MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

2012夏 富士山に登りました。(その4)

2012-09-10 | トレッキング、トレラン
大陽館にて。受付。トイレ。



 ここが入り口。
 入ってすぐ右に受付がある。
 左側にはトイレが4~5つ並んでいる。
 トイレはきれいだったし、においもほとんどしなかった。
 バケツに水がためてあって、使用後は杓子を使って水を流す。
 一番奥の1つだけが、スリッパに履き替えてはいることになっていた。なぜだかはわからない。



大陽館にて。宿泊料金など。

 受付で金を払い、宿泊証明書をもらう。
 これを持っていれば、一回200円のトイレ使用料はただになる。下山の際も利用させてもらった。
 宿泊料は1泊2食付きで9975円(素泊まりは6300円)。
 あとからわかったがこの料金は、富士山の数ある山小屋の中でも群を抜いて高い。
 富士山山小屋のおおよその相場は1泊2食付きで7350円。素泊まりが5250円といったところのようだ。
 山小屋を選ぶ基準は料金ではなく山行計画が優先するから、高いから他に泊まるという選択は普通はしない(と思う)。われわれもそうだった。高い気はしたが、「まあやむをえない」という感覚だった。



 部屋に荷物を置いて、まずはビールで乾杯。350㎖の缶ビールが735円。しかし、格別だった。
 メニューにはほかにもいろいろあった。



 大陽館から見上げた山頂はこんな感じ。



大陽館にて。夕食。

 夕食は17:00から。
 富士山の山小屋の夕食は、ほとんどがカレーライスと言われるけれど、そんな中、ここ、大陽館は「富士山山小屋随一」と聞く食事が何と言ってもウリらしい。おそらくは、宿泊代が高いのは、まずもってこのあたりに理由があるのだろう。



 下界なら特筆すべき点もないが、富士山で食べるとなればやはりちょっとうれしい気はした。しかもご飯とトン汁は食べ放題。
 みんな腹をすかせているので、次々とおかわりに手が伸びる。
 下手な民宿の「おかわり自由」と違って、何も言わずとも、少なくなった鍋やおひつをすばやく見つけては手際よく補充してくれる。
 具だくさんのトン汁は確かにうまい。ご飯もおいしいコメだった。
 大食漢なら、9975円でも十分元が取れるかもしれない。

 翌朝の出発が4:00なので朝食は弁当にしてもらっていた。夕食時にすでに弁当を受け取る。紙に包まれビニール袋に入っているので中は見えない(みようと思えばもちろん見えるけど)。
 細かいことだが、部屋に戻ってザックを詰め直したときに、何気にこの弁当を突っ込んで置いたのが、寝床に入ってから気になって仕方がなかった。
 ザックを立てて置いていたので、必然的に弁当も縦になっている。中の汁分が漏れてやしないかと気になったが、静まり返った真っ暗な寝床で、がさごそ動かしようもない。

 「早朝出発する方は、寝る前に必ずザックの準備を終わらせて置いてください。起きてから準備をされると眠っている方の迷惑になりますから」

 と食事のあとで注意があった。
 弁当のことは、またあとで書こうと思う。

大陽館にて。七合目からの眺め。

 夕食後、まだ明るさが残っていた。
 風呂に入れるわけでもなく、部屋と言っても寝るだけの2段ベッドしかない。中は小暗く、おそらくは深夜に出発する予定の人たちがすでに寝入ってもいる。何一つやることはない
 外に出てテーブルに座って下界を眺める。雲海の中にいくつか見える山や街の名前を教えてもらいながら、しばし景色を楽しんだ。



 月も見えた(右上の白い点)。



 18:00頃には切り上げて寝床にもぐりこんだ。


大陽館にて。部屋と寝床。

 夕食後の注意がもうひとつあった。

 「今夜はだいぶ冷え込みそうなので、シュラフだけでなく布団もかけて眠るように意識してください」

 我々の「部屋」は二段ベッド--といっても独立した部屋があり、本当にベッドがあるわけではなく一枚の棚を等間隔に柱が隔てているだけで板壁さえない--の上段。幅1mほどのスペースがわれわれ二人分の寝床となる。シュラフが3つ並んでいる。枕はない。梯子を上り下りする。

 「布団」がどこにあるのかわからなくて聞きに行ったが、それはつまり、敷布団と思っていたものが、何層にも布団が重ねられた掛け・敷き兼用となっていて、寒い時には上の何枚かをめくってもぐりこむという仕組みなのだった。なるほど。
 不潔とは思わなかったが、なんとなく湿気を帯びている感じがするのはやむをえまい。

大陽館にて。眠れない夜

 ヘッドランプが必要かと思っていたが、必要最低限の灯りもあった。
 明日のことを考えて、なんとか寝ようと努力したが、どうしても寝付けない。すぐ横のKさんは静かに寝息を立てている。さすがだと思った。1人どこかで大きないびきをかいている男がいたが、それほど気にならなかった。念のため用意した耳栓も不要だった。

 とにかく、やることがなく、本も読めず、音楽も聴けず、話もできない--寝るしかない。その環境が息苦しくて、「まるでクラシックのコンサート会場みたいだな」と思う。
 クラシックの演奏会のほうが、それでもまだ小声で話などはできる。そんなに息をつめて演奏に集中しているのは日本くらいなのだから、ここ、富士山の山小屋には外国人は泊まれないに違いない、などと余計な心配までしたくなった。

 20:00頃、どうしても我慢できなくなって、外へ出た。山小屋の若いスタッフ数人が、ボリュームを抑えてミスチルの曲をバック流しながらおゃべりに興じていた。

 表にはだれもいなかった。一人坐って、月を見上げた。きれいな月が南の空に浮かんでいた。しばらく眺めていた。さすがに肌寒いが、気分は良かった。

 明日は4時前にはここを出て、山頂へ向かう途中でご来光を眺める。山小屋の北側から、暗闇の中この登山道を登ることになるのだった。



 ≫その5に続く

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2012夏 富士山に登りました。(その3)

2012-09-07 | トレッキング、トレラン
ルート整備が行きとどいた登りやすい山

 さすが年間30万人もが訪れるという富士山。ルート表示は数も多く、ひじょうにわかりやすい。



 時には岩に直接ペイントされていることも。



 だから、「視界さえ良好なら」道に迷うことはないと言いたいところだが、これがなぜかはわからないが、「あれ?こっちでよかったんでしたっけ?」てなことが何度かあったし、2度ばかり、間違って下山道を登ったりもした。
 人間だれしもミスを犯す。ふと考え事をしてたり、疲れて集中力が散漫になってくると見落とすこともあれば、表示の前に人が坐りこんでいて見えないなどということもあった。

 それでも登りやすい山だと言っていいと思う。あとは登る人の体力・気力のみ。
 しっかり準備して(余りしてない若者なんかも見かけたけど)、時間をかけ、高山病にかからなければ--繰り返すが、季節が夏で、天候さえ良ければ--子どもでもおばあちゃんでもきっと登れると思う。

 少し上から見下ろした瀬戸館はこんな感じ。
 下界は雲に覆われてほぼ何も見えない。



いよいよ本日宿泊する大陽館へ

 本六合目から、本日宿泊予約をしている七合目大陽館までの間には、人の手によって成された風景を目にした。

 誰が積んだのか、微妙なバランスで崩れることのないこんな石積みのオブジェ。



 途中「落石注意」の看板も何度か目にした。



 見上げればさすがにあちこちに大きな岩が目に入るし、それらがいつ落ちてきても不思議はないだろう。
 あまり注意のしようもないと思う。
 ひょっとしたら、落石事故で亡くなったのかもしれない。山で亡くなられた方を悼むために立てられたらしい小さな碑と石で造られた祠があって、たくさんの鈴がかけられていた。


 
 ご冥福をお祈りしたい。

 そして、見上げれば七合目・大陽館の建物がもうすぐ頭上に。



 少し前から、痛いというほどではないが、少し頭がぼーっとした感じがしていた。Kさんも同じだといい「漢方の頭痛薬を持ってきたから、山小屋についたら飲みましょう」と話した。

 七合目。標高2920m。登山図では本六合目から1時間20分の行程とある。標高差は300mということになる。
 ちょうどほぼ15:00。予定より30分早く、無事大陽館に到着した。本六合目からは1時間10分かかったことになる。




 ≫その4に続く

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2012夏 富士山に登りました。(その2)

2012-09-04 | トレッキング、トレラン
須走ルートからアタック

 今回は、かなり余裕を持ったスケジュールだった。
 須走ルートを提案したのはわたしだったが、タイムスケジュールや山小屋の手配はKさんにお任せした。
 なぜ、須走ルートを選んだか? それは伊藤フミヒロ著「登ってわかる富士山の魅力」に、最もお勧めのルートだと書かれていたからだ。こう書いてある。

「古くは「東口」と呼ばれた須走口ルートは、行程こそ長いのですが、富士登山らしい味わい深い山登りが楽しめます

「須走口ルートは、吉田口、富士宮口に比べて出発地点が、300~400メートル低いので、登り下りそれぞれ1時間ほど余計にかかります。カラダを徐々に高所に慣らすことを考えると都合のよいルートです8合目の合流地点までは団体ツアーに会うことはなく、静かな富士登山が味わえます

登ってわかる 富士山の魅力 (祥伝社新書112)
伊藤 フミヒロ
祥伝社


 さらにもうひとつ。

「須走口の下山ルートには、有名な砂走りがあり、1歩3メートルとも言われる豪快でスピーディなダウンヒルが楽しめます」

 富士登山のメジャールートは吉田(口)ルートと富士宮(口)ルートで、およそ8割以上の登山者がこのいずれかのルートから登る。須走(口)ルートから登る人は15%程度。そこもちょっと惹かれた。

1日目は七合目の山小屋「大陽館」まで。約4㎞。標高差950m。11:40駐車場出発→12:00登山スタート】

 人の数はそれほど多くはない。しばらく樹林帯の中を歩く。
 歩きはじめて小一時間。道をそれ、軽く休憩兼腹ごしらえ。あたりはまだ霧に包まれていた。



 伊吹山でも見たことのあるような草花も目につく。





 まもなく視界が開けて天気がよければ山頂が望めるようになる。



 須走ルートの登下山道は概ね別ルートになっている。下山道の7合目から下が有名な砂走り。今回のお目当ての一つだ。別ルートなので、左に目をやると砂煙をあげて走り下りてくる人が小さく見えた。
 しかし、このときはもうひとつピンとこなかった。



 13:10 六合目・2420m 長田山荘】

 標高差450mを1時間余りで登ってきたことになる。登山図の標準時間は1時間35分。





 13:50 本六合目・2620m 瀬戸館】

 さらに200m標高を稼ぐ。六合目からの登山図の標準時間は50分。
 遠方を見やると、さきほどよりもはるかに激しく砂煙をあげて滑るように下りてくる人たちが見えた。
 「おおー、あれかあ!あれだなあ」とワクワク度が一気に高まる。



 登り始めて約2時間。今日の行程の半分を過ぎたくらいか。順調なスタート。


 ≫その3に続く

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2012夏 富士山に登りました。(その1)

2012-09-04 | トレッキング、トレラン
富士山、登れるんじゃない?

 8月28日、29日の2日間、ある意味「念願」でもあった富士山登山を敢行した。
 子どもの頃毎日眺めていた富士山。時が流れ、場所が移り、富士山を見る機会はすっかり減ってしまった。登るなどとは、文字通り「思いもよらなかった」。

 ところが、ランニングを始め、体重が減り、フルマラソンを何度か完走し、知り合いが山に登っていると聞き及び--おそらくは昨今のブームで富士山のことを見聞きする機会が増えたことも影響しているだろう--ふと考えた。

 「富士山、登れるんじゃない?」

 そして、今回、「一緒に登りますか?」と声をかけてもらって、一気に計画が具体化した。徐々に揃えていた装備も急速に整い、「どうしてもこの夏登る。一人でも登ろう」--そう決意したのだった。

新東名。御殿場駅。そして五合目駐車場へ。

 6時半車で自宅を出発。新東名を経由して御殿場へ向かったが、ナビに新東名が登録されておらず、東名との合流が御殿場ICの手前かどうかよく確認してなかった事に気づき、念のため清水で東名へ戻ることにする。


※途中立ち寄っておにぎりを食べたNEOPASA浜松。

 遠回りになったが、清水の街へと向かう高速道路はひじょうに眺めがよく海が見渡せて気分が良かった。
 結論から言うと、そのまま行っても御殿場ジャンクションを通って御殿場ICにより速くいけた。こういうのって、回避行動をとらなかった場合は、たいてい失敗することになっている。不思議なものだ。

 いずれにしても、新東名は、トンネルだらけで、特徴のない景色が続く。確かに空いてはいたが、ドライブの楽しさが全く違うので、今後は基本的には利用しないと決めた。

 東名と合流して海岸線を走っていると富士山が見えた。頂上から1/4ほどだけ雲から頭を出している。童謡の歌詞を思い出して頭の中で歌った。
 ここ数年、近くを通ってもほとんどその姿を見れなかった。「あそこにこれから登るんだな」とちょっとした感慨にふける。

 10時半。御殿場駅で、Kさんと待ち合わせ。彼はM市から電車で。ひさしぶりだが車を止めて3秒でお互いわかった。
 駅のコンビニでおにぎりを買って途中で食べることにする。

 ふじあざみライン(無料)を通って、須走口五合目に向かう。噂通り道の左側に車が縦列駐車されていたが、すでにところどころ歯抜けになっていて、とめられることなく駐車場(無料)までたどり着く。
 駐車場は霧に包まれていた。標高1970m



 靴を履き替え、準備を整え、11時半、いよいよ出発。
 山小屋での着替えの用意などすべて忘れて--ついでにさっき買ったおにぎりも忘れた--歩きだす。
 まずは、登山口手前のトイレで用をたす。有料トイレ200円


その2へ続く

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伊吹山登山(2012/8/5) ~行きはよいよい帰りは恐かった

2012-08-19 | トレッキング、トレラン
 あれからすでに2週間がたった。相変わらず、時の過ぎるのは速い。
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 富士山登山のシミュレーションを兼ねて伊吹山(1377m)に登った。伊吹山ドライブウェイを使えば9合目まで車で上がれる。9合目から頂上までなら登ったことは何度かあるが、一度麓から自分の足で登ってみたいと思っていた。

 登山やトレッキングはほとんど経験がなく、富士山を目指す前に伊吹山で装備や体の負担など試してみることの意味は大きい。
 標高は低いけれども、麓からの高さは意外とある。もちろん、伊吹山登山は「初心者向き」、富士山・富士宮ルートは「中級」となっているので、富士山に登るのは今回の比ではないだろう。
 逆に言えば、伊吹山でも苦労するようなら、富士山には登れないかもしれない。試すにはちょうどいい。

 ●伊吹山 :標高差 1167m /登り 3:50/下り 2:30
 ・登山口(210m)--1:40-->三合目(720m)--2:10-->山頂(1377m)--2:30-->登山口

 ●富士山《富士宮ルート》:標高差 1335m /登り 5:10/下り 3:30
 ・五合目(2380m)--1:25-->新七合目(2790m)--1:40-->八合目(3220m)--2:05-->浅間大社奥宮(3715m)--3:30-->登山口

出発

 7:30に家を出て、途中コンビニによっておにぎりなど調達。登山口近くの駐車場に車を停めたのが8:50頃。駐車場はほとんどどこも500円だった。

 

 靴をトレッキングシューズに履き換え、多少の準備をして出発したのが9:10頃。登山口まではすぐ。続々と登山者が登っていく。



 もうすでに太陽は高くて、暑さが気になったものの、素晴らしい天気で気持ちも高揚する。















三合目到着

 三合目到着が10:20頃。快調。ときおり下界を眺めてはいい気分にひたった。
 少し前にも、近くの池田山に登ったが、ここ伊吹山は一回りもふたまわりも大きな山だし、登山道もよく整備されている。
 老若男女バラエティに富んだ登山者は、概ね本格的な装備だ。ダブルストックの登山者が目についた。
 世間をにぎわす山ガールの華やかな姿も実際に目にした。1人あるいは2,3人といった少人数で登っているケースが多いみたい。
 西にはびわ湖が一望できる(1070mの写真右上)ほか、高山植物の宝庫でもある。美しい自然を満喫できる。






上から順にクサフジ、ニッコウキスゲ、コオニユリ(たぶん)。ほかにもたくさんの花々を目にした。

 わたしにとっては、ほとんど初めての本格的な登山。
 七、八合目あたりからは、手を使わないと登れない(下りられない)ようなところも少なからずあった。
 実際、滑り落ちたり転んだりした人も何人か見かけた。登山とはこういうものだったか、と今さらながら間の抜けた感想を持ったりした。













 トレイルランナーの集団(739mの写真)などもたくさん見かけて、ちょっと興奮した。
 本当に走れるのは5合目くらいまでで、それから上はコースも狭く、急で、駆け上がるのは無理だろう。 それでも颯爽と、見た眼ごく普通の女性たちまでが山を走っているのには、正直少し驚いた。大したものだ。









 誰かが「伊吹山少し甘く見てたな。夜叉が池だってこんなに汗かかなかったよな?」と仲間に話してるのを耳にした。登りでは、わたしも汗はもうビックリするくらいかいた。タオルを首に巻いていたのだが、何度も絞ることができるほどだった。
 ハイドレーションパックを初めて試したが、実に調子が良かった。富士山でも使おうと思う。帰宅後残量を計ったが600ccほど残っていた(2ℓパック)。

無事山頂に到着



 山頂到着は11:50頃。周囲がガスってきて、あっという間に山頂は真っ白となり下界は見えなくなってしまった。山の天気は本当に変わりやすい。



 九合目の駐車場から合流した軽装観光組もいるので、山頂は銀座か竹下通り並(?)のにぎわいだ。
 持参したおにぎりを食べ、腹ごしらえ。梅のソフトクリーム(300円)も食べる。なかなかおいしかった。
 山頂のトイレはとてもきれいだった。途中、一合目のトイレ(下の写真)ものぞいてみたがそちらもきれいだった。



 ただ、思ったよりもゴミなどを山道に見かけたのは残念だった。これだけ人が多いとマナーのいい人ばかりじゃないのでしかたがない。

下山

 霧が少し晴れてきたところで下山開始。12:50頃。
 登りでは、一合目からアディダスのmiCoachをiPhoneで起動させて記録をとっていたのだが、登りだけでバッテリー残量が10%を切ってしまった。
 予備の充電器を持ってはきたのだが、こいつが充電にべらぼうな時間がかかることが判明。最低限、メールや電話がつながる状態は確保しておきたかったので、帰りはiPhoneはほとんど使えなかった(帰りは写真もほとんど撮れなかった)。

 iPhoneは便利この上ないけれども、山ではあれこれ操作するのがかなり面倒だ。首からぶら下げているので、岩などにぶつけないように気も使わなくてはならない。
 そんなわけで、下山ではザックのポケットにしまいこんだ結果、身軽になったので、帰りはスピード重視で下りてみることにする。
 登山靴だし、「走る」わけにはいかないが、それでも下りだし、意外とスピードは出る。グングンと気持ち良く下って行った。

 下りでは、登り以上に手を使わないと下りれないところが多く、手袋をする。
 山頂から八合目あたりまでは、年配の女性や子供ではかなり危なっかしいところがいくつもあったのに、みんななんとか登っていて、これにも驚かされた。

挨拶とマナー

 ゴミが意外に多かったことは先に書いたが、マナーについて気になったことをもう1つ。
 山ではすれ違う時、横を通り過ぎる時など、必ず挨拶の言葉をかけるのがルール。ほとんどの登山者はお互い気持ち良く「こんちは」と挨拶を交わすのだが、中に挨拶されても応えもしなければ、自ら声をかけようともしない人たちがいる。
 中高年くらいの女性パーティをたくさんみかけたのだが、挨拶しないのはほとんどがそういう年格好のおばちゃんトレッカー集団なのだ。100%といってもいいくらい。

 ランニングしてても、ペアになって歩いている50~60代くらいの女性に、挨拶をしない--というかする気のまったくない人がいる。おしゃべりに夢中になっていて周りが目に入らないというか、あえて目に入れないようにしてるという気さえする。
 若い人たちは、よっぽどきちんと率先して挨拶してくれる。未来は明るい。

転倒

 五合目まで下りてきて、道もずいぶんなだらかになったので手袋をはずす。
 休憩場所で多くのトレイルランナー、トレッカーが一息ついているのを横目に先を急ぐ。
 思いのほか調子良く山行をこなし、トレランへの可能性も感じたりして、多少気分が高揚していたにちがいない。
 油断したつもりはなかったのだが、少々調子に乗っていたのかもしれない。

 それから何分も経たないうちだった。どうなったのか、自分でもよくわからないのだが、体重が前がかりになったところでバランスを失い--なんとかこらえようと頑張った記憶は残っている--左半身から体を地面にたたきつけ、あとは坂道なので体を戻しようもなく、一回転したにちがいない。
 踏ん張っていた左脚ふくらはぎの筋の一本もしくは一束がピキッと音をたてた。

 「やっちゃったか!」

 頭は無事のようだ。体全体が叩きつけられた格好だし、坂道ということもあってすぐには起き上がれない。
 後ろからくる人の気配はなく、10mくらい前方に見える登山者は気が付いていないのか、気づかぬふりをしているのか、そのままどんどん遠ざかって行った。
 ほっとするような、がっかりするような複雑な気分。
 転んだのは「856mの写真」のあたりだと思います。

怪我

 左の肘と左手の掌--小指の下あたり--が痛い。ロングパンツの左膝のあたりにどうやら血がにじんでいる。膝上までめくってみると、あちこちから血が流れている。
 膝がしらの上の方の一か所は小さな肉片がきれいにくりぬかれたようになって、とりわけ強く血があふれてきていた。

 なんとか起き上がって、土を払う。
 長袖長ズボンだったので、たとえば破傷風のような心配はいらなそうだ。
 半袖半ズボンなら怪我ももう少し深かった可能性もある。長袖長ズボンは軽快さに欠け、半袖半ズボンの誘惑は強力だが、長袖長ズボンで正解だった。

 歩く分にはさほど痛みも感じなかったので、坐って休めそうなところまでしばらく歩く。
 ハイドレーションパックの水しかないので、腰をおろして唾をつけてはティッシュペーパーで血をふいた。ボトルに予備の水を持ってくるのをやめたのを後悔した。

 持参したばんそうこうを貼ってみたが、数も大きさも十分でなく、すぐに血だらけになりはがれてしまい役に立たない。
 心臓に近い膝上を強くタオルで縛ってなんとか出血を止めようとするが、止まる気配はない。
 ロングパンツの膝部分は血に染まって赤くなっていた。映画のシーンにこんなのよくあるなと思う。

帰路を急ぐ

 こうなっては人目をはばかってるどころではなく、左足は膝上までパンツを巻き上げ、とにかくきつくタオルを巻き直し、一刻も早く登山口まで下りることを考えた。
 どこかで助けを求めることも頭をよぎったが、それほど大げさなことでもない気がした。
 歩く分には大した痛みも不自由もなかったので。
 ただ、あとから思い返すと、あの状態でよく五合目から下りてこられたな、と思わないでもない。

 膝から流れ出す血は固まらず、流れ続けている。
 ときどきふき取りながら歩かねばならず、見栄えも悪いから気になってしかたがなかったが、結果的に誰にも声をかけられずに下まで下りてきた。
 人は意外と他人のことなど見ていないということかもしれないし、見て見ぬふりをしているのかもしれない。

 ずいぶん歩いたはずなのに、なかなか距離が進んでいないような感覚にとらわれながら歩いていた。
 ようやく三合目までたどりつく。ここからは、かつてスキー場だった場所で、登山路の横が芝生になっている。親子連れが斜面に坐りこんで楽しそうに遊んでいた。

 「少し休もう」

 脇にそれ、芝生の上にザックをおろし、足を延ばして草の上に体を横たえる。時刻は14:20頃。
 頭上には、真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲が、ゆるやかに流れていた。芝生の上を風が滑り降りていく。



 しばらく怪我のことも忘れて、生きている幸運に感謝したいような気持になって、空を見上げ雲の動きを追いながら、高原の空気の匂いを嗅いでいた。
 わたしの真似をしたわけでもないと思うが、あとから来たカップルが、同じよう芝生に腰をおろして、おしゃべりに興じていた。

 一合目から登山口まではすぐのように思っていたので、そこから先の道のりがひどく長く感じられる。
 なぜだか、まわりに人もほとんど歩いていない。道をまちがえたのか?と疑いさえした。
 あたりは木々に囲まれていて、木漏れ日も多くは差し込んでこない。時折、鳥の鳴く声が響く。あたかも登山口へとたどり着くための--すなわち天界から俗界ないし日常へと舞い戻るために通り抜けなくてはならない肝試しの空間のようでもあった。

 疲れ果てて登山口にようやく戻りついたのが14:50頃。
 血はまだ止まっていなくて、結んだタオルの先が血で赤く染まっていた。

■後日譚

 アイシングはしていたのだが、腫れはおさまらず、何よりも熱を持った状態が続いていたので、 2日後、整形外科で診察を受けた。
 歩く分には痛みもほとんどないのだが、走るとなると小走り程度でも痛くて、今後の見通しに一抹の不安を覚えたからだ。
 わたしは、歩くのではなく、走らなければならない。

 レントゲンの結果、骨には異常なし。熱を持っているのは傷のせいだし、なにより「まだ2日しかたってないんだから当たり前です」と言われた。なるほどと納得。

 「一番の傷が膝のお皿の上のほうで、ここは太腿の筋肉とつながっている場所。無理して炎症を起こすようなことになると治すのが大変になりますよ。くれぐれも痛みのあるうちに走ったりしないように」

 なるほど。適切なご説明に感謝します。

 念のためということで、抗生物質と炎症・傷み止めを処方してもらう。

医者に行く前日の左膝


 腫れも熱もひかないまま、あれから2週間。未だ完治せず。でもだいぶ良くはなった。
 子どもの頃、転んでは膝をぶつけて血を流してはかさぶたをつくっていた経験を持つ人は多いだろう。
 大したことじゃない、と思っていた。
 大人、とくにもう若くもない年齢の大人では、また事情が違うらしい。
 そこはかとなく哀しい現実がそこにはあった。

 膝の怪我は何かと厄介なようだ。


〈おしまい〉 
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