イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

学ばせて頂き 有難う

2012年01月15日 14時47分45秒 | 日々思い感じること

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         これまで何度か 会話の中で、

  「あれ?この間 言っていた事と違っている」と

何気なくその方が放つ一貫性のない言葉に対して

   時々 言い知れぬ違和感を感じていました。

昨年の秋以降、私の中でそれが加速する会話があり

  「この人の本心は一体どこにあるのだろう?」と

     モヤモヤした思いが続いていましたが、

   今日そのモヤモヤを思い切って断ち切りました。

   その後にふっと時計を見たら 1111でした。

    「あ、これで良かったんだ」と、思えました。

   決断後はサッパリし、振り返らないのですが、 

   一度紡いだご縁は大事に想い、

 【情】が残ってしまう、という性格から、私の場合

関係性を断ち切るまではかなりの葛藤があります。

   今回もやはりそうでした。

 その方は、喜怒哀楽を正直に出す私とは異なり、

   ご自身の内面をあまり表に出さないような、

冷静沈着なタイプの方で例え自分が嫌だと思っていても

その場の調和を重んじる様で、お話しを聴いていると

 自分の心を抑えてでも、その場では自分の本心を

言葉にも顔に出さず、周囲に合わせる事を優先にする

     感情的で 単細胞な私とは対照的な 

  ある意味とても賢い方です。出逢ったという事は

   共に学ぶ所があったからこそ、なので

    やはり、【有難う】の思いです。

  今日の決断に至る迄に これまでの様々な事を

 そっと静かに振り返ってみました。その方に対して

   十分だったかどうかは定かではありませんが

    私なりに誠意を尽くしてきたと感じるので、

 今は学ばせて頂いた事に対して感謝の想いと共に

    スッキリと清々しい気持ちです。

   【どちらがその方の本心なのかが判らない】

という事以外ではここ数カ月 音信不通の彼女に対し、

不思議に感じていました。今迄も時々そうしていた様に、

 私の方から連絡を取ることは たやすいのですが

  その方のお仕事の状況等を鑑みると こちらから

 「元気?」と連絡を入れるのも、何か違う気がして

 そのままになっていました。連絡というのは一方が

   一方的に取り続けるものでは無いと感じます。

  「なんか妙だな」と、この数ヶ月 感じていたのは

 私の近況、状況は恐らくご存じであると推察する中、

    知ってるのに気付いているのに

   敢えて知らんぷりを通す、黙って様子を伺う

     という事を 強く感じさせられました。

    私が紡ぐ 大事なお付き合いの中には、

   このような不思議なことは無いことので

  率直に 「もういいかなぁ~」と、思いました。

       才能の1つなのでしょうか。

常に状況を見守る、【要観察】を得意とされる方も

   お見受けしますが互いの間に

   何かトラブルが発生している訳でも無い中 

   この様な手段方法は、時と場合と相手を

 よく見てからしないと妙なことになると感じます。

 そして又 「気付いているのに気付かないふり」

をされる方も時々お見受けしますが、実は相手は

  ちゃんと その事に 気付いているものです。

時間をかけて話したり、仰々しい文章にしなくても

「元気?」の一言が関係を紡ぎ、「大丈夫?」の一言が

  色んな場面に於いて時として人を救う事も

     多々ある様に 感じさせられます。

    その方に気に入って貰いたいから、とか、

  良く思われたいから、など計算した理由ではなく

    「大丈夫?」と点呼を取る感じで

     私はこれまで言葉がけをしてきました。

    相手の顔色を伺って 自分を押し殺して

 相手に合わせたり、相手を持ち上げるような事を

その場でパッと口にするのはとてもたやすいけれど、

  そして大きな事を言うのも たやすいけれど

いつ迄も実行しない人に ありゃりゃ?と思います。

    やはり、有言実行の人は信頼できます。

 忙しかろうと相手を想う気持ちや思いがあれば、

 実は ひとこと 声を掛けることは

 すぐに出来る様な気がしています

 ある方との最近のメールでの遣り取りです。

 「 何かして貰う事が当たり前の人は、こちらが

 辛い状態や、温かな言葉を必要としているような時、

 こちらの状態をやんわり伝えても全く気付かないし、

知らんぷり。そういう人とは距離をおこうと思います」と。

   お互いに一致した思いでした。

 「その一言に救われた」というご経験をされた方も

     多いのではないでしょうか?

    私はどちらも体験しました。もう随分昔、

 体型が変わり自分を醜いと感じウツウツとした状態が

    続いた時、当時 親友と思っていた人は、

      私が開示した状況を知りながらも、

        私を思い遣る言葉ではなく

    自分が今、いかに充実しているか、を

   長い手紙にしたためてきました。その後ある事があり、

 もう限界!と感じた私は自分からその友人関係に

   ピリオドを打ちますが、真の関係性が見え、

    自分に対する相手の思いが判るのは、

自分がルンルンな状態でない時だと経験上思いました。

 人間は1人では生きてゆけない、と言われますが

   人と人が 特別な言葉を交わさないまでも

  日常的な挨拶や、言葉がけが 大きな支えになる、

    そんな気もします。思春期の只中にいる時、

近所のおばさんが「元気?」と声をかけてくれるだけで

 「私の事気にかけてくれてる」とかつて感じた様に

タイミングの良いその一言が人を確実に救うと思います。

気付いているのに、その一言の声かけを後回しにし、

億劫がっている人や、それをしなかった理由について

いつも弁解ばかりする人を見ているとやはり、というか

 そういう方はいざという時に助けて貰えなかったり、

  自尊心を傷つけられるような事を云われ続け、

   利用される様な 関係の中に

いつまでも自分を縛りつけているような気もします。

     この世界には沢山の人がいて、

沢山の思いや考えがあって、個性に溢れています。

今日のこの長いつぶやきは、沢山いる人間の中の

【私の主観】であり、【私の考え】にすぎません事を

  ご理解下さい。そしてその上で【私は】ですが 

 この世という物質世界に暮らし 自分を磨く中で、

 生身のこの人間の私が、目指し求めるものは

聖人君子ではありません(到底なれはしませんが)

     そして又、私の中にはバランスよく?

光と陰の両方が常に混在します。故に苦手な人や

  願わくば 関わりたくない人も やはりいます。

  自分を知る、ということは、綺麗ごとではなく、

   自分の嫌いも知ることが、

 本当の意味で自分の好きを知ることへと繋がり、

    そして又、

自分を本当に大事にしてくれる人を知る事にも繋がり

   結果、素敵な関係を紡ぐことも可能となる。

 そして 自分の望み描く伸び伸びとした心地良さも、

  いつも自分の意志で ちゃんと選び取れるもの、

  そんな風にも思います。