イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

太陽に優しく抱(いだ)かれて

2013年08月22日 16時01分02秒 | デザイン画・書画

    画用紙に適当に朱の墨汁を数滴垂らし、
       右手人差し指で書きました
001
  昨日と今日、脚立から落ちない様に気をつけながら
 アーチからはみ出て中々花か゜ら摘みをできなかった
  つる薔薇と茂りすぎたジャスミンの剪定をしました。
   剪定後の掃除も入れて昨日は2時間かかり
        今日は1時間かかりました。

剪定する時ジャスミンに「この夏は本当に有難ね。ご免ね
 こっちはよそのお宅の敷地だから少し切らせてね」と
     囁くように言いながらハサミで切りました。

     この暑さの中 今もまだ 沢山の蕾をつけ 
            毎朝可憐な姿と共に 
  素晴らしい香りを届けてくれているジャスミンです。
  枯れた花でさえもジャスミンはいい香りがします。
柿葉茶やドクダミ茶は実家で父が干して作っていたので
私も1~2年程前迄は 実家から貰った無農薬の柿葉と
    ドクダミの葉を常備し、柿葉とドクダミの葉を
自身でブレンドし沸かしドクダミ柿葉茶を作っていたので、
ジャスミンについての知識があれば無農薬のジャスミンの花を
    ただ捨ててしまうのは何だか可哀そうなので
     ジャスミン茶を作れたらなぁ~と思ったものの
    やはり知識がないので今年は見送りました。

        暑さ寒さも彼岸までという様に 

  酷暑とは言いながらも本当にお盆を過ぎた頃から
     空模様も吹き抜ける風も秋や涼しさを
        感じられるようになりました。

  今日の午前中、よそのお宅の方にピョンピョン伸びて
 気になっていた高い位置のジャスミンの最後の剪定を
       脚立に乗って無心にしていた時、
   背中のある一部分に 太陽のあたたかさが
   じんわり響くような不思議な感覚を覚えました。
 (変な表現の仕方であり メルヘンチックな言い方ですが
    例えると 肩甲骨の辺りにグルッとまぁるい
  直径10cm位の円を
描いて そこに(もしも太陽に
       手があったと過程(想像)した場合)
太陽が手で私の背中を「大丈夫、分かっているよ」と
 エネルギーを送ってくれているような 何とも言えぬ
心地良さに剪定しながら「えっ?この心地良さは何?」と
 冷静に感じながら 心の中では少し驚いていました。
 それは親が子供に、「痛いの痛いの飛んで行け~」と
       手で触れて痛みを緩和してくれる 
   あの愛に溢れたおまじないにもどこか似ていて
 背中から(うしろから)見守られているような安堵感を
   しっかりと感じ、それは不思議な感覚でした)

 私の持つ語彙では その時 感じさせられたことを
 怪しい話ね、と一笑されずに お話する自信もない為
  この一文に留めおきますが、太陽が ただ背中に
   当たっていた だけのことではありませんでした。
     そして夏の暑さの中でも 頭はボーッとも
      クラクラもしておらずいたって冷静でした)

      剪定後、掃除を終え 部屋に入った時、
      太陽にヒーリングをして貰っていたような、
包みこんで貰っているような あの心地よくあたたかく
優しい感覚は何だったのだろう?と 暫く思うと同時に
        アニミズムに思いを馳せました。

 夏の終わりに植物のお陰で 太陽の素晴らしさを
      感じさせて貰いました。感謝です