イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

愛、溢れて

2013年10月05日 02時02分27秒 | ハート♡の作品

  ※10/4、facebookに載せた記事の一部を抜粋し
             加筆しました。

002_2
              2000年の秋、
   猫と暮らすという夢が叶い迎え入れた、今は亡き
      愛猫と暮らす中で、動物のおかれている
 悲しい現状を知って以来 動物の命について深く考え 
         想いを馳せるようになりました。

 彼らは生きる為に 人間の捨てた 美味しくないゴミを
     やむをえなくあさり 必死に生きています。

理由がなければ人間に対して牙を向けることもない彼等。
 
          そんな彼らの命を護るべく 
 日々 活動を
していらっしゃる 心ある方々が多い中
      未だ古い おかしなシステムの中で 
  あたり前のように捉えられ 命の期限を設けられ
  逃げられない恐怖の檻の中で ガス室に送られ
       苦しみながら命をおとしています。

     この実態を知った時、苦しくて 哀しくて
        暫く眠れない日が続きました。
 こうしている今も ガス室で消えぬく命のことを思うと
  胸が苦しくドキドキしいたたまれない気持ちになり
        私の魂は大きく揺さぶられます。

  昨日の夕刻、友人がご自身のfacebookに書いた
          ある記事を拝見しました
    鼻水を垂らし、風邪をひいていると思われる
         猫ちゃんをこの数日気にかけ、
        今できうる温かな気持ちを向け、
     愛に溢れた素敵な行動を起こされました。
      心優しい彼女は 自分のしたことを
  ~ができたのではないか・・・・と思い悩まれるような
            愛に溢れた方です。

         「感情移入しすぎ」という言葉は
 あまりよくない言葉として聴くことが多い気がしますが、
               
私は思います。

ピュアな魂だけがこの世にフワフワと浮いているのではなく
 我々人間は、肉体を纏い、物質的な世界に身を置き
喜怒哀楽の感情に揺さぶられ、時にうねりに飲み込まれ
  気持ちが上がることもあれば 下がることもあって、
 そうした葛藤を繰り返し フラットに保とうと意識しながら 
        様々な経験を重ねてゆくなかで 
   次第に魂がふるわれていくのではないか、と。

  オギャーと産声をあげ この世に産まれ出でた時、
   私たちは一人一人 みんな違ったテーマを携え
   それを成し得る為に この世に生れたそうです。
 その時、私達の魂には自分の心が大きく反応するもの
  好き、キライ、無関心というヒントも刻まれるようです。

                思います。

唯一無二と言われる 神という存在ではない人間の私達。

     魂を磨く中で 時として大人と言われる対応、
 感情をコントロールするという訓練も不可欠と思うのですが、
    それでも、何故なのかは よく判らないけれど、
          どうしても見過ごせないこと、
            知らんぷりできないこと、
            感情移入してしまうこと、
       魂がそっちに自然に向いてしまうこと、
   気付いたら何も考えずただ行動していること・・・・
つまり 無関心ではないこと、心動かされる事というのは
  もしかしたら 今生、私であり あなたが成しえる
    大切なテーマの片鱗が そこにヒントとして
       隠されているような気がするのです。

  私は失敗も沢山する ごく普通の人間にすぎません。
         だからこそ、かっこつけずに 
       時として 多いに感情移入しながら、
       私ができる方法で 声なき声を拾い 
      小さき大切な存在、命を救うお手伝いを
     私なりの方法でしていけたらと思っています。
003