MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

富士山入山料論議について

2013-06-13 | トレッキング、トレラン
 世界遺産認定が確実化した富士山。
 このところ急速に「入山料」論議がかまびすしくなってきた。

 それを聞いて真っ先に思ったのは「昨年登っておいて良かった」。
 ついでに言うと、登って山頂で見た景色は、使わなくなった小屋を重機が煙と音を立てて壊していたり小山に布団が何十と干されていたり、地上の生活感がふんぷんとしてて、「これが世界遺産?」という気がしないでもなかった。わたしが初登頂を成した日はまさに、世界遺産に適格かどうか調査するイコモスの担当者が富士山を訪れた日でもあった。

 入山料導入の目的は主に2つ。1つは登山者数の抑制。世界遺産に登録されるとこれまでの経験から30%程度の観光客が増えると予想されるそうだ。京都大学・栗山浩一教授が7000円の徴収を課せばほぼ昨年並みの登山者数にとどまると試算している。
 環境省によれば、昨夏の8合目付近の登山者数は31万8565人だそうで(わたしもその1人)、7000円(5合目以上に登る人が対象)を徴収すると約22億3000万円となる。

 もう1つは、世界中から「汚い」と言われ、野口健さんもボランティアを結集しての清掃活動にあたっているとおり、富士山の環境保全が喫緊の課題となっている。登山者ではないだろうが樹海には廃タイヤや使用済み医療器具(注射針など)の不法投棄が行われたり、その量・中身とも善良なる市民がコツコツやっていたのではとても追いつかないほどだ。
 したがって、いずれにしてもきれいにしようとおもえば相応の(しかも相当な額の)金がかかる。登山客が増えれば、当然マナーの悪い人たちも増えるので(自然なことです、残念だけど)よりいっそう費用もかさむ。
 これを、入山料で賄おうというわけだ。
 7000円、と試算した栗山教授も、仮に500円、1000円とした場合2%、4%減と抑制効果はないに等しいが、徴収総額としては1億6000万円、3億2000万円とそれなりの額となることから一定の意味があるとしている。
 

わたしの意見

 まず、なぜ世界遺産への申請ということになったのか。そもそも世界遺産とは何ぞや?というところから話すべきたと思う。世界遺産自体は、人類共有の財産とすべき貴重な「自然」や「文化」が、安易に失われないように(それは再び取り戻すことが困難なのだ)、とくに貴重なものについてはこれを第3者が審査・認定し、一定の(厳格な)保全基準を設ける。同時に世界に対してこれを告知し、人類全体で守っていく義務を負う。そんなことで概ね間違いないと思う。

 趣旨はもちろん正しい。しかし、権威、権力が存在し、登録、認可という構造に取りこまれた途端、たいていはそこに利害が生じ、権益を求めて争いやいさかいがおこる。つまり金が絡んでこないわけにはいかない。世界遺産も例外ではない。とりわけ、多くの人が訪れやすい「文化遺産」では。
 多くの人々(直接的な関係のある地元民、中でもとりわけ観光業や行政担当者)の期待は、どれだけ多くの人がやってきてくれてお金を落としていってくれるか、にある(もちろん、みんなの誇りでもあるこのすばらしい山に世界中の人が訪れてくれることへの喜びもあるにちがいないけど)。
 今回の富士山の場合は「地元」が山梨・静岡2県であることで事情がさらにややこしい。これまでの取り組み方にも考え方にも富士山の受容の仕方にもちがいがあるからだ。入山料についての対応もまちまちになりドタバタしてしまった。

 個人的には、富士山は世界遺産になる必要などなかったのではないかと思う。またその資格もないのではないか。自然遺産の基準がクリアできず文化遺産として登録した経緯にそれが表れている。
 文化にもいろいろあって、ナイーブさが重要な場合とそうでない場合がある。対象と人間との関係が近いほどナイーブさが要求される。どんどん離れていってゼロに限りなく近いのが自然遺産ともいえる。

 富士山の場合は、そういう意味ではひじょうに人間との距離が近い。わずか2か月で30万人以上が訪れ、都心の通勤電車を待つホームのごとく登山者が列をなし押し寄せる山で、どうナイーブさを維持しようがあるのか?

 むりやり守るなどは不可能で、登山者の「善意や良心」に期待し、呼びかけ、うまく行ったり失敗したりを繰り返しながらやっていくしかないのではないか。
 それは悪いことばかりじゃなくて、最大の利点は「自由」にある。本当に自分たちが守りたいものなら守れるはずなのだ。何十年後、何百年後、何千年後壊れてしまったならば、人間にとって、あるいは日本人にとって富士山はそこまでのものだったのだとあきらめるしかない。

 世界遺産といったって、世界の監視の対象となっただけで、守るのは日本人であり地元の人々。ある意味代償として利益も得る。そこに矛盾はない。適正な仕事をし見合った報酬を得る。なんの問題もない。世界の遺産だなどと大手を振られてとやかく言われるだけにすぎない。果たして日本のような国が--金を出してるだけと時に言われもするが、この何十年世界中に支援を続けてきた国ではなかったか--守るべきものを自分たちで守ることができないわけがあるだろうか?
 それを自ら望んで「世界で監視してほしい」と申し出るなんて、そこには別の意図があると考えるのが自然で、つまるところ、最大の目的は保全にではなく利益誘導にあるのは明らかなのである。表裏一体と言ってしまえばそれまでだけれど。

 「自由」ということはすなわち「実力通り・実態通り」の姿がそこに反映される鏡にうつすことと同じだということにほかならない。他人がなんとかしてくれるわけでもないが、本気で思えば何とかなる可能性もあるということだ。
 それ以上何を求めるのか?

 さて、富士山に登るつもりのない人には入山料がいくらだろうが関係のないことだし、登りたい人にとっては安い方が良いに決まっている。強制されなくても呼びかければ寄付を申し出る人は(額はともかく)大勢いるだろう(これまでもいたにちがいない)。
 毎日登っている人には7000円なら大変な負担になる。そうした登り方は金輪際あきらめるしかなさそうだ(ここでも自由が奪われる!)。
まいにち富士山 (新潮新書)
佐々木 茂良
新潮社


富士山に千回登りました (日経プレミアシリーズ)
實川 欣伸
日本経済新聞出版社


 妥当な額といっても、誰にとって妥当なのか、まったくもって結論しようがないと言うしかない。はっきり言っておきたいのは、徴収されたお金が適正に目的のために使われるようにしてほしいということだ。復興予算みたいな話は勘弁願いたい。

 富士山に「安全に」登るにはそれなりの装備や準備が必要だし、遠方から目指すなら旅費や宿泊費もばかにならない。さらに入山料が7000円も加わるなら、生活費に余裕もないけれど「一生に一度くらい富士山に登りたい」と思っていた人の何割かが、その夢もあきらめるきっかけにはなるかもしれない。
 マラソン参加費の高額化と似た事情を感じる。
 安全に走れるように整備してもらえればマラソン大会にいくつも出なくたって構わないのだ。同様に、ゴミは持ち帰るし、お金に余裕がある時は、求められるなら保全のための寄付をするのもOKだ。

 自分の国の山や道だ。なんで自由に走ったり登ったりできないのだろうか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GW連休中の伊吹山をお考えの方へ。ささやかなアドバイス

2013-05-02 | トレッキング、トレラン
 下から登ったのはまだ1度きりというわたしのブログに、このところ思いがけずたくさんの方が訪れていただいているようです。

  伊吹山登山(2012/8/5) ~行きはよいよい帰りは恐かった

 実はわたしもこの連休中1度くらい登ってみようかなどと漠然と考えていたんですが、ちょっと調べてみたところ、まだだいぶ寒いようですよ。

 tenki.jp 伊吹山の天気

 高度300m付近では10℃前後ありますが、山頂付近では1~2℃ってところみたいです。しかも風がめっぽう強い日が多い。1000m以上では10m/s前後になる日・時間帯も多いようです(記載がありませんが、おそらく瞬間最大風速と思われます)。山ですから当たり前と言えばそうかもしれませんが十分暖かなウエアと雨対策を忘れずに。
 それでも、連休中なら5/5(日)が一番暖かいみたいです。風は一番強いけれど。

 登る方は、熊情報も念のため確認されたほうがよいかと思います。

  クマ出没情報ブログ

 伊吹山付近での目撃情報はないようですが、恵那では目撃情報があります。念のため熊鈴くらい用意したほうがいいかもしれません。

 ペンションいぶきのオーナーさんの日記を拝見してみたら、緑はずいぶん濃さを増して、すでにいろいろな花を観ることができるようです。やっぱり登りたい気も・・・

  ペンションいぶきのオーナーの日記

 こちらには花の写真がたくさんアップされていて見てるだけでも楽しいので、花好きな方には特にお勧めです。

 伊吹山の場合、クルマで上まで上がれるので、寒かろうがなんだろうが、連休中の人出はけっこう多いんでしょうね。とくに山頂近くは。

  伊吹山ドライブウェイ

 全然知りませんでしたが「スカイテラス伊吹山」なる施設が4/26(ついこないだですね!)オープンしたという情報が出てます。

 そんなこんなで、わたしはもう少し暖かくなってから--梅雨明けくらいに登ろうかななんて気分に今書きながら考えています。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012夏 富士山に登りました。(その7・最終回)

2012-10-16 | トレッキング、トレラン
 すっかり間延びしてしまいましたが、最終回。下りの記録を一気に書きます。
 万が一にも続きを楽しみに読まれていた方がいたら、申し訳ありませんでした。

 前回から、時間が開いてしまっているので、7回分を続けてご覧になるには、右側のメニューの「カテゴリー」から「トレッキング、トレラン」を選んでいただくと、連続してご覧いただきやすいと思います。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

須走口下山道入口までさらにお鉢を巡る

 お鉢巡りを始めた以上、当たり前だが、グルッと一周して、ちゃんと登ってきたルートの下山道口まで戻らなくてはならない。
 登山図に寄れば、須走口登山道口から剣が峰までが45分。剣が峰から須走口下山道(須走口ルートの場合、登山道と下山道はところどころクロスするが基本的には別になっている)までが40分となっている。

 これまた当たり前だが、剣が峰がもちろん一番--そう日本一--高いので、あとはどこまでも下りとなる。お鉢に沿って下りてゆく。

 まもなく少し平らな広々とした場所が開ける。すぐ目の前には火口がのぞきこめる。火口の中を覗き込んでいるわけでもないが、その淵に沿って、お弁当を広げたりくつろいでいる登山者を見かけた。



 ここまで来ると目の前にいくつかの建物が見える。右手には大きなトイレ。山頂郵便局もここにあったようだが、それと気づかずに素通りした。
 実はこの郵便局で売っているという富士山入りのハンコを買ってきてほしいと言われていたのだが、「郵便局で売っている」という部分をすっかり失念していて、このあと土産物屋にもよるのだが、目星のハンコについて店員の若者に聞いてみても「最近よく聞かれるんだけど、知らないんだよねえ。こっちが教えてほしいくらい」などと言う始末。まったく知らない様子なのだ。
 ※このハンコについては、偶然TV番組で見た情報なので、お探しの方はよく確認してから登ってください。
 ほかに浅間大社奥宮、富士館がある。富士宮口ルート、御殿場口ルートの出入口はこのすぐ先にある。



 資材なのか、取り壊した後片付けなのか、この日本一高い場所にも建設機械が入って黙々と作業している様は、都会の風景と変わりなくて興ざめな光景だった。
 この日は、偶然にも、取りざたされている「世界遺産登録」の調査のためにユネスコから派遣された調査員がやってきているらしかった。今まさに作業中ということは、そのための準備と言うには遅すぎるので、あらかじめ計画されていたものだと思うが、それにしても、もしこの光景を目にしたら、やはりマイナスであるように思うけれど。



 富士館の宿泊者用マットだろうか、好天に恵まれた空の下、ちょっとした小山の上にマットが一面に敷き詰められて干されていた。

 さらに10分ほど歩くと、またしても取り壊し作業が行われていた。説明書きを読むと気象観測所の閉鎖に伴い不要となった山小屋を取り壊しているようなことが書いてある。
 剣が峰にある気象観測所は、現在、基本的には無人施設で、ずいぶん前に観測装置や技術の進歩で測候所としての実質的な役割は終えている。
 ただ、さまざまなエピソードを持つこの歴史的な施設を活用しようというNPOが夏季のみ活動しているそうなので、そのあたりの事情と関連して、今頃取り壊しとなったのかもしれない。



 時刻はもう9:00。山頂に到着してからすでに1時間半になる。
 下から吹き上げるように巨大な雲が立ち上っていた。




そろそろ下山

 さらに10分ほど歩くと、チベットに突然現れる集落のごとき建物群が見えてきた。



 土産物屋が集合する「山頂商店街」といった風情だ。写真右下が、須走口下山道入口だ。山頂への荷物を運ぶブルドーザーの通路を兼ねている。
 われわれはこの「商店街」の先にある登山道の頂上にたどり着き、そのまま時計と逆回りに回ってきたので、この「商店街」を訪れるのは初めてということになる。

 これといってほしいものもなく、かといって手ぶらで帰るわけにもいかず。登頂後早々に神社でお守りを購入されたKさんには少し待ってもらって、物色した結果、元々無料の日付刻印に加え名前も刻印してくれるというのでキーホルダーを買う。キーホルダーなんて買うのは一体いつ以来だろう?

 9:30。下山開始。約2時間山頂に滞在したことになる。


 
山頂近くの下山路はこんな感じで、足元は砂ではあるが、踏み固められて比較的歩きやすい。ただし、マスクなり、口と鼻から砂が浸入するのを避けるための手立てはあったほうがいい。



 土のところもある。



 下山路横にあった唯一の雪の塊。手袋をはずして触ってみた。実際に富士山の雪に触れたのはここだけ。当たり前だが冷たかった。それだけ。



 山頂へと荷物を運ぶブルドーザーとすれ違う。



 かなり速いスピードで歩いてきて40~50分。8合目を過ぎたあたりだと思うが、犬がうろうろと歩いているのを発見。どこかへ向かって--どうやら目的地があるようだ--いるようだ。
 首輪もしているし、健康状態もよさそうだ。
 誰かのあとを追うというそぶりでもなく、ときおり、道をそれたりもしていたが、おおむね登山路を我々登山者に交じって下って行った。

 7合目で、前日宿泊した大陽館でトイレを借りて一服したのだが、犬は大陽館のベンチの下で日差しを避けて横になっていた。大陽館では元々数頭の犬を放し飼いしていたと聞く(今は放し飼いが禁止となった)。小屋のすぐ上には犬小屋もある。この小屋の飼い犬かもしれない。


ボルト気分。お目当ての砂走り

 今回の登山で、ご来光と並んで楽しみにしていたのが砂走りのスラロームだ。
 ここまでの下山路も砂の道だったし、傾斜を利用して、けっこうなスピードで、時には砂塵を舞い上げながら走り下りてきた。でも、これは噂の砂走りではなかろうと思っていた。道は平らで踏み固められ、ワイルド感にかけていた。それはどうみても人工的につくられた道で面白みというものがない。

 そしてまさしく7合目から5合目まで1時間近くに渡って続く急坂こそが砂走りと呼ばれるワイルドで豪快なランを楽しめる場所なのだった。



 ほぼ直滑降に近い道。山肌を滑り落ちるようにかけ下りる。砂礫交じりの部分もあり、脚を何度も取られ何度か転びもした。
 転ぶ場所やタイミングを誤ると大けがをしかねないので十分な注意が必要だ。
 最初はこわごわと下りていたが、ブレーキングのコツを覚えると、恐怖がやや減退して、走り下りるのが快感になってくる。調子に乗ってグングンとスピードを上げる。
 一歩が2、3mとものの本には書いてあったが、まさにそんな感じ。ウサイン・ボルトのストライドが2m77cmだそうなので、まさに「ボルト気分」。
 自分の姿を見ることができなくて残念だったが。後ろを下りてくるKさんの姿を見て想像をめぐらした。



 前方を行く登山者たち。6合目あたりだろうか。やや、緩斜面となり、砂よりも石ころなどが増えてくる。



 11時近く低木帯が目の前に。大陽館に寄ったのが10:20くらい。休憩して砂走りに足を踏み入れたのが10:40頃なので、砂走りの道を滑空するように滑り降りていた時間はわずか20分前後ということになる。
 ここをぬけるとまもなく「砂払い五合」の標識が目に入った。
 砂交じりの道を通りぬけた先に「砂払い」の地名。名付けた人のユーモアのセンスに思わず「くすっ」と笑った。

無事下山完了

 この先、樹林帯を抜けて登山口に戻るのだが、ここが意外と長い時間を要する。疲れもたまってくるし、足元も危ういので木の根や岩に躓いて、意外と転びそうになることも少なくない。もうすぐという安ど感もあり油断しやすいので注意が必要かもしれない。



 行きにも通った神社の前を曲がると、登山口の土産物屋に続く整備された道だ。「おつかれさま」と沿道から声がかかる。
 
 11:40ころ。無事に下山完了。思えば、ちょうど丸一日前にここを後にした時刻だ。まさにこれから登ろうとする登山者たちとすれ違った。昨日と同じように、あたりには霧が立ち込めていた。

 すっかり失念していたが、ここから駐車場までは坂を登らねばならないのだった。最後の試練ともいうべきこの坂道を黙々と登る。「着いた!」と思った身にはけっこうきつい。




 2012年夏。こうして念願の富士登山を果たすことができたことは幸いだった。この山行を計画してくれたKさんに感謝したい。
 これからも、そう何度も登りたいという欲は余り持っていないが、いつの日かチャンスをつくって、今度は家内を連れて、もう一度くらいは登ってみてもいいかなと思う。
 富士登山は、しっかりした装備で夏場を選び、天候さえよければそんなに難しくはない。体力に合わせて登山スピードを調整しさえすれば、誰にでも登山可能だと思う。

 噴火の懸念も取りざたされるなか、「登りおおせた」という事実は自分にとって意味があった。
 またいつか、山頂からの景色を目にできる機会のあらんことを願いつつ、筆を置く--いやキーを放すことにする。

〈おしまい〉


 ≪その1に戻る

 ≪その6へ戻る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012夏 富士山に登りました。(その6)

2012-09-28 | トレッキング、トレラン
お鉢巡り

 富士山火口をぐるっとめぐることを「お鉢巡り」という。
 とくに理由があったわけではないが、時計と反対回りに歩いて眺めのよさそうな場所を目指す。



 写真中央の一番高いところが富士山測候所のある剣が峰。火口の壁には万年雪が残っていた。右下に少し写っているのがお鉢巡りのコースになる。

 歩きながら携帯でわが家に「山頂到着」の電話をしたが、何の問題もなく通じた。ちなみに7合目の山小屋からも電話できた。ちなみにau→Softbank。

 15分ほど歩くと山際の開けた場所に出る。天気も良くて素晴らしい眺めだった。



 正面に見えるのが本栖湖。手前の雲がかかった山は大室山。その向こうが有名な青木ヶ原の樹海。本栖湖の手前左の山が竜ヶ岳。写真左に向かって雨ヶ岳、タカデッキ(変な名前だ)、毛無山と連なる。山の名前はあとで地図で調べたので、このときはわからなかった。

 ここに見えているかどうかも定かではないが、これらの山の向こうに見えているのは南アルプスの山々と思われる。ひょっとしたら身延山も見えているかもしれない。右端の山は八ヶ岳(だと思うが)。

 ここまで上がってくるのもけっこう急でたいへんだった。



 ここからさらに山をひとつ越えて向こうに見える剣が峰を目指す。



 下界の景色と山々を眺めながら、Kさんに「あそこは・・・」と名前を教えてもらっていた。登ったことのある山が見えるというの楽しいものだろうなと思いながら、登ったことのない山を眺めていても楽しかった。

 するとどこからか若者が一人現れて「槍ヶ岳って見えますか?」とかなんとか話しかけてきた。Kさんが快く応じる。少し話をしてみたら、彼は福岡からきた大学生で、富士山ホテルでひと夏バイトをしてるんだそうだ。子どもの頃山好きのお父さんに連れられてこの辺りの山もいくつか登ったことがあるとか。

 その彼が言うには、今年の富士山は、台風が来なかったせいで寒いんだそうだ。去年の夏は8℃までしか気温が下がらなかったが、昨日の朝は3℃だったという。
 台風は富士山頂でも吹き荒れるというのが意外な感じがした。

 面白かったことが一つ。



 確か上の写真の中央少し左の山だと思う。木が生えていなくて白く見える山がある。彼はこの山を見て「あれって、炭鉱ですか?」と言う。聞けば、福岡では、あのような山はすべて炭坑跡なんだそうだ。

大沢崩れ

 休憩時間を抜けだして8合目から20分で登ってきたという彼が挨拶をかわして帰って行ったのを期に少し歩を進めて、荷物をおろして腰掛けられそうな場所に移動する。



 そこは「大沢崩れ」と呼ばれる深くえぐられた谷状の地形の真上だった。Kさんは「これが大沢崩れか」と言ってたから、わざわざその谷が見える近くに腰をおろしたのかもしれない。下から見るとナイフで切り裂かれた深い傷のように見える。今も崩落が続いているらしい。
 ※国交省富士砂防事務所のHPにひじょうにわかりやすい写真が掲載されている。こちらの「事業のあらまし」の中の「富士山砂防事業」の項など。

 過去の溶岩流のあとらしく、いつかはともかく、富士山が長久の眠りから目覚めて噴火した場合には、この大沢崩れを経路として溶岩が流れ出すことになるようだ。あるいは土石流を引き起こす。
 富士山噴火の噂は尽きないが、活火山である以上、また過去の歴史から見ても、いつ噴火しても不思議ではない。
 当然、きちんとした研究機関で現在も継続して調査・研究がつづけられているし、防災準備も着々と行われている。
 ※このあたりのことは静岡大学防災センターによるこちらのページにくわしい。



 左手、南西方向には駿河湾も一望できる。素晴らしい眺め。



 右手、北西方向には先ほども見ていた南アルプスの山々がさらにはっきりと見えた。

 山の名前などがわかったらこれらの写真ももっと楽しく見れるのに、とWEBを探ってみたら、偶然にも同じ日に山頂で動画を撮影し、山や湖などの名前を解説してくれている人がいた。まだゆっくり見てないが、どこもあの日見た同じ景色だらけで、ここに載せた写真と同じ場所も何箇所も写っている。YouTubeから拝借したので興味のある方はご覧いただきたい。

artcm555 富士山から北岳、八ヶ岳



剣が峰

 いよいよ剣が峰へ。この道も、ここまで登ってきた身にはそれなりにきつい。



 進行方向左手、火口方向には大きな岩がごろごろしていて、まるで月か火星の写真のようだった。この地球もまさにそうした宇宙の一部だということを実感するシーンだった。



 さらに向こうには火口の一番深いところが見えた。



 来た道を振り返るとこんな感じ。



 再び歩きはじめて約20分。とうとう富士山測候所の真下にたどり着いた。



 このドームの手前を抜けて右側に「日本最高峰富士山剣が峰」と彫られた碑がある。
 さすがの日本一。ここからの眺めがまた最高だった。



 右下の一角の建物群は浅間大社奥宮、富士館、山頂郵便局(気づかなかったけど)にトイレなどが集まる一角。富士宮口ルートの頂上にあたる。
 いずれわれわれもその前を通ることになる。

 左下にポッコリと見えるのは金時山だろう。子どもの頃通学路から見た景色は目に焼き付いている。金時山、そしてその向こうに富士山。なんたって毎日通った道だ。ちょうど、この逆方向かと思ったら人知れずなんだかじんときた。
 相模湾。江の島もはっきり見えた。

 富士山頂の位置を示す三角点の標石。「標高 3775.63m」とある。3cmまで測れるんだな。



 そして・・・撮りました。ちゃんと順番を待って。なんたって一番の人気撮影スポット。写真の時間表示によれば8:26。日本の頂きに到達した瞬間。
 と、書いてはみたが、実際にはその時、そういう圧倒的な誇らしさのような感情は湧いてはいなかった。
 確かにここまで登ってくるのは楽ではなかった。ハアハアと息を切らし時折休みながら1泊2日をかけてきたわけだから。でもこの場所が日本一高い場所だなどという実感は持ちようもない。ただそこにそう書いてあるからそう思うだけだ。

 富士山に登ると何かが変わるかのようなことを言う人もいるようだ。人によってはそう感じる人がいても別に否定するつもりもないが、とくに何かが変わるわけではない。
 それでもあとになってみれば「日本一高いところへ行ったことがある」というまぎれもない事実が誇らしさをまとう日がくるかもしれないとは思う。
 いろんなことに恵まれて、ここまでこれたことに感謝したい気持ちになったのは事実だ。



おまけの一枚

 日本最高峰登頂はこれで終わり、あとは下山するのみ。
 と思いきや、なんだか少し先で騒いでいる若者たちがいる。目測ではあるが、どう見ても先ほどの「日本最高峰」よりも、こちらの岩の上の方が高い位置にある。
 事実のほどはいざ知らず、互いを撮り終った若者に頼んでKさんと2人で記念の写真を撮ってもらった。2人で撮ったこの登山唯一の写真。
 思い出の一枚の左下でなぜか若者の一人が疲れて眠っていた。



 登山の途中で、疲れ果てて、眠っている人。ぐったりと休んでいる人は実は少なからず見かけた。休憩を経て、その後山頂まで登ってこれたのかどうかはわからない。
 もっとも参考にさせてもらった伊藤フミヒロ「登ってわかる富士山の魅力」によれば、高山病なども含めて、体調不良・体力不足などにより、山頂まで到達できるのはおよそ3人に2人くらいではないかとある。

 約3割の人が登れないとなるとかなり高い数字だという気がするが、富士山登山者が子どもからお年寄りまで幅広く、初めて本格的に山に登るのが富士山と言う人も少なくなさそうなことも関係があるだろう。わたしも、富士登山の前に近くの山を2つ登っただけだ。
 マラソンで言えば「東京マラソン」のポジションととてもよく似ている気がする。
 ちなみに、わたしも今年初めて抽選に申し込んでみたが見事にハズレた。

 普段運動習慣がない人にとっては、富士山登山は、そう低いハードルではないと思う。逆に、日常的に何らかの運動をしている人である程度の常識的な装備(たとえ靴はハイカットの登山靴で登るべきだと実際に登ってみて思った)で臨むなら、(高山病を除けば)それほど困難なことでもないというのが率直な感想だ。

 次回は最終回。下山の行程を一挙に!(おおげさか)
 

 ≫その7に続く

 ≪その5へ戻る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012夏 富士山に登りました。(その5)

2012-09-23 | トレッキング、トレラン
少々間が開いてしまいましたが、再開します。お時間のある方はお付き合いいただければ幸いです。

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

登山2日目、早朝。

 結局、何時に眠りに就いたのか定かではないが、少しは眠ったようだ。
 3時ごろ目が覚める。Kさんもすでに起きだしていて「まだ少し早いけど、ぼちぼち準備しますか」などと会話を交わす。
 山小屋に入る時に「4時出発」と申告していたが、実はあまりしっかりと出発時間を決めていなかったのだ。
 トイレを済ませ、暗闇の中黙々と準備をして3時半過ぎには大陽館を出発した。

 実はこのとき失敗が一つ。
 山小屋からの注意通り、ザックの準備は概ね済ませてから横になったが、最低限の中身の入れ替えなどはどうしても必要になる。これを暗闇の寝床の上でやったために、iPhoneを置き忘れてきてしまった。
 幸い外に出てすぐ気付いた。寝床に上がって手探りで探したら割とすぐ見つかって事なきを得た。登山靴を何度も脱ぎ・履きするのは大変だったし、Kさんを少し待たせることになるなど、やはり準備が甘かったと反省している。
 どうも今回は(最近?)物忘れが多い。

 外はもちろん闇の中だ。登山者の数もパラパラといった程度。
 夜の登山は初めてで、ヘッドランプを使うのも初めて。最初のうちは足元がうまく見えなくてつまずいたりと、ちょっと怖かった。ランプの角度を調整するのを忘れていたのだ。道理でうまく足元が見えにくいわけだ。角度をやや下向きにしたら、グッと見やすくなって、以後はしっかり歩けた。

 4時半、本七合目・見晴館に到着。標高は3200m



 「もう少し標高稼ごうか」

ご来光。圧倒的な光の束。

 さらに10分ほど上がったところで、コースからはずれて適当な場所を見つけ、坐ってご来光を待つことにする。
 
 Kさんによれば日の出は5:07。まだ20分以上あるが、空はすでに赤らんでいた。地平線のすぐ上には薄い雲がかかっていてどのように見えるか少し心配された。

 わたしは長袖シャツの上にフリースを着こみ、その上にレインウエアの上下も防寒用に着こんでいたが、待つ間に、多少震えるくらいの寒さになった。
 もし山頂でご来光を待つなら、ダウンかセーターを用意する必要があったと思う。

 薄雲の効果でオレンジ色の光が地平線に沿って見渡す限りの範囲に広がっていき同時に中央から色を濃くしていく。この世のものとは思われない「神々しい」と言いたくなるような圧倒的な光の大きさと広がり。

4:35】中央左は山中湖


4:50】太陽が登ると思しき中央部分の光の強さが増していく。右端に、おそらく横浜ランドマークタワーが見える。


4:54】この時の光が最も神々しいと感じた。何か平和的なもの、祝福されるべき何かがそこから感じ取れるような美しさ・・・


4:57】中央には相模湾。江の島もはっきりと見えた。


5:01】パノラマで撮影(iPhone5ではなくAPP)


5:08】まさに太陽自体が顔を出した瞬間。下山する若者も途中で脚を止めた。


5:10


 できるだけ忠実に写真に収めたいと何度もシャッターを切ったが、肉眼で見る太陽の光の動きや感触は到底カメラではとらえられない。

 それは、たとえて言うなら、宇宙船から眺めた日の出のような感覚。
 まあるく暗い地球の向こうから太陽の光が洩れて--まるでビッグバンの瞬間か何かのように--一瞬に巨大なエネルギーが一気に発散していくような感覚だった。

 雲にバウンスして拡散して巨大な帯となったオレンジの輝きは、あたかもこの世界の始まりを告げる強烈なメッセージか何かのようにも感じられた。
 いずれにしても、これまで経験したことのないような大きさと強さだった。

 一気に広がって、いったん落ち着くと、山の上だということを除けば、あっという間にいつもの朝とさほど違わないような空になった。
 大事なことは一瞬のうちに起こり、あっという間に隠されてしまう。そういうことかもしれない。

 気流の関係か、まるで竜のような雲が西に向かって一直線に伸びていた。



 一大イベントをしかと目に焼き付けたわれわれは、いよいよ山頂を目指す。



腹ごしらえ、など。

 まずは腹ごしらえしようか、と提案されたが、寒くてじっとしていられず、もう少し上まで登って体を温めてから朝食の弁当を食べることにする。登っていればじきに体も温まってくる。

 八合目。3270m。江戸屋。ここが吉田口ルートとの合流(分岐)地点となる。登山者の数がグッと増えるはずだが、時間的な問題か、それほどでもない。5:35頃通過。



 江戸屋通過直後の登山道の様子。



 5:40頃。体もどうにかあたたまってきたようで寒くなくなった。コースをそれて弁当を食べることにする。



 これは、ちょっとした感動だった。下界なら、さほどのことはないかもしれない。だが、おかずも1つ1つ、ちゃんとおいしかった。とにかく、期待を大きく上回ったところにこの感動の根拠がある。
 1泊2食、9975円は伊達じゃないということかもしれない。

 さあ、弁当も食べ終えたことだし、あとはひたすら山頂を目指すばかりだ。

いよいよ日本の頂上へ



 本八合目・3370mには富士山ホテルとトモエ館、2つの山小屋がある。6:10頃通過。
 ここはもう人でごった返していた。これから山頂を目指す人、山頂でご来光を満喫して下りてきた人が交差する。
 この山小屋の前も登山道の一部になっているから避けるわけにはいかない。通勤時の駅のように人ごみを縫って歩く。



 目の前を歩いている女の子に気づく。まだ5歳かそこらだろうか。おばあちゃんに連れられ、励まされながら登っている。ちょっとぐずっているようだ。それもそのはず。「胸突き八丁」の言葉通り、8合目から9合目あたりが肉体的にも精神的にも一番きついところだ。われわれ大人だって、ハッ、ハッと息を切らし、登っては休み、登っては休みながらの道程なのだ。
 心の中で「がんばれー、もう少しだよ」と声をかけて横を通り過ぎた。



 この日初めて見た小さな雪渓の残り。

 9合目到達は7時前。標高は3600m
 昨日の高山病と思しき頭痛は、そういえば消えていた。薬も結局服用せずにすんだ。



 9合目から下界を見下ろす。建物は本八合目の山小屋。写真上に見えるのは山中湖。



 下山道方面を見やる。本当は雲のラインが地上と水平な位置になる。



 そして、とうとう、7時半を前に山頂に到達。石段を登った先に「富士山頂上」と掘られた石碑が見えた。



 これが日本一高い場所か。意外とあっけなかった感もあったけれど、確かに登りきることができたという充実感がにじむように湧いても来た。

 このあとは、お鉢巡り。




 ≫その6に続く

 ≪その4へ戻る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする