つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

プラスチックLOVEの末路。

2021年05月16日 09時52分52秒 | 日記
             
こうして拙文を打ちながら周囲だけを見回してみても「それ」を探すのは実に容易い。

PCのキーボード、マウス。
メガネのフレーム、レンズ。
電源タップ、ケーブル類、電気スタンド。
ペンケース、ペン、消しゴム、定規。
錠剤ケース、リモコン。

僕たちは「プラスチック」に包囲されていると言っていい。

プラスチックが産声を挙げたのは19世紀。
最初に工業化されたのは「セルロース」を原料とするニトロセルロース(セルロイド)だ。
以来、ベークライト、ポリ塩化ビニル、ナイロン、ポリエステル、発泡スチロール ---。
様々なプラ素材が開発された。
爆発的な拡大の要因は、戦争。
銅やアルミ、鉄などの金属類が軍事物資に回された結果、代用として注目が集まる。
第二次大戦後、安くて便利なプラスチックは、
ありとあらゆるモノになって、家庭内へ大挙押し寄せた。
そして、外へ溢れ出し大きな問題を引き起こしているのは、ご存じのとおりだ。



画像は、わが津幡町のリサイクルステーション。
ここが問題の発生源になっている訳ではない。
ここに山と積まれた「食品トレー」や「ペットボトル」など、
僕たち自身が生み出す「プラゴミ」が、大問題なのだ。




近年耳にする機会が増えた「プラゴミ」による海洋汚染。
海に捨てられたプラスチックが分解(水と二酸化炭素、メタンなどに無機化)されるには、
数百年から数千年かかると言われる。
天然の有機物とは異なり、合成ポリマー(高分子)であるプラスチックは、
安定構造で驚くほど丈夫だからだ。
劣化して微細化し、肉眼で見えなくなっても、プラスチックであることに変わりはない。
マイクロプラスチックは、浅海から深海まで、近海から極地まで、どこにでも存在している。
何世紀にも亘って、海に残り、漂い、沈殿するプラゴミは、生態系を破壊し続けている。



こんな記事を書く気持ちになったのは、
先日、ある環境保護活動団体の人と話をしたのがキッカケだ。
その団体の漂着ゴミ調査によると、大西洋のバミューダ諸島のビーチで、
「津幡町」表記がプリントされた「100円ライター」が発見されたという。
最初は驚いた。
何しろ、何万キロも離れた遥か彼方なのだ。
が、すぐに思い直した。
漂流経路は想像もつかないが、海はつながっている。
プラゴミは長い旅路の果てに辿り着いたのだと。



今、人類は新型コロナウイルスに脅かされている。
地球にとって見過ごせない脅威は、プラゴミに代表される人類起因の環境破壊。
それは、ある意味、自分達の首を絞める自殺行為にも等しい。
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コロナとツバメとワクチンと。

2021年05月15日 18時45分45秒 | りくすけ
              
ここ一週間あまりのうちに、ステージが上がった。

きのう(2021/05/14)、石川県に国の「まん延防止等重点措置」適用が決定。
県独自の緊急事態宣言の期間も延長。
すでに金沢市の飲食店に求めている時短営業に加え、酒類提供の終日自粛。
大型の劇場や映画館、体育館などの施設の時短営業要請の延長を決めた。

ご意見様々あるだろう。
しかし、冷静に考えてみて欲しい。
石川県では、大型連休後まもなく新規感染者は過去最多の80人を記録し、
以降も高い水準を保っている。
今月だけで20人以上が亡くなった。
これが現実である。
「まん防」にどれほどの効果があるか分からないが、やむを得ない。
今月末~来月初頭に予定されていた聖火リレーは、公道での実施を中止。
やはり、無理だったのだ。



わが津幡町でも、ご高齢の方々(65歳~)へクーポンが送付され、
ワクチンの集団接種が始まっている。
まだまだ、町の人口における接種済み割合は低い。
まだまだ、雌伏の時は続くようだ。



仕事を別にすれば、お出かけは「散歩」がせいぜい。
今朝は、田園上空を盛んに飛び交うツバメに遭遇した。
何とかカメラに収められないものかとシャッターを切るも、
僕の拙い腕、スマホカメラでは上掲の画像が精いっぱい。
小さな鳥の影がお分かりになるだろうか?

バイパス高架下に、複数の巣を観止める。
どうやら、田んぼから泥や藁くずを拾い集めて、巣作りの真っ最中らしい。
--- この小さな渡り鳥に関わる事にも、新型コロナの影響が出ている。



石川県は、全国の都道府県で唯一、全ての公立の小学校などが参加して、
ツバメの生息状況調査を、昭和47年(1972年)から毎年、実施していた。
今年も、5月10日から始まった「愛鳥週間」に合わせ、
小学6年生が調査を行う予定だったが、県内で感染者急増を受け、中止。
実施以来、初めて中止となった去年に続き2年連続となった。



さて、わが愛犬「りくすけ」は、本日、7種混合ワクチンを接種した。
ジステンパー、インフルエンザ、伝染性肝炎・気管支炎などの予防のため。
併せてフィラリア予防薬をもらい、健康診断も行う。
毎年、この頃の恒例行事だ。
時節柄か、受付カウンターにて呼び出し機をもらい病院の外で待つことしばし。
院内に入り、諸々手をかけてもらった。



注射を打つ時は、観念した様子。
まばたきせず、こちらをジッと見つめる。
これまでは甲高く一吠えしたものだが、今年は大人しい。
我慢強くなったか?
それとも寄る年波から痛みに鈍くなったか?
とにかく、これからも元気で長生きしてくれ。
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花の色は 違(たが)ひにけりな かげひかり。

2021年05月09日 19時19分00秒 | 自然
          
哺乳類は、動物全体にすると「目が悪い部類」だ。

犬や猫など多くの哺乳類は嗅覚・聴覚が優れていて、
色の識別が生きるための必須条件ではないと考えられている。
僕たちヒトは色を見分けることができるが、これは猿から進化する過程で、
食べ物を判別するために獲得した能力なのだそうだ。

一方、鳥類や昆虫類は、人間が感じる波長の範囲を超え、
紫外線も色として認識できる。
例えば、人間が黒一色と捉えるカラスは、
鳥の目からすれば、オスが赤っぽく、メスは紫色なんだとか。



盛りを迎えたツツジ。
清潔感に溢れた鮮やかな「白」は、一説によると鳥や虫的には「ライトブルー」らしい。
更に、花の中央部が紫外線を多く吸収していて色濃く映るらしい。
花は虫や鳥を受粉に利用するため、
蜜の在りかを分かりやすく示し関心を惹いているのだ。

また、植物は、種(たね)を離れた場所に運んでもらう仕組みも持っている。
それが果実。



果実と一緒に種(たね)を食べてもらい、糞として排泄されることで、
遠い何処かで新たな芽が吹く。
できるだけ生息場所を拡散させた方が、
種(しゅ)を途絶えさせず生き残る可能性が高まる。
動けない植物のサバイバル戦略だ。

画像は、近所の公園で撮影した「ヤマザクラ」の実。
春に花をつけ、初夏に黒く実が熟す。
--- ということは、前述のカラスの例えに沿うなら、
黒い実は、鳥には赤や紫に映り目立つのかもしれない。

赤は赤ではなく、黒は黒とは限らない。
世界は、人が見ているものが唯一無二ではないのだ。
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杜(もり)でみる過日の幻。

2021年05月08日 21時30分00秒 | 日記
             
日本の神社や寺の多くは「緑」が対(つい)を成す。
寺院が、仏教思想の影響を受け「庭園」として発展したのに対し、
神社は、枝打ちや清掃はされているものの割と自然に任せている印象だ。

カシやシイなどの常緑広葉樹。
イチョウに代表される広葉樹。
スギをはじめとした針葉樹などが混在している。
杉は社の建て替えの際、建築材料に転用でき、
イチョウは防火用として役に立つ。
カシやシイは地に根付いているケースが多いと聞く。

津幡町には、昭和42年(1967年)に、
町の天然記念物に指定されたスダジイに囲まれた神社がある。
今日午前、買い物に出掛けた時に、足を延ばしてみた。



素戔嗚尊(すさのおのみこと)/伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀る「出雲神社」。

『同神社の鎮守の森には、その広さが約700平方メートルもあるスダジイの原生林があります。
 自生するスダジイの樹齢は約600年経っているといわれ、
 直径30センチもあるフジヅルがからみついた古木がその歴史を物語っています。
 昔は天狗が住むといわれたほど、鎮守の森は昼間でもうす暗く、
 境内周囲のたたずまいとは別天地のようです。』
(※津幡町観光ガイドより引用/抜粋)









訪問時は良く晴れ、強い風が吹いていたのだが、
社叢(しゃそう)の中に入ってしまうと実に静謐で、昼でも仄暗い。
確かに別世界のよう。

残念ながら、天狗にはお目にかかれなかったが、
幾つか石の意匠に目が留まる。



台座に「昭和九年九月寄進」と刻まれた狛犬。
つまり90年近く風雪に耐えてきたわけだが、
美しく保たれているのは、やはり杜のお陰か?



側面に「昭和三年十一月十日」と刻まれた素朴な石碑。
昭和天皇即位礼を記念した「御大典記念碑」だ。
設置当日は、昭和の幕開けを祝い、
ここでも万歳!万歳!が木霊したのかもしれない。



盤持石(ばんぶちいし)。
かつてはコレを持ち上げて吉凶や願い事の成就を占ったり、
男子の鍛錬や、力試しの娯楽などで使われたりしたという。
石の重量は、米の体積を表す「斗(と)」や「石(こく)」になっている。
1斗≒18キロ。
1石=10斗≒180キロ。
農作業、林業など肉体労働に従事するには、頑強でなくてはならない証である。
今の僕にはとてもリフトアップできない---。

先輩、参りました!
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初夏、川のある風景。

2021年05月05日 14時30分00秒 | 日記
          
拙ブログに度々登場する「津幡川」。
いわゆる「二級河川」で、管理は石川県が行っている。



清流とは呼べない。
広大ともいえない。
だが、僕は好きだ。
物心ついてから数えきれないほど、その川面を見つめてきた。
今も定番の散歩コースになっていて、
春夏秋冬、変化する川の姿を楽しんでいる。
今回は、初夏の津幡川の風景について投稿したい。



かつては暴れ川として大きな水害をもたらした時代もあったが、
治水が進み、すっかり大人しい流れになった津幡川。
1年半ほど前「河川管理用通路」が整備され、川べりを歩くことができる。
人が手入れなどしていない土手の草むらには、
ヒナギキョウ、センニンソウ、クズ、ミヤコグサなど様々な花が咲く。
生きものもそれなりに見かける。



少々小さいが、画像真ん中あたり赤い丸で囲ったところにいるのが、
「ベニシジミ」だ。
赤地に黒褐色の斑点がある小型の蝶が分かるだろうか。
角度によって銅のような金属光沢を放つ。
今は春型で、明るい赤橙色の翅(はね)をしている。



川の側に建つ、川尻の「住吉神社」。
本殿前には立て札があり、次のように書かれている。

「住吉神社の伝説
 住吉神社の祭神は庄村の住吉神が津幡川を蕪(かぶら)の葉に乗って
 川尻村へ流れついたという。
 村では川上の庄村へ送り届けたが、しばらくするとまた漂着し、
 当地の「クロベエブチ」(現在地)に落ち着かれることになったという。
 住吉の神様は海上航海の神といわれる。
 川尻村は河北潟や津幡川の水運に深く関わってきた集落であり、
 勧請の神としてふさわしい神様であるといえる。
 昭和初期頃まで、毎年三月八日に「蕪まつり」が行われていた。」

神様が何故「蕪の葉」を選んだのかは謎だ。
当時はカブ栽培が盛んだったのだろうか?
「蕪まつり」、どんなフェスだったのか?
ぜひ見てみたかった。

クロベエブチとは、おそらく「九郎兵衛淵」。
大洪水の際、九郎兵衛さんが人柱になって災害を防いだことから、
この名が付いたんだとか。
庄「住吉」の神様は、九郎兵衛の献身を不憫に思いやって来たのかもしれない。



川の側、早苗が揺れる田んぼ。
泥には田植え作業をした人の足跡が残っている。
暫くジッと観察していると、
水中には小さなゲンゴロウやタニシ、水面にはアメンボが動き回っているのを見止める。
これもまた豊かな自然なのである。
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