節分の昨日は「鬼は外、福は内」 恒例の豆まきをしました
立春を迎え2015年の幕開け(息吹)を感じた日となりました。
印象的な素晴らしい内容の 3つの夢を見ました
目覚めた時、その温もりまでもが しっかりと残っていて
それはそれは優しくて 幸せな気持ちに包まれました
鮮やかで美しいストーリーも
夢の中で感じていた 大きな悦びや感動も
いまだ鮮明な余韻として残っています。
2015年は 色々な物事の結果が
本人が意識する、しないに関わらず
早い段階で出てくるように感じています。
元々の質は のんび~り している私ですが
「さぁ、さぁ、休憩はもうお終い、モタモタしないで」と
見えない流れに 押しだされ、
背中をツンツンされているのを感じています。
宅配の荷物1つとっても、立春を境に
「早く届くといいなぁ」と ふと思ったことが 思いがけず
嬉しい前倒しとなってドンドン届く ということも含めて・・・
2015年に入り何度となく感じていることがあります。
それは、
人それぞれに能動的に動いていい時期(動ける時期)、
休憩ないし 作戦会議、
立ち止まって内観する時が あるということです。
台風の時に わざわざ外に出て大声で
「皆さ~ん、私の話しを聴いて下さい」と しないように
ベスト・コンディションだからこそ、迷いなく
意気揚々と「さぁ、進もう」と思えるように思うのです。
静かに魂と向き合い 大事な作戦会議をしている時、
もし、知人や友人に「会いましょう」と誘われても、
その時 「何となく気分が乗らないな~」とか
近況報告(今手がけていることの経過報告等)を
するのは、ちょっと・・・・と 違和感を感じる時は
「付き合いが悪いと思われたらどうしよう」と思うことなく
あなたの心のセンサーを大事に、ホントは乗り気でないのに
無理をして 街へ繰り出したりしなくても
そこまで人に合わせなくてもいいのではないかな?と
私は思います。純粋に「美味しいね~」と
ご飯を食べながら 他愛のない話しをして
ケラケラ笑い転げる気軽さは自然と心も軽くなりますが、
相手の状況を とに角知りたいとか、
情報を得たいとか、または
親しき仲にも礼儀あり、「聴いてくれる?」の前置きも無く、
終始 愚痴を垂れ流すような人と過ごした時間は
あとで嫌~な余韻が残ります自分の心の荷物をおろすが如く
ジッと自分の話しに耳を傾け、心の澱を溶かしてくれた
目の前の人に、
「聴いてくれて有難う、心が軽くなったわ」の
肝心な一言もないまま、
温泉に浸かりに行ったわけではないのに
「あぁ~、スッキリした~」チャンチャン、では、
目が点になり この時間は一体何だったのかしら?と
思ってしまいます。
他にも 自分の成功を自慢したり、
どれだけ幸せで恵まれているかを
ひたすらアピールするようなタイプの人との時間も
こちらの精神が穏やかで 安定している時でないと
疲れます。このような ムムム?の経験は(笑)
20代で終わりにしているので
現在は、そうした一方的な人達とは
一線を画していているので心惑うことはありませんが
「自分を大切にする」 ということの1つは
無理をしないコト、イイヒトを演じないこと、
そんな風に思うのです。
2015年が 皆様にとって お幸せで
笑顔の多い1年となりますように