対談 鳩山友紀夫 × 高野孟
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「新元号」でマスコミが報道しない元号のイデオロギー的本質! 元号強制は日本会議前身団体の圧力の結果だった
元号を私物化した安倍首相だが…(首相官邸HPより)
いよいよ本日、新元号が発表される。この間、あらゆるメディアが連日のように元号予想やアンケートを実施。狂騒曲とも言えるような報道を繰り広げてきた。そして、きょうも元号発表に向け、各局が大型特番を組んでいる。NHKは朝ドラ後の8時15分からすでに、3時間に及ぶ大型特番の放送が始まっている。しかも、スタジオ解説に、宮内庁担当だけでなく、なぜか安倍御用記者の岩田明氏子まで起用する始末。この間、本サイトは安倍首相の元号私物化の動きを指摘してきたが、“安倍様のNHK”がそれを証明したと言えるだろう(ちなみに『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でも、御用ジャーナリスト・田崎史郎氏が解説)。
しかし、今回の元号については、この安倍首相の私物化以外に、マスコミが一切報じなかった本質的な問題を指摘しておくべきだろう。それは元号が本当に必要なのか、という問題だ。
現実的に考えて、元号は非常に不合理だ。日本の官公庁や公的機関の書類は、基本的には元号表記であり、公的には元号使用が強制されている。しかし、元号は国際社会にはまったく通用しないうえ、日本国内でも西暦が完全に定着し、国民生活では西暦が中心になっている。そのため、ことあるごとに元号表記を西暦に、あるいは西暦を元号に換算する必要が出てくる。
しかも、改元にあたっては当然、政府や民間のデータベースやシステムを「平成」から新元号に刷新せねばならず、その対応には膨大な手間と費用を要する。さらに、問題なのは、元号が持つ意味だ。元号とは暦の一種で、歴史学では、支配者や指導者が空間(領土や民衆)のみならず時間をも手中におさめようとしてつくられたものと考えられている。代表的なのが中国であり、周知の通り、日本の元号も大陸から伝播したとされる。語源が『漢書』など中国の史書からとられていることは有名だ。
右派は「元号は日本の伝統」などとしきりに口にするがようするに中国由来なのである。しかも、現在の一世一元、民間への元号強制は、明治から終戦までの天皇制国体イデオロギー体制の遺物でしかない。
『日本書紀』によると、孝徳天皇の「大化」(646年)が初めての公式な元号だとされる。元号は現在の「平成」まで北朝を入れると約250もつくられた。日本の天皇は明仁天皇で125代に数えられている。つまり、単純換算で元号は天皇の人数の2倍の数ある。
なぜか。元号は、政治的混乱、飢饉や天災、その他諸々の理由をつけては頻繁に変えられていたからだ。大衆は必ずしも元号を身近に感じておらず、日常的には干支を使っていたといわれている。
ところが、明治に入ってから、大日本帝国憲法および旧皇室典範(第12条「践祚の後元号を建て、一世の間に再び改めざること、明治元年の定制に従う」)によって一世一元が定められた。天皇を絶対的な権力として、大衆支配のイデオロギーの中心とする「国体思想」。そのなかにおいて改元は、まさに天皇の権勢をアピールするための重要なツールだったのである。では、こうした戦前の遺物がなぜ、今も公的な使用を強制されているのか。それこそ、まさに戦前体制を復活させようとする右派の圧力の結果に他ならない。
'19.3.30 平野貞夫さん登場!「小沢一郎・山本太郎・自由党」応援街宣(新宿西口小田急百貨店前)
苦難を振り返りつつ前に 琉球処分140年
明治政府が琉球王国を強権的に解体し、沖縄県を設置した「琉球処分」から百四十年。今も構造的差別が続く沖縄の状況に心を配り、未来を応援したい。北京市の郊外、通州区の果樹園の一角に立つ「琉球国墓地跡」の看板。「清朝時代、琉球国からやってきた進貢使、陳情使ら十四人を共同で葬った…」。脇には由来を記した中国語の案内板がある。墓地跡とはいえ、ほかには雑草地を囲う鉄柵だけ。訪れる人はめったにない。しかし、ここは琉球処分が琉球人にとっていかに屈辱的だったかを物語る場所だ。https://www.chunichi.co.jp/article/column/
救国訴えた「脱清人」
眠っているのは、沖縄で「脱清人(だっしんにん)」と呼ばれる琉球王国の士族たち。琉球処分の前後、日本併合にあらがって朝貢・冊封(さくほう)(中国皇帝が国王を承認する)関係にあった清に渡り、亡命したり救国を訴えたりした。その数は百人以上。北京のほか天津や福州で活動した。しかし願いはかなわず、滞在中に病死、あるいは自死した琉球人を中国側が手厚く葬ったという。北京では墓碑などが散逸、埋没していたが、又吉盛清(せいきよ)・沖縄大客員教授が現地調査で場所を特定。中国側の日本研究者らを通じて市政府に保存を働き掛け、三年ほど前に地元役場によって看板が立てられた。「平和国家・琉球を守る使命を担い死んでいった祖先を評価することは、基地問題など沖縄の今日的な課題を見つめることにもつながる」と又吉氏。又吉氏ら県民有志は最近二回、現地を訪れ供養も行っている。近世の沖縄は独自の王国体制を維持する一方、薩摩藩を管理者とする幕藩体制、および中国中心の国際秩序「華夷(かい)秩序」に両属する立場にあった。明治維新後の政府は琉球を南の関門と位置付け、正式に日本に併合するため一八七二(明治五)年、王国を琉球藩とする旨宣告。対中関係の断絶などを要求し抵抗されるや七九年、王府・首里城に処分官が六百人近い軍と警官隊とともに乗り込み服従を迫った。最後の国王、尚泰(しょうたい)は三月末、ついに城を明け渡し、約四百五十年続いた琉球王国は滅亡。四月四日、沖縄県設置が布告された。
繰り返される理不尽
明治政府が自ら「処分」の言葉を使ったように、この廃藩置県は一方的に強権をもって行われた。忘れてはならないのは、沖縄を隷属させるかのような理不尽がその後も繰り返されていることだ。地元の識者らは、本土防衛の捨て石とされた沖縄戦後の一九五二年、サンフランシスコ講和条約発効で本土から沖縄が切り離されたことを第二の琉球処分、米国統治を経て七二年、広大な米軍基地を残したまま本土復帰が行われたことを第三の琉球処分と呼ぶ。そして、琉球新報が社説で第四の琉球処分、と表現したのが昨年十二月十四日の出来事である。知事選や国政選挙で繰り返し示されてきた反対の民意を踏みにじり、安倍政権は米海兵隊新基地建設のため名護市辺野古沿岸に埋め立て土砂の投入を強行した。「この光景は歴史に既視感を覚える」「歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、『国益』や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ」。社説は鋭く歴代日本政府が沖縄に対し行ってきた構造的差別を追及する。「沖縄には沖縄の民主主義があり、国には国の民主主義がある」 最近も岩屋毅防衛相が、沖縄県民を日本国民と見なさないともとれる発言をしている。政権は歴史をまさに真摯(しんし)に振り返り、基地政策を抜本的に見直さなくてはならない。ただ、責めを負うべきは政府だけだろうか。約百四十五万人の沖縄県人口は日本の1%強。県土面積は1%足らずだ。そこに在日米軍専用施設の七割が集中し、危険な普天間飛行場を返還する代わりにとまた新たな基地を押しつける-。その不条理を99%の側が自覚しなくてはならない。選挙などの機会を通して考え、声を上げたい。日米安保体制を支持するならなおのことだ。