船舶特攻隊少年兵 広島被爆救護任務についた 「直接被爆」でなく「入市被爆」した兵士たちの歳月 被爆体験を封印せざるを得ない世間の風潮。アメリカも空間や土壌の残留放射線を認めなかった 。
終戦73年 不戦の誓い
改憲阻む力、大きく 千鳥ケ淵で平和遺族会
(写真)花を手向け、戦没者に手を合わせる人々=15日、東京都千代田区
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-08-16/index.html
平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会(平和遺族会)は15日、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で亡き肉親に思いをはせながら献花しました。26人が参加しました。平和遺族会は、戦争につながる行為に反対し、遺族の生活向上や諸要求の実現を目指して活動しています。同日の朝、後楽園駅の周辺で、宣伝活動。島田初代会長は、マイクを手に「戦後の73年間を、日本は憲法第9条の下、平和を保ってきました。これからの世代の人びとに、戦争しない、平和な日本を残したいです」と訴えかけました。今年初めて献花した男性(77)=東京都中野区=は、1945年7月15日に、父親がフィリピンで戦死しました。「私たちの活動は、今が踏ん張り時です。一人でも多くの人に戦争の事実を伝えて、安倍政権が進める憲法改悪の動きを止める力を大きくしたい」と語りました。父親が戦艦武蔵の乗員だった女性(82)=さいたま市=は、戦争は残された家族の人生を永遠に狂わせると語り「中学生の時、日本国憲法を習いました。その時もう日本は永遠に戦争しないんだと希望を感じました。でも現在、安倍政権によってそれが脅かされていることに恐怖を感じます」と話しました。2018年8月16日(木)
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不戦の思いを次世代に 終戦の日の言葉から
きのうは平成最後の「終戦の日」でした。あの八月十五日から七十三年。昭和の戦争の記憶は不戦の誓いとともに、次の世代に語り継がねばなりません。
あの日も暑い一日だったことでしょう。気象庁の記録によると東京の最高気温は三二・三度、名古屋は三六・五度。一九四五(昭和二十)年八月十五日のことです。
三七年の日中戦争から始まった長い戦争は昭和天皇の「聖断」で終わりました。国民は正午の「玉音放送」で終戦を知ります。
あれから七十三年。今年も政府主催「全国戦没者追悼式」が東京の日本武道館で行われました。
歴代首相「加害と反省」
戦争の犠牲者は、日中戦争後に戦死した軍人・軍属約二百三十万人と米軍による空襲や広島・長崎への原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約八十万人の合わせて約三百十万人。これは日本人だけの数で、日本が侵略した近隣諸国や交戦国の犠牲者を加えれば、その数は膨れ上がります。
政府は、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めます。戦没者を悼むとともに、平和国家としての道を歩み続けると誓うことも、追悼式に課せられた重要な役割なのです。
だからこそ日本は戦争を起こした過去を反省し、再び軍事大国にはならないと発信し続ける必要があります。
とはいえ、時の首相が追悼式で、アジア諸国への日本の加害責任を認めるまでには長い時間がかかりました。損害と苦痛を与えた主体を「わが国」と明確にして加害と反省の意を表したのは、二〇〇一年の小泉純一郎首相が初めてです。
「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
それ以降の首相は小泉氏を基本的に踏襲し、八月十五日に加害と反省の意を表明してきたのです。
謝罪と距離置く安倍氏
安倍晋三首相も第一次内閣の〇七年には小泉氏同様、加害と反省に言及しましたが、政権復帰後の一三年からは触れていません。
今年の式辞でも「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い…」と述べてはいますが、加害と反省に言及しないのは六年連続です。
なぜなのでしょう。
安倍首相は戦後七十年の一五年八月十四日に閣議決定した首相談話で「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と述べつつ、その前段では「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも明言しています。
追悼式の式辞で加害と反省に言及しないことは、謝罪を続ける必要はない、という本音の表れなのでしょうか。これでは加害への反省を忘れたかのように受け取られても仕方がありません。「歴史と謙虚に向き合い…」との言葉も、虚(うつ)ろに聞こえてしまいます。
安倍内閣が一三年十二月に定めた「国家安全保障戦略」では「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」「こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」と、日本の進むべき道を明確にしています。
国際社会からの高い評価と尊敬を確固たるものにするには過去を振り返り、自省し、二度と戦争をせず、再び軍事大国にはならないという決意を、終戦の日という節目に、指導者自ら発信し続けることが必要なのです。
安倍首相はしばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ、世界の国がそれぞれ努力し、平和で安定した世界をつくろうと協力し合っている」と言います。
しかし、平和を強く願う気持ちを言葉にしなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。平和とは相互信頼が不可欠なのです。
陛下はお言葉で「反省」
日本国民統合の象徴である天皇陛下は、今年の追悼式のお言葉で「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と述べました。陛下は戦後七十年の一五年以来、お言葉に「反省」の文言を盛り込んでいます。
国政に関する権能を有しない天皇の気持ちを推察することは慎むべきでしょうが、「反省」の文言からは、不戦への強い思いがうかがえます。
平成の八月十五日は今年限りです。昭和の戦争を平成の時代も語り継いだように、さきの大戦への深い反省と不戦の思いを、次の時代にも語り継いでいくことが、今を生きる私たちの責任です。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018081602000132.html
不戦、時代超え誓う 平成最後の終戦の日
全国戦没者追悼式でお言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま=15日午後、東京・日本武道館で
終戦から七十三年となり、平成最後の「終戦の日」を迎えた十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で開かれ、参列者は不戦の誓いを新たにした。戦争体験者の高齢化で記憶の伝承が課題となる中、各地で語り継ぐ試みも始まっている。退位を控える天皇陛下は、お言葉に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」との一節を加え、四年連続となる「深い反省」という言葉とともに強い思いを示された。安倍晋三首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と述べたが、アジア諸国への加害責任には触れなかった。
厚生労働省によると、式典には全国の戦没者遺族約五千二百人が参列したが、配偶者は数えるほど。兄弟姉妹も多くが八十代を超えている。
二〇一五年の時点で戦争を知らない七十歳未満が日本人の人口の八割を占めている。体験者の生の声を聞く機会が減っていることを受け、被爆地の広島市は一二年から、長崎市では一四年から、被爆者から聞いた話を語り継ぐ「被爆体験伝承者」「家族・交流証言者」制度を始めた。厚労省も一六年度から戦没者遺族らの話を伝える語り部育成に乗り出すなど、語り継ぐ取り組みが始まっている。
即位以来、皇后さまと参列を続けてきた天皇陛下にとっては最後の追悼式。来年からは、一九三三年生まれの天皇陛下に代わり、戦後の六〇年生まれで来年五月に即位する皇太子さまが参列する。
安倍首相は式辞で、戦争の惨禍は繰り返さないとした上で「歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります」と述べた。加害責任に言及しなかったのは、第二次政権発足後の一三年の式典から六年連続となる。
式典では、正午の時報に合わせ参列者が黙とう。父親を南方戦線で失った宮城県石巻市の鈴木喜美男さん(75)が遺族を代表し、追悼の辞で「世界の平和、命の大切さを後世に受け継ぐため努力を続ける」と誓った。
追悼の対象となるのは、戦死した軍人・軍属ら約二百三十万人と、空襲や広島、長崎の原爆投下、沖縄戦などで亡くなった民間人約八十万人の計約三百十万人。参列した遺族の最高齢は、夫が四五年に沖縄県で戦死した東京都の芹ケ野春海(はるみ)さん(百二歳)で最年少は二歳だった。
◆天皇陛下お言葉全文
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に七十三年、国民のたゆみない努力により、今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018081602000065.html