画用紙に適当に朱の墨汁を数滴垂らし、
右手人差し指で書きました
昨日と今日、脚立から落ちない様に気をつけながら
アーチからはみ出て中々花か゜ら摘みをできなかった
つる薔薇と茂りすぎたジャスミンの剪定をしました。
剪定後の掃除も入れて昨日は2時間かかり
今日は1時間かかりました。
剪定する時ジャスミンに「この夏は本当に有難ね。ご免ね
こっちはよそのお宅の敷地だから少し切らせてね」と
囁くように言いながらハサミで切りました。
この暑さの中 今もまだ 沢山の蕾をつけ
毎朝可憐な姿と共に
素晴らしい香りを届けてくれているジャスミンです。
枯れた花でさえもジャスミンはいい香りがします。
柿葉茶やドクダミ茶は実家で父が干して作っていたので
私も1~2年程前迄は 実家から貰った無農薬の柿葉と
ドクダミの葉を常備し、柿葉とドクダミの葉を
自身でブレンドし沸かしドクダミ柿葉茶を作っていたので、
ジャスミンについての知識があれば無農薬のジャスミンの花を
ただ捨ててしまうのは何だか可哀そうなので
ジャスミン茶を作れたらなぁ~と思ったものの
やはり知識がないので今年は見送りました。
暑さ寒さも彼岸までという様に
酷暑とは言いながらも本当にお盆を過ぎた頃から
空模様も吹き抜ける風も秋や涼しさを
感じられるようになりました。
今日の午前中、よそのお宅の方にピョンピョン伸びて
気になっていた高い位置のジャスミンの最後の剪定を
脚立に乗って無心にしていた時、
背中のある一部分に 太陽のあたたかさが
じんわり響くような不思議な感覚を覚えました。
(変な表現の仕方であり メルヘンチックな言い方ですが
例えると 肩甲骨の辺りにグルッとまぁるい
直径10cm位の円を描いて そこに(もしも太陽に
手があったと過程(想像)した場合)
太陽が手で私の背中を「大丈夫、分かっているよ」と
エネルギーを送ってくれているような 何とも言えぬ
心地良さに剪定しながら「えっ?この心地良さは何?」と
冷静に感じながら 心の中では少し驚いていました。
それは親が子供に、「痛いの痛いの飛んで行け~」と
手で触れて痛みを緩和してくれる
あの愛に溢れたおまじないにもどこか似ていて
背中から(うしろから)見守られているような安堵感を
しっかりと感じ、それは不思議な感覚でした)
私の持つ語彙では その時 感じさせられたことを
怪しい話ね、と一笑されずに お話する自信もない為
この一文に留めおきますが、太陽が ただ背中に
当たっていた だけのことではありませんでした。
そして夏の暑さの中でも 頭はボーッとも
クラクラもしておらずいたって冷静でした)
剪定後、掃除を終え 部屋に入った時、
太陽にヒーリングをして貰っていたような、
包みこんで貰っているような あの心地よくあたたかく
優しい感覚は何だったのだろう?と 暫く思うと同時に
アニミズムに思いを馳せました。
夏の終わりに植物のお陰で 太陽の素晴らしさを
感じさせて貰いました。感謝です