5月30日に西国四十九薬師霊場の和歌山方面の4カ寺(12.13.14.15番)のお参りに行きました。
朝の7時に京都駅を出発して、和歌山県海南市の12番、禅林寺。
この寺は聖武天皇の勅願寺です。
千二百五十年前に唐の青龍寺の僧•為光上人が勅願所として建立しました。
後に豊臣秀吉の兵火で全焼しました。
その後、再興されて、今日に至っています。
秘仏の薬師如来は33年に一度のご開帳で令和10年にご開帳されます。
お前立の薬師如来坐像
お厨子の中の秘仏の本尊の薬師如来は33年に1度の御開帳で、令和10年に御開帳されます。
十一面観音像
ぼけよけ地蔵尊
足神、神経痛やリョウマチにご利益が在ります。足を丸出しの神様。
十一面観音像
ぼけよけ地蔵尊
足神、神経痛やリョウマチにご利益が在ります。足を丸出しの神様。
★堺市に行き早めのランチです。
特選幕の内弁当
ほんとに全部、美味しいです。
特に、白味噌仕立ての具沢山味噌汁はお代わりが欲しいほどでしたね。
★大阪市西区の15番、家原寺(えばらじ)
智慧の文殊で合格祈願のお寺です。祈願ハンカチ。
行基菩薩(668~749年)の誕生の地のお寺です。
全国各地行脚して、飛鳥、奈良時代に活躍した僧侶です。
本尊薬師如来坐像は非公開です。
行基菩薩は聖武天皇の大佛の建立に全国行脚して資金を集めました。
ぼけ防止観音様の龍の飾り物が見事です。
あちこちが工事中で、建設現場のようてすが、広大な敷地には立派な三重塔が聳えます。
★大阪府羽曳野市の14番、野中寺(やちゅうじ)は飛鳥時代に聖徳太子が建立したと伝わる。
本尊の薬師如来は秘仏で公開されていない。
境内の奥には浄瑠璃や歌舞伎でお馴染みのお染、久松の供養塔が在ります。
★大阪府南河内郡の13番、弘川寺(ひろかわでら)、天智4年(665年)に役行者により開山。
歌人•西行法師(1118~1190年3月31日)の終焉の地。
西行の歌、
弘川寺の草庵にて
麓まで唐紅に見ゆるかな
さかりしぐるる葛城の峰
訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて煙を立つる弘川の里
歌僧似雲法師は享保17年(1732年)2月16日に西行の古墳を発見
願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ
西行
良寛和尚は西行法師の墓にもうでて、
たをりこし花の色香はうすくともあはれみたまひ心ばかりは
良寛
西行法師を慕っていた、1644年生まれの芭蕉は弘川寺の近くを通ったがその時はまだ西行の墓は発見されていませんでした。
左下の歌碑は
佐佐木信綱氏筆の西行の歌。
仏には桜の花を奉れわが後の世を人とぶらはば
古つかをまかづる頃よ夕立ぬ
弘川の村をぬれてや行かむ
釈 迢空
西行記念館には西行法師にかかわる貴重な資料が多数展示してある。
西行終焉の地へ私もいつか行ってみたいと思います。
お早ようございます
弘川寺は5年前に短歌の吟行で桜の4月に行きましたが、その時は緊張してたので余り伸び伸びと見学できませんでした。
今回は薬師如来巡りのツアーの先達さんがとても優秀な方なので各寺院を伸び伸びと見学してます(京都駅を7時に出発だと、5時頃の電車にのりますから、きついですが)
西行法師がここらを歩いていたのかと感慨にふけりました。