいた頃にはあんまり縁がなかったのですが、
池袋は埼玉県方面への玄関口機能が大きいのか、
ほんとうに活気がありますね。
というか、駅に降り立って街を歩き始めると
日本語よりも、チャイニーズやコリアンの言葉のほうが多く感じる。
日本人はあんまり集団で、大きな声で話し合うという
そういう習慣がないように感じるのに
ほかの東アジアの人たちは、
けっこう路上で、しかも夫婦喧嘩か、って思えるほどの
大声でやり合ったりしている光景に出会います。
まぁ、微笑ましいというか、すごいなぁと(笑)。

って、そんな雑踏の中にほんの小さな天ぷら屋さんがあります。
北口から1分ほどの吉野家の向かいなんですが、
(店の名前も覚えないというズボラさで・・・)
一度食べてから、ちょっとハマっております。
ごらんの天丼は、まぁスペシャルバージョンで1000円なんですが、
普通の天丼でもボリュームも味もすごい。
店内にはひたすら天ぷらを揚げている日本人のご主人らしき1名と
女性の店員さんはアジアン系で2名ほど。
店の広さはまぁ3坪~4坪程度でしょうか?

天丼って、
この写真のものでいうと、
まずはぶっとくて食べ応えのあるエビが不可欠。
人によっては、エビばっかり4本くらい食べたい人もいますね。
わたしは、エビは1本もあれば充分。
それよりも、やはり穴子や、白身の魚、キスなんかががいい。
それとうまいイカもたまりませんね。
で、付け合わせ的な野菜では、春菊。
っていうような趣味にピッタリなわけです。
天ぷらは、繁盛している店ほどうまいに決まっている。
油をどんどん新鮮なもので揚げられるということなのか、
揚げたてを食べられるから、ということなのか、
まぁ、お好みになってしまっております。
しかし満腹感はすごくて、昼に食べると夜は軽いそばにしたくなる(笑)。
穴子なんて、ふ~とかいいながら平らげるほどであります。

ってまぁ、書いているウチにまた食べたくなってきた(笑)。
普通の天丼が700円で、これでもまったく十分の食べ応えです。
B級グルメ、池袋雑踏編でした。







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