現在かかっている病院の先生が
紹介状を書いて下さることになり急遽夕方、
その病院に向かい診察頂き
症状から心電図もとって頂く流れになりました。
昨年から続く身体の違和感、
いつもと違う、なんかおかしい・・・と感じていましたが
あることが気がかりで救急車を呼んだり
準備なく病院に行くことが出来ず
だましだましやり過ごしてきましたが
万が一倒れてしまったら大変なので明日、
書いて頂いた紹介状を持って大きな病院に参ります。
我が家には家族同様の猫がいます。
私に何かあった場合、彼女が
餓死してしまうことになりかねないので
昨年末、意を決して近隣に住む知人に
自身に起きている体調のことを伝え
力を貸して貰えないかとSOSを出させて貰いました。
というのは日頃の会話のやり取りからお互いいざという時は
協力しあえる関係と思っていたからでした。
また、平日はお勤めされていないことや
介護が必要な同居している親御さんや
お子さんがいらっしゃらないという点も
声をかけさせて貰った理由です。
昨年、彼女が大事に思い気にかけていたことがありました。
彼女はその日 仕事があり気持ちがあっても現場に来られない
動けない状況でした。そうした彼女から早朝、
電話やメールで出された指示(依頼)に対し
スピーディーに対応しました。
私自身にとっても長年見守り続けてきた
大切な存在だったのではじめて経験することでしたが、
誠心誠意 出来うることしました。
また、彼女から頼まれた訳ではなく
仕事をしていても状況が気になっていると思い
自分の意志で写メをとり都度状況を伝えました。
後日、「〇〇の所へ一緒に行ってほしい」と
彼女から連絡があった時、複数でそこへ行くことで
相手を追い詰めることになるのでは?と懸念しましたが
切羽詰まった状況が伝わったので一緒にそこへ行きました。
こうした事もあって「何かあった時には力になるから言ってね」と
言ってくれた彼女の言葉をそのまま素直に受け取っていました。
といっても本来、人様に頼る前に
身内が引き受けてくれるのがベストなので、
近年、複数の病院通いをしている高齢の母の体調が
年末から思わしくなく、足も腫れていて
こちらに毎日通ってご飯をあげて欲しいと
頼める状態ではなく、母の身体もその方が負担ないと感じ
私がもし、入院となった場合泊まって貰えないか、と
打診もしたのですが、
自分の家ではないことに不安を感じるという理由で却下
うちに来て間もない頃、雪の降る日に脱走したこともある、
現在も好奇心旺盛な、隙あらば外に出ようとする
すばしっこいルーチェを
年老いた母に託すのは母にとって
大きなストレスになる為
実家に預けることは元々頭にありませんでした。
完全室内飼いのルーチェは毎年健康診断を受けていますが
ワクチン接種はしていません。
当然のことですがワクチン接種をしていないと
動物病院は預かってくれません。
なにより彼女にトレスを与えない為に一番いいのは
住み慣れたこの家に、可能であれば信頼できる
犬や猫と生活した経験があり、
交通機関を使わず歩いて来て頂ける近隣に住む方に
お引き受け頂けたら有難いと思っていました。
彼女はその全てに当てはまる人でした。
数ヶ月前、「連絡」についてある提案をしたのですが、
納得がいかなかったのか、
それについて返信はなくその後パタリと
彼女からの連絡は途絶えたので
こちらから連絡することもありませんでした。
そんな中の数ヶ月ぶりの連絡はやはり躊躇したものの
私が、というより愛猫の命にかかわることなので
思い切って自身の身に起きていることをメールで伝え
お願いさせて頂きました。
(急なことでも電話はNGのようなので)
返信は仕事であることと「心配です」のメール。
そのあとは「困ったわね」の短いメール。
それから数日経ちましたが数ヶ月前のあの時と同じで
「YES」「NO」を含めた意思表示であり
私の甘えかも知れませんが「大丈夫?」という声かけも
返信も電話もありませんでした。
私自身、彼女から頼まれたことに対しインターバルをあけずに
快く動き協力していたこともあり
「あの時私は頼まれたことに対して快諾し即動いたのに…また?」と
切羽詰まった状況を知りながら言葉は悪いですが、
だんまりを決めこみ、何らかの返事が欲しい時に
また あやふやにされてしまったことは
体調が悪かったことも重なり大きなショックを受けました。
9年前、先住猫のミーシャをおくったように
元気な自分が大切な我が子のようなルーチェを
いつか責任を持ってちゃんとおくる、と決めていたのに
まさか、自分の体調が思わしくなく
こんなことになるなんて想定外でした。
どうしよう・・・・
この方は一見、思ってもいないことを
軽々しく口にするような人ではないように思えたので
いざという時は協力しあい助けあえる関係と
信じて疑わなかったのですが、
今回のことで今迄かけてくれていた言葉は
社交辞令だったと気づきました。
ある時、ある場面で八方美人なのかな?と
感じたことはあったのですが。
ご本人はご自身を明るいと思っていて
気づいていませんでしたが出会った時、この方の表情から
心の痛みや寂しさや悲しみを感じさせられました。
その理由は交流を重ねる中で分かったので
心の癒しに繋がったら・・・と、現在は紹介のみ、の
私の大切な方を紹介しましたがその時もどこか他人事で
「有り難う」の言葉は聞かれなかったので
この方にとって紹介は別に有難いことではないんだなぁ、と
拍子抜けしました。
(昨今「これ以上の情報は有料のメルマガを登録下さい」というものを多く見かけます。
情報は何もしなくても降ってわいてくるものではなく価値あるものということを
理解しています。というのも私自身これまで周りの人から
様々な情報や人脈を常に齎され、紹介されて、というより、
たまたま購入した本でその方を知り問い合わせご縁が繋がったとか、
セミナーを受講して学んだりと、誰かから教えて頂くというよりも
自ら切り開き体得してきたので、紹介頂くことは当たり前ではない有難いことと
身をもって知っていました。ある時、出会って間もない方が私を信用して下さり
その方が大切に紡いでらしたある方をご紹介下さいました。
有り難しのご縁に感謝の言葉をお伝えさせて頂いたのは言うまでもありません。
かつての私はサービス精神旺盛で時間やお金をかけて学び得たことを
親しい人に無償でシェアし続けていましたがある時からやめました。
思い返すと彼女はサクッと「⚪⚪教えてね」と言う方で
「〇〇知ってる?」と提供するのは私ばかりで
実際彼女から紹介されたり齎されたものはなかったです。
また、彼女自身が私に言ったあることに対し、口約束ではなく
ホントに協力し動いて貰えたら嬉しいなぁ~と思っていましたが
それも実現することはなく、恐らく私に自分から言ったことも
忘れていると思います。残念ながら私達の関係は一時的なものでした。
give and takeのバランスが取れていなかったことが原因のように思います)
私は大事な人がSOSを出してきたら
回答をうやむやにせず即対応します。状況的に
力になれそうもなかったら、それも誠実に伝えますが、
言葉がけや励ましはします。
一刻を争う状況と感じた時はタイムラグのあるメールではなく
電話を入れ、声を聴き相手の状況を確めます。
彼女はいずれもなく あやふやにする人でした。
対応出来ないなら 回答をしない、ほったらかし、ではなく
前回も、そして今回も NOを言って欲しかった。
最初からその気がなく、また断ることが苦手なら
心にも無いことを軽々しく言わないで欲しかった。
今後は発する言葉と行動が一致する人なのかをよくよく見極め
言葉をそのまま受け取らず より慎重に
対人関係を築かねばと肝に銘じました。