4月18日は38回目の結婚記念日。
私はお見合いで結婚し、大阪に嫁ぎました。
私30代と主人40代のお見合い結婚でした。友人達に子連れの再婚同士かと冷やかされましたが、晩婚の初婚同士でした。
4月に結婚して、主人の両親と同居でしたが、結婚当初、義父母は入院中でした。
2ヶ月後の6月には義母が病院で80歳で亡くなりました。
義父とは12年共に暮らしました。享年85。
義父は愛媛県人でしっかりとした、優しい人でした。
強い人は他人に優しいと言いますが、義父がそうでした。
その子の主人も優しい人です。
先日、私が留守の時、短歌の先生から電話が架かり、
主人は「家内は出かけてます。12時頃に帰ります。」と言っただけなのに、
先生は「優しい御主人ね。貴女は大切にされてるのね」と言われた。
先生は何度も電話で主人の声を聞いてらして、いつも
そう思ってらしたのでしょう。
先生も友人達も主人に会ったことがないのに、皆さんが優しい御主人ねと言われる。
★主人は昨年の10月に腸閉塞改善に大腸の手術をしまして、半年が経ちました。
順調に回復してます。
主人の日々の暮らしは、
①朝晩のミー姫のトイレと餌の管理。
②リコの作る7種の野菜スープを1日1回飲みます。
③とにかく、主人はよく家事をします。朝と昼の食後の片付けの食器洗い。
1Fの掃除機掛けの掃除と換気。
2Fは私の部屋なので私が管理します。
④主人は自分を律するのに気力•体力を使っています。
○持病ある八十路の夫は精神の若さで体をシャキと保つ 涼風
穏やかな主人も脳梗塞(67歳)の起る半年くらい前から、時々、イライラすることがありました。発病の兆しだったと思います。
⑤庭の履き掃除。私が手入れした草木の片付けもしてくれます。
81歳の主人のご厚意に甘え過ぎなので、もう少し、私がする家事を増やします。
私の外出を減らす。
お参りは月2回と短歌の歌会に整理しました。
昨日、短歌を8首詠草にしましたが、内6首の駄目出しが有りました。
私の詠草は、
我が歌は
想いの丈を
詠むばかり
独自の視点は
どこにもあらず 涼風
短歌道の作戦会議は道半ばです。
リコです
裕子さんは御主人が彼女の大ファンだったので、ノビノビと歌が詠めたと思います。
上手下手は別にして、やっぱり歌が好きでないといけませんね、
私は情熱の点が少なかったので、貴女のコメントに元気が出て、更に良い歌が詠める様に努力しますね。
又、色々教えてください
そういうご性格なのでしょうね。
ご主人はお優しいと書かれていますが、リコさんはしっかりされていらっしゃるから、良い取り合わせのご夫婦であられるのではないでしようか。
私の歌を褒めてくださいまして恐縮です。私のは思ったことを技巧を凝らさずにそのまま詠いますから散文調です。
これは晩年の河野裕子さんの影響もあると思います。河野裕子さんはお若い頃は形の良い引き締まった歌を作られていましたが、晩年になると永田和宏先生と共に破調が多くなられました。
寒の夜を頬かむりして歌を書く
わが妻にしてこれは何者
この歌は破調ではありませんが、ずいぶん自由に詠っていられますよね。
裕子さんは激しいところもおありでしたが、この歌で夫くんに詠われているように面白いところもおありでした。笑い上戸でもあられましたし…。
歌が好きで好きでたまらないという方でした。
晩年には御本人も言っておられましたが、正直に詠おうとすると破調になってしまうとか。
私の前にお習いしていた先生は、裕子さんのこうした破調の歌を評価していませんでしたが、これは研ぎ澄ました歌を歌い尽くしてから行き着いた詠い方であったのかもしれません。
私は貴女の様にしっとりとした歌が詠めませんので、元気で生活に根付いた歌を読む事にしてます
が、なかなか、上手くいかないで、自分だけ解る歌が今月の8首詠草に多くあり、今、推敲を終えました。
最初からそう詠めば良いものをなぜだかそうならない。
夫の永田和宏さんの歌に詠草中の河野裕子さんを詠んだ歌、
寒の夜を頬かむりして歌を書く
わが妻にしてこれは何者
私は歌に対する熱意が足らないようです。