三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

子ども手当認定請求書

2010年04月20日 06時10分58秒 | Weblog




きのう、超お忙しモードで
ようやく家に帰り着いたら、写真のような封書がきておりました。
例の「子ども手当」の請求用紙なわけですね。
ふむふむと読み込んでおりましたが、
この札幌市の様式では、加入している年金についての質問項目があり、
また、健康保険証のコピー(本人と家族全員)を
裏面にのりづけしてください、という案内。
どうして子ども手当支給に、これらの項目が必須なのか、
情報をほとんど確認していないので、
良く理解できないのですが、どうなんでしょうか?
本人確認と言うことであれば、理解はできるけれど、
それであれば、「家族全員」ということがわからない。
さらに「年金」についての項目は、どういう意味合いなのか、
まぁ、忙しいので、書類を整えて出さなければならないのであれば、
はい、わかりました、という次第です。
時間も取れないので、こういう疑問、解決する暇はありませんが、
意味を理解はできません。

っていうようなことになっておりますが、
まぁ、こんな施策があって実行に移されるのは、
やらないよりはずっとマシではあるかも知れませんね。
これまで戦後一貫して、子育てというものに対して
むしろ、社会的には、暮らしがより大変になるような方向でしか、
政治が行われてこなかったと思います。
大企業を育成して、産業振興は一生懸命やってきたけれど、
そのプロセスで、子育ては、基本的な社会目標になってこなかった。
やはり次代を担う子どもを育てることは、
その社会の活力を育てることだと思うのです。
社会全体が、子育てをしやすくするように生まれ変わらなければならない。
このようなキャッシュバックもいいけれど、
本来であれば、子育て世代に対しての減税として実現した方がいい。
そうしたほうが、社会全体が個人に子どもがいる、いない、に関わらず、
子育てに共同の責任を負うことができるようになると思う。

まぁ、わが家はこの制度の誕生とともに
坊主は中学3年生なので、最後の受給機会になるのですが、
有意義に、社会がこの子をいっしょに育てようと
言ってくれたのだと理解して、ありがたく大切に利用したいと思います。
知人に、ずっと前から、里親的に、
家庭での愛情に恵まれないこどもたちを受け入れ続けてきている方がいます。
お話を聞くと、10人くらいの子どもさんをあずかって育てていると言うこと。
そのために、家も自然豊かな環境の場所に建てています。
お母さんが大変なのは自明ですが、
おとうさんも、こどもたちのために自然体験率先垂範生活をしているということ。
まぁ、ガキ大将のオヤジ、っていうところでしょうか(笑)。
親の愛情に恵まれなかったこどもたちのことを聞くと、
ほんとうに心が痛んでなりません。
心が育てられていない、っていうような状態に置かれている場合もあるのですね。
「子ども手当」のことを話題にするのは、
こういうひとには失礼ではあるのですが、
しかし、そんなふうに子育てにポリシーを感じて取り組んでいる方を見ると、
心の底から、頭が下がる思いがしてきます。
そういうひとのためにも役立つなぁと考えると、
遅ればせながら、日本もいい方向に行って欲しいと思う次第です。







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ルーツと歴史のシンクロ

2010年04月19日 17時49分13秒 | Weblog




きのうは、楽しくて楽しくて、
っていう作業に没頭しておりました。
日本の歴史年表のようなものを縦糸にして、
それに、わが家系に関連すると思われる事象を対比的に書き込んで行っている作業。
まぁ、次兄や、叔父たちが収集した事柄、事実や情報を
細大漏らさずに記入していく作業なのですね。
さすがに、自分たちのルーツに関することなので、
先輩のみんな、大変な探求心で探っていると思います。
こうやって調べてくると、実に重層的にみえてくるものがあります。
わが家のお位牌の一番古いのは、
江戸中期のころのものなのですが、
実は、それ以前のものもあったハズなんですが、
大正初年に北海道に移住したときに、
一度には持って行かれず、預けておいた先で紛失したりしていたのですね。
まぁなんとも、もったいない話ではあります。が、
しかし、調べていく内に、さまざまな周辺的な世間との関連性も見えてきて、
司馬遼太郎さんの家系とは、先祖の時代に深く関係があったかもしれません(笑)。
この辺はまだ未解明な部分があるのですが、
推定では、かなり確率が高そうな気がしています。
というのは、司馬さんの書かれた小説の中に
わが家系と、シンクロしている部分が明瞭なのです。
司馬さんの本名は福田さんというのですが、
同じ城で過ごしていた時間があるようです。

戦国期や、幕末期のふたつの時代で、
かなり具体的に調査する足がかりが得られた次第です。
幕末期では、周辺的な社会情勢や、経済の状況なども
伝わってくるような部分も感じられます。
瀬戸内海地域は、北前船交易による活況を呈した経済状況があったようで、
たとえば尾道などは、空前の活況期がこの時代にあったようです。
にしんの金肥によって、木綿生産活動が旺盛なファッション需要を産み、
そのデザイン発信地として、京都の経済が空前に良かったようです。
北海道は、そのような原材料供給地域として
日本の産業を大きく刺激する存在だったのでしょうね。

っていうようなことだったのですが、
本日はGW中に入りそうなスケジュール調整で、手一杯。
節句働きではありますが(笑)、
むむむ、やむをえない、頑張ります。
<写真は、鶴ヶ丘八幡での神前結婚式だったのですが、
どうしても、新郎新婦を写せなかった(泣)、ものです。>





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ルーツと歴史を探る

2010年04月18日 09時43分19秒 | Weblog




わが家は、江戸の頃には広島県福山市近郊に住んでいた家です。
その後、大正の初年頃に北海道に移住しました・・・。
っていうような家系をたどっていくのに、
次兄や、叔父たちが探求活動をしていて、
いろいろな情報が得られています。
そんな手掛かりを頼りに、歴史的な事実と対比するような
年表制作に取り組み始めております。
昔と違って、EXCElという便利なソフトウェアもあるので、
いろいろな知見を取り込み、独自の年表を制作することが可能です。
やはり、社会的な、歴史的な事実関係との対比の中で
その祖先が生きた時代感覚を追体験できるようになると思います。
そんなかでも、つい近年と思っているような年代でも
「あれ、そうか、こういう事柄が起こっていた時代だったんだよなぁ」
っていうような思いにかられる。
まことに人間は忘却の動物であって、
ときに立ち止まって、来し方行く末を観望する必要があると思う。

経済の面では、
父や母が生きてきた時代と、わたしたちが前半生生きてきた時代でも
大きな違いがあると思われます。
第2次世界大戦も、苛烈な時代だったとはいえ、
時間で言えば、その引き金になった「世界恐慌」が1929年で、
最後のポツダム宣言受諾が1945年なわけだから、
15年ほどの間の出来事だった。
同じ時間は、いま生きてきた感覚から言えば、まさに瞬時の出来事。
最近、狂乱地価と言われたバブル退治から今日の
国内産業衰退、閉塞状況が始まったという説が語られている。
それも20年前の出来事であり、
歴史時間で言えば、桶狭間から本能寺の変が22年。
そんなふうに時間感覚を磨いていくことが
どうも今日的な閉塞感の客観的把握には必要なのではないかと
どうもそんな思いが募ってきているのですね。
日本人は、閉塞感が支配的になると過剰に反応する傾向があるけれど
現在程度の困難は、もっとたくさん経験しているのが
日本の歴史時間なのだと思われるのですね。
歴史を知ることは、現在に対して前向きにとらえ返していく
そういう契機になるのではないかと思います。

いろいろなひとが努力を掛けてくれたことを、
こうしてまとめ上げられるというのは、
本当に楽しい作業です。
つい時間を忘れて、すっかりブログ更新が遅れました(笑)。
<写真は幕末当時の江戸の街並みを英国人が撮ったもの>







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解体工事

2010年04月17日 07時55分51秒 | Weblog




先日、家の近くで住宅の解体現場があり、
出勤の途中なので、つい見ておりました。
住宅地の中で、いつも見慣れていた住宅ですが、
失礼ながらあまり印象のない家だったので、
こうやって解体されてしまうと、
さて、どんな家だったか、すぐに思い出せなくなるものですね。
町中の景観って、こういうようなもので、
一度壊されると、記憶までも消えていって仕舞うもの。
住宅にしろ、建築にしろ、
所詮は、人間の勝手な思いこみの中で作られるものですが、
まことに、「諸行無常」を感じさせてくれるものであります。
でも、この解体がなかったら、
当然ながら、新生もないわけで、
次にはどんなものが建つのか、どうなのか、
っていうような気分も起こってくる。
人間、想い出だけでは生きていけない。

日本人が好きなのは、みごとに消え去っていく桜であり、
きれいさっぱり死んでいった、
赤穂義士の忠臣蔵であるっていうことなのか。
ちなみに、吉良邸討ち入り事件が起こった当時、
江戸の世論では、一気に「忠義」の義挙として
賞賛の声が上がったそうです。
犯罪者として身柄をそのように扱った藩には批判の声が寄せられ
急遽、丁重な扱いに変えたという記録がある。
政治責任者である将軍も、
自分の判断ミスから出来した出来事であり、自分への批判という
側面もある事件ながら、こうした世論に押されて
人気取り的な情実処理に大きく傾いていたのだそうですが、
ある宗教者から、
このような義挙を行った人間たちを救うことはいいかもしれないが、
そういう人間たちが、生きていく中では
今後大きな不始末を起こす人間も出てくることがあるだろう。
そうなっては、せっかくの義挙も末節を穢してしまう。
ここは死を与えて、永久に義挙として封印してしまうほうが、
かれらのためにもなるし、忠義心を日本人に植え付けることにもなる、
という論理を諭されたと言うことです。
そして、散る桜のなかでの義士たちの切腹シーンが
日本人の心の中に永久に刻印されることになった。
まぁなかなか、奥の深い政治的決断ではあったのだなぁと
思われるお話し。
出処進退ということで、なにごとか、成せることがあり、
終わると言うことが、いろいろな意味を持つこともあるのですね。

っていうことを書いていて、
まったく論旨が飛びすぎですね(笑)。
単純に、解体現場であります。
でまぁ、小屋裏を見ていて、どうにも断熱材が見あたらなかったんです
・・・、すごい。
ついいままで、北海道札幌で、
こういう住宅で冬を過ごしていた家があったのですね。






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自然木の梁

2010年04月16日 06時35分39秒 | Weblog




写真は、先日の構造現場実測でのもの。
昭和30年代建築のものと言うことでしたが、
梁には、ごらんのような自然木を表面だけすこし削ったような
木材が使われていました。
ほかの材料、柱や床板などには製材加工された材料が使われていたのですが、
この梁だけは、どう考えてもこの周辺から切り出した木材。
製材された材料は、規格に沿った寸法であり、
それを加工して構造を作っていくのはまぁ、単純作業。
ところが、こういう自然木を扱うとなると、
その納め方を相当考えていかなければならない。
乾燥の状態も、自分の目で判断していく必要がある。
大体が建て主が自分で切り出して、天日乾燥しておくのだろうけれど、
部材によっては何年もかけて乾燥させる必要がある。
そうして乾燥させても、こうやって梁材として使うと、
そこからいろいろな変形を見せてくる。
その変形ぶりを、あらかじめ想定し、その変形が構造強度を高める方向に
変化するような工夫していくのが、大工の目利きになるのでしょう。
こういう部分になってくると、マニュアル化のしようがない部分になっていく。
それでも昔からの技術はそういう相伝的な形で継承されてきた。
しかし現代で、こういう自然木を扱うような大工教育を行うのは難しい。
そもそも現場がない。
教育って、ようするにそういった工事が発生してこない現実がある。
現場がなくなれば、大工とはいっても、腕の振るいようも経験の蓄積もあり得ない。
どんどん鈍磨していっている部分なのだと思います。
このような古民家の解体再生というようなことを手がけてきている
武部建設のような動きが、少しでもこういう機会を生み出してきているのですね。
組み方とか、細部の納め方から、見て、それを再生することで
おのずと大工の技量は育っていく。
可能な限りそういう思いを持っている施主さんを生み出していく努力が必要なのですね。
考えてみると、この国のシステムって、
こういう技術の部分に限らず、
さまざまな領域で、継承が難しくなってきていると思います。
段々と、そういう部分に目が行ってしまうようになってきました。

きのうは、同じような時期からブログを書き続けている
FAS工法の福地社長の来訪を受けました。
まことに人間味あふれるお話を聞いていて、
歳の取り方にも、深く教えていただく部分を感じていた次第です。







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iPad爆発的売れ行きか

2010年04月15日 06時14分57秒 | Weblog




アップルから発表があったけれど、

iPad、日本などでの発売を1カ月延期
4月3日にアメリカで発売が開始されたアップルの「iPad」
 米アップルは14日、携帯端末「iPad」の米国以外での発売を1カ月延期し、5月末にすると発表した。同社によると、4月3日に米国で発売されて以来、1週間で50万台以上が出荷されており、「今後数週間にわたって供給能力を超える需要があるものと思われる」と理由を説明している。
日本などへの出荷分については、5月10日に販売価格を発表しオンラインで予約受け付けを始めるという。アップル社は「このニュースに失望されると思うが(中略)、了解いただけることを希望する」とコメントしている。

というような状況のようで、
どうも、初代Macintoshの発売のような活気が
再現されているような気がします。
パソコンという概念をもっともわかりやすくユーザーに知らせ
最初の「使えるコンピュータ」を出荷したアップル。
その後の、真似したWindowsの大成功以降、
その轍を踏まえて、iPodとか、iPhoneとかのデバイスでは
大成功を収めてきている。
そういう成功を積み重ねてきて、
今回のiPadでは、ふたたび大成功しそうな雰囲気になってきている。
残念ながら、日本での出荷は当面遅れそうだけれど、
遅かれ早かれ、このデバイスは、相当広く行き渡りそうですね。

雑誌「TIMEMAGAZINE」のiPad上での動作のビデオが
公開されているけれど、
わたしたち、雑誌編集に携わっているものにとっては
まさに革命的な環境変化になっていくと思われます。
こういう情報が出荷されるようになったら、
無料放送されているテレビなどを見る人はいなくなるのではないか。
ひとびとの「知りたい」興味に即したコンテンツが
時間と空間にかかわらず、自由にダウンロードされ、
きちんと編集された情報が、ユーザーに提供されるように変わる。
テレビコンテンツの中で生き残っていく可能性があるのは
大事件のリアルタイム速報や、ドラマくらいになっていくのではないか。
それすら、インターネットに置き換わるのが合理的と考えられる。
特定のコンテンツ領域についての継続的で
深く追求したコンテンツが、非常に簡便なかたちで提供できる。
どうもそんな変化が起こっていくのではないかと思われます。

パソコンが、ものすごいインパクトで世の中を変えたように
このデバイスは、ふたたび革新をもたらすのではないかと
思われてなりませんね。






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世代交代

2010年04月14日 06時09分19秒 | Weblog




きのうは北海道の工務店組織・アース21の例会に出席。
年に一度の総会と言うことで、
ことしは、創設以来の中心メンバーががらっと交代して
世代交代が行われていました。
わたしも古手のメンバーということですが(笑)、
日本のいろいろな組織ではこういう世代交代というものが
なかなか上手に行われていないような気がします。
中国国家には、いろいろな意見があるところですが、
あの国の指導者交代の考え方、組織論には
ちょっと面白いところがあると思っています。
指導者交代のシステムは外側からはうかがい知れない部分がある。
なんですが、着々と世代交代を常に実現させてきている。
民主主義であれば、選挙というシステムでしか交代は機能しないけれど、
それでは必ずしも、世代交代が実現するという保証はない。
ただ、なんとなく、たとえばオバマさんのような世代が飛び出してくれば
おのずと、変わっていくというようなものである気がします。
必ずしも、「世代交代」が制度として仕組まれているとは言えない。
ところが中国共産党では、
毛沢東・周恩来の世代から、鄧小平、江沢民、胡錦涛と、
世代の変化が、大きな波のように実現していっている。
こういう交代システムには内部の力学とか、
生み出すシステムが存在していると思うけれど、
この部分についての調査報告のようなものは見たことがない。
ことしはじめ、次期の指導者候補が天皇と会見していったけれど、
ああいう、慣例の積み重ね(胡錦涛も就任前に天皇と会見している)
みたいな力学って、やはり中国皇帝権力4000年の歴史的知恵なのか。

ちょっと話が飛びすぎですね(笑)。
まぁ、身近な世代交代であります。
今回も、若い世代にバトンタッチされたわけですが、
そういう中のひとりの方に、お話を聞いていました。
ことし39才だという方ですが、
こういう年代では、「独立開業する」というような人間は実に少ない。
そんな気がしていたものですから、聞いてみると
やはり、同年代で自営独立している人はきわめて少ないと言うこと。
「なんでそんなことするのよ?」と
独立するときには、多くの友人たちから止められまでした、と言うこと。
まぁせいぜいが親を継いでの自営業という2代目が散見される程度。
日本の高度成長期を知らず、ずっと低成長というか
そういう時代に生まれて、それでもなお、夢を持って独立するという
そういう人間が極端に少なくなっているのですね。
一時期、会社の設立については最低資本金額が
大幅に引き上げられた事がありましたが、
世間の見方が偏っている官僚システム政策の結果なのか、
創業意欲というものを大きく若い世代から奪ったように思います。
いまは反省からか、ああいうバカな政策は破棄されていますが、
そういうことへの責任を取った官僚システムは見たことがない。

もうすぐ還暦に近いわたしたちの年代では、なんとなく
今日よりも明日が明るい、という根拠のない夢を
信じている部分がありますが、
若い年代の人には、そういう感覚はないのでしょうね。
国の未来への感覚も、大変覚めてみている部分が大きい。
厳しい時代感覚の中で、しかしそれでも
挑戦していこうという意欲を持っていることはすごい。
大変清々しい気分にさせられた次第であります。





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地方都市中心街の現状

2010年04月13日 06時25分56秒 | Weblog




日本はどんな地域でもそうですが、
アメリカナイズされた車社会的な変化が著しく、
地方都市中心部の「空洞化」が、一様に進行しています。
この問題って、たぶん、輸出産業としての自動車産業支援であり、
そのための過重な社会基盤整備~道路整備という
戦後一貫した社会背景が大きいのではないかと思います。
それまでの「都市計画」が公共交通機関、汽車ネットワークを
基盤としてきたのに対して、道路と自動車というように
大きく舵を切ってきたことが大きかったと思います。
ただし、こういう都市計画的な、
あるいは国家運輸体系についての根本的変更は
必ずしも意図的だったとも言えないでしょう。
本来的に言えば、意図的でもないのにズルズルとこういう価値変換を
野放図に行ってきた不作為の作為は問題化されるべきだと思います。
そう簡単に移動できない建築の側は、
そういう「ルール変更」には容易には対応できない。
地方都市中心街のシャッター街化には、こういう基本問題が潜んでいる。

で、そういう地方都市中心街区で
どんな事態が今後考えられるのかについて、
写真のようなことが起こりうるなぁと、危惧しています。
これは北海道空知地方のある地方都市なのですが、
真ん中の建物は、あきらかに倒壊に向かっていると思われます。
垂直を維持していないことは目に明らか。
原因は明確にはわかりませんが、基礎自体が不同沈下しているか、
土台が腐食してきているのか、
どちらにせよ、いずれ、左側に向かって倒壊する趨勢だと思います。
そうすると、隣家との間隔も狭いのでそちらにも被害が及ぶ。
どうも見た限りでは、どちらの建物も利用されていないようですが、
もしこの状態が進行したら、どんな社会的な問題が起こってくるか、
建築としては単純な倒壊現象ですが、
この建物の所有者は、隣家所有者から訴追されるかも知れませんね。
それ以前に、行政的な罰則が発生するかも知れない。
そうした恐れは、こういう状態であれば明らかに察知できるはずなのに
対処していないということは、所有者の特定も困難なのかも知れない。
まぁ、いろいろな事態が想定できてくるのです。
ちょっと恐ろしいなぁと思いつつ、
しかしこういう現実は至る所で進行しているとも思えるのですね。
暗澹たる思いをさせられた次第であります。






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木組みの構造

2010年04月12日 06時29分41秒 | Weblog





日本の木造工法は、いわゆる在来工法といわれますが、
現在は、鉄筋配筋されたコンクリート布基礎の上に
防腐土台を据え付け、それを基礎と緊結させています。
そして、柱と梁で構造を組み上げていって、
地震などへの耐久性を高めるのに「筋交い」を軸間にX状に入れるか、
もしくはツーバイフォーのように構造用合板面材を張り付けるなどします。
こういう工法とは別に、「伝統木工法」と呼ばれる建て方があって
「石場立て」と言われる工法では、
基礎として置かれた石に直接垂直に柱を立てていきます。
それらの垂直材に「貫」という水平材を掛けていって
構造を作っていく建て方もあるワケです。
その場合には、土台もないわけです。
おととい見学してきた建物では、その折衷的な建て方をしておりました。
基礎と土台は緊結はされていません。
基礎は束基礎を立てて、そこに土台を渡していって、
柱は土台に組み込ませて立ち上がっています。
しかし、その柱に対して水平材の貫が渡されているのです。
この建物の大工さんが、そういう独特の工法を採用していたのか、
何らかの理由があったのでしょうか。
一定間隔に渡された貫は、
視覚的にも、バランスが良く配置されている感じがいたします。
柱は4寸材が使用されていて、いわゆる作事小屋がけとしては
しっかりとした建て方だと感じます。
貫と柱の緊結部分では、木材同士を組み合わせるように
嵌め込んでいるのですが、
それを補助するように楔状の補強材も使われていました。
本格的な木造建築では、本来は、
しっかりした填め込みの仕口を考えて造作するのでしょうが、
このあたりは、まぁ用途も考え、簡易な仕上げになっているのでしょうか。
柱と自然木の梁とを結合させる部分の仕口も工夫が感じられます。
現代では、こういう木工法はとくに北海道ではほとんど建てられない。
「石場立て」というような建物は
もし復元してくださいと言われても、どのように設計したらいいのか
どのように施工すべきなのか、
江戸期から残っているような建物でこういう工法のものは
たぶん、復元作業は大変難しいのだろうなぁと思います。

全体の骨組みを見るとバランスは取れていると思われます。
よく男性が家づくりで、こういう構造を見ているのが好きで
壁を作り、仕上げを始めたら興味が失せていくという話を聞きます(笑)。
骨組みの豪快さ、非日常性に比較して
仕上げの部分は大変日常的な部分なので、
だんだん女性的感性の部分に移っていくものなのでしょうね。
こういう「どう建っているのか」という興味分野、
見ていると、そういう感覚がよくわかるなぁと思いますね。






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民家の構造実測作業

2010年04月11日 09時04分57秒 | Weblog




写真は岩見沢市栗沢の郊外・農家納屋。
北海道で古民家再生事業に取り組んでいる
武部建設さんの公開実測現場であります。
現地は東南に面したなだらかな斜面にあたり、
まだ寒風の吹く中、実測作業を行っていました。
この建物は昭和30年代前後と推測される建物ですが、
生活していない建物だったようなので、保存状態は比較的良く、
このように構造に還元して、いま、建っている状態での実測を行って
今後の活用に役立てようということだそうです。
北の民家の会、というNPO組織の関係から
札幌市立大学・羽深先生と教え子さんたちも来ていました。

古民家再生の現場って、なかなか見る機会がないし、
また、構造に還元した状態での建物の見学というのもなかなかない。
ちょうどきのうはわが家の近隣でも解体作業を行っている現場もあって
そういう日柄だったようです(笑)。
作業を指揮していた武部建設・武部社長によると
こういう現場を重ねてきていると、
日本の建築というのは雨・水分との戦いが
サスティナビリティの基本であったと知らされると言うこと。
いかに湿気を建物から遠ざけるか、
水分を建物構造に触れさせないか、ということに
先人たちがいかに知恵を重ねてきたのか、ということがわかると言います。
この建物は、主要な部材は製材された材料を使っていますが
基本は4寸柱。そして作業面積を広く確保するために
周辺の山から切り出したであろうと推測される自然木が
梁・横架材として多数、利用されていました。
基礎は束基礎ですが、コンクリート成形材であり、
土中に埋め込んでありました。
その上に、土台が渡されていました。
基礎と土台は緊結されていないので、
建物はその上に乗っかっているだけ、ということになります。
地震などに対しては、その力を逃がすように工夫されている工法です。
構造自体は、柱と梁と、貫と言われる補強が施された工法。
これは、神社の鳥居の真ん中部分の貫通材のようなもので、
柱等の垂直材間に通す水平材のこと。
ということで、いわゆる伝統木工法で建てられています。
いわゆる在来木造工法とは違って、
筋交いというつっかい棒のような部分がない建て方。
先般、この貫による構造耐力実験を見せてもらいましたが、
筋交い入りの建物とは、全然レベルの違う構造耐力がありました。

築後40年以上経過しているようなのですが、
構造材を見る限り水分含有も少なそうで、
土台の一部に劣化が見られる程度です。
しかし、こうした構造還元された状態の建物って
建築というものが基本的に
数学的知恵の集合体であると伝わってくる気がします。
そしてそれは合理性をたたえた美しさが基本であると認識させてくれる。
正直でまっとう、と言いかえてもいいかもしれない。
構造のディテールを見ていると、この建物を建てた人たちの
考えていたことや思いというものが、直接的に感受される。
「あぁ、こうやっていたんだ」って、見えてくる瞬間ですね。
そういう意味では、時空間を簡単に超えて伝わってくる部分がある。
建築の奥行きというものに触れる思いがします。
何回か、ディテール写真を紹介しながら、
そんな部分を追体験できたらと思っています。






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