無事宇宙へと旅立つ
まず、12月3日のHⅡAロケットの打ち上げ(13時22分4秒)成功と「はやぶさ2」の分離・軌道への投入(15時9分25秒)成功に祝意を表したいと思う。関係者の皆さん、おめでとうございました。
前回の「はやぶさ」の帰還もあきらめないで考え復帰の努力を続けたこと、限られた予算・諸条件の中でも不測の事態への備えを準備した用意周到さなどがあったとはいえ、知れば知るほど奇跡的な出来事の連続だった。
「はやぶさ」はイトカワのサンプルを地球に発射し、自らは大気圏突入により燃え尽きた。突入直前に撮影した地球の写真は、地球への亡くなる直前の挨拶、無事任務を遂行した安堵のため息のようでもあった。切なくて涙が出そうになった。はやぶさ自体はただの機械だが、生み出し送り出した技術者にとってはわが子のごとき思いが詰まっている。もはやただの機械ではない。
2度連続の奇跡を
このちっぽけな探査機が、イオンエンジンという極めて小さな(無重力の宇宙では信じがたい推進力をうむわけだけれど)動力で52億キロの距離をおよそ6年かけて飛行するわけだ。荒波の大海をただよう子ガメのようなものだ。今回も数々の想定を上回る困難が待ち受けているのは間違いない。
2度続けて奇跡を起こすのがどれほどの確率かわからないけど、成功を信じて疑わない強い精神力で臨むプロジェクトメンバーの皆さんを心から応援します。
JAXAはやぶさ2プロジェクト公式HPはこちら
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はやぶさ2のことはこのくらいにして、ツインアーチ138からの帰りのランについてのささやかなレポートを。
>> その1“行きも怖かった”編はこちら。
もう一つのショック
入念にマッサージしたとはいえ、押したときのふくらはぎの痛みは相当なもので、家まで帰りつけるか不安だった。
iPhoneのグーグルマップを頼りにここまできたのだが、バッテリーの残りが15%ほどしかなかった。もちろん携帯用の充電器を持ってきていた。マッサージのあとベンチで充電しようと取り出して、ハタと気づいた。そうだった、本体に付属しているコードの端子はMicro USB。iPhoneに充電するには専用のコードを持ってこなくてはならなかった。
すっかり忘れていた。
iPhoneは帰りは使えない。緊急用に残りのバッテリーは大事に使わねばならない。
ただ、来た道は大体覚えているし、幸い空もまだ明るい。雨も降っていない。帰り着く頃には陽も落ちているけれど、長良大橋まで行けばあとは勝手知ったる土地だ。
およそ16km。帰りは写真も撮らないし、道を確認する回数も大幅に減る。ふくらはぎの痛みがどのくらい走りに影響するかによるが行きよりは速く走りたい・走れると思っていた。1時間半は無理でも2時間くらいで長良大橋のたもとに辿りつきたかった。
疲労困憊。田中陽希の偉業に思いをはせる
帰りは堤防へは上がらずに光明寺公園球技場前を抜け、来た道を引き返す。同じ畑の前を通り名岐バイパスを横切る。
脹脛は多少痛みを感じていたが、傷んでいる箇所が走るときに直接的に使う部分とは違うのか、走れないほどの痛みは感じなかった。
順調に距離を稼いだが、脚とは別に身体全体の疲れが思った以上に激しくて、信号で止まったときは両膝に両手を置いて休まざるを得なかった。
それと、空が雲に覆われて白くなり、目印になるはずの山やランドマークが見えないことが少し不安だった。
何㎞かわからないがたった10Lのランニングパックを背負って走ってこのざまで、7800kmを200日で踏破、しかも百名山を登り海をカヤックで漕いで渡るという偉業を成し遂げた田中陽希さんのことを思い浮かべ、その達成の余りの凄さをにわかに実感した。
日本百名山ひと筆書き GREAT TRAVERSEの公式HPはこちら
道を間違える
名岐バイパスを渡り木曽川橋までのルートで道を間違えた。行きはグーグルマップをときおり見ながらなるべく直線的にいけるよう小さな路地なども使ったが、帰りは行きの経験と勘だよりなので、大きな道を選ぶように心がけていた。
名鉄名古屋本線を越えてすぐ、そのまま道なりに直進すれば1㎞ほどで木曽川橋へと続く岐阜街道に出るところを、中島東郷の交差点を左折してしまった。この道もおよそ1㎞で同じく岐阜街道には突き当たる。右折すべきところを再び左折。すぐイオン木曽川店がある。思うに、柳津のイオンとイメージが交錯していたようだ。イオンの北側の道へと右折して西を目指すが、すでに1㎞以上南に下がってしまっているのでそのまま行っても木曽川橋には至らない。しかもその道は突き当たりを大きく迂回しないといけなくなっていた。徒労感がひしひしと湧き疲れが増す。
イオン木曽川店の西側が大きな県道で、そこをイオンの敷地の南端まで300~400mほど走ったところで、どうもおかしいと思い、やむなくiPhoneを立ち上げる。
間違いに気づき、今来た道を再び北へ。北進すること600~700mで岐阜街道に出た。今度は間違わずに左折して木曽川橋へと向かう。
※赤線が行き、青線が帰り
無事橋を通過。行きにはっきり確認していたので、間違えることなく、橋を降りたところで松波総合病院群の建物を左に見ながら泉町東交差点を左折する。ここから長良川に至る道も先ほどと同じ事情でいささか自信がなかったので再びiPhoneでマップを参照。この道を道なりに走り続ければよいことが分かった。
カラフルタウンの北側を通って境川を渡り、そのまま直進して流通センターの真ん中を通りぬける。新しい道が通じたらしい。
これはありがたかった。
日は沈み暗闇を走る
イトーヨーカ堂のあたりで11㎞。帰りは道を間違えたおかげで行きより1㎞ばかり距離が延びた。残り10㎞地点ということになる。
もう陽は沈みかけていたころだ(写真もログも取ってないのではっきりわからない)。
足・ふくらはぎは何とか持ってくれ!と祈るような気持だった。しかし身体はかなり疲れていた。喉も渇いていた。サークルKが道の反対側にありコーラとおにぎりを1つ使って食べながら駐車場で休憩する。へとへとだった。周囲はもうほぼ暗くなっていた。さすがに少し寒い。
誰も助けてはくれない。自分の脚で走るしかない。
再びゆっくり走りだす。ツインアーチを出る前に替えてきたタオルもだいぶ汗でぬれていたが、寒さを感じたので首に巻く。少し暖かい。
この道は車では何度も通ったことがあるのでよく知ってはいる。
しかし、暗くなった道は足元が全く見えず、ちょっとしたデコボコでもあろうものならつまずき転びかねない。慎重に歩を進める。
流通センターの中を横切る道は初めて通る。歩道から降りて道を横切るときに段差があって転びそうになった。センターを抜けた後がちょっとわかりにくかったが、長良大橋に続く県道31号に無事入った。もうあとは歩いてでも帰れないことはない。少しホッとする。
※赤線が行き、青線が帰り
まさかの雨
ところがどっこい、そう簡単に問屋は卸してくれない。
長良大橋にかかったあたりから雨が降り出した。夜の雨ランというのはもう絶対走りたくないパターン。しかし、走るしかない。いや、歩いてもよかったのかもしれないけど、やっぱり走りたかった。歩くのはつまらない。
雨用のウインドブレーカーを持ってきていたがパックをほどいて着るのも面倒くさい。山ならそうもいかないがここは平地だし、暖かな夜だ。
揖斐川を越えるとようやくホームに帰ってきた気分になった。降りやまない雨ももう気にならない。いびがわマラソンの時のように終わった後風邪をひいたりしないように気をつけなきゃなと思っていた。
そして、まさかのドクターストップ
結局帰りも約三時間かかった。ふくらはぎの痛みはもう絶頂に達していてよくもってくれたと思う。
翌日一日湿布をしていたが痛みはほとんど弱まらず、加えて同じ左足のくるぶし周りがむくんで皮膚の色も少し変わっていて、またしても医者に行くはめになった。
ふくらはぎの炎症から出血・滲出があり重力でくるぶしの方へ下がってきたのではないかという診立て。腫れ・むくみがなくなるまでドクターストップ。
翌日、はやぶさ2は「1999 JU3」への旅のスタートを切った。
〈おしまい〉
>>その1へ戻る
まず、12月3日のHⅡAロケットの打ち上げ(13時22分4秒)成功と「はやぶさ2」の分離・軌道への投入(15時9分25秒)成功に祝意を表したいと思う。関係者の皆さん、おめでとうございました。
前回の「はやぶさ」の帰還もあきらめないで考え復帰の努力を続けたこと、限られた予算・諸条件の中でも不測の事態への備えを準備した用意周到さなどがあったとはいえ、知れば知るほど奇跡的な出来事の連続だった。
「はやぶさ」はイトカワのサンプルを地球に発射し、自らは大気圏突入により燃え尽きた。突入直前に撮影した地球の写真は、地球への亡くなる直前の挨拶、無事任務を遂行した安堵のため息のようでもあった。切なくて涙が出そうになった。はやぶさ自体はただの機械だが、生み出し送り出した技術者にとってはわが子のごとき思いが詰まっている。もはやただの機械ではない。
2度連続の奇跡を
このちっぽけな探査機が、イオンエンジンという極めて小さな(無重力の宇宙では信じがたい推進力をうむわけだけれど)動力で52億キロの距離をおよそ6年かけて飛行するわけだ。荒波の大海をただよう子ガメのようなものだ。今回も数々の想定を上回る困難が待ち受けているのは間違いない。
2度続けて奇跡を起こすのがどれほどの確率かわからないけど、成功を信じて疑わない強い精神力で臨むプロジェクトメンバーの皆さんを心から応援します。
JAXAはやぶさ2プロジェクト公式HPはこちら
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はやぶさ2のことはこのくらいにして、ツインアーチ138からの帰りのランについてのささやかなレポートを。
>> その1“行きも怖かった”編はこちら。
もう一つのショック
入念にマッサージしたとはいえ、押したときのふくらはぎの痛みは相当なもので、家まで帰りつけるか不安だった。
iPhoneのグーグルマップを頼りにここまできたのだが、バッテリーの残りが15%ほどしかなかった。もちろん携帯用の充電器を持ってきていた。マッサージのあとベンチで充電しようと取り出して、ハタと気づいた。そうだった、本体に付属しているコードの端子はMicro USB。iPhoneに充電するには専用のコードを持ってこなくてはならなかった。
すっかり忘れていた。
iPhoneは帰りは使えない。緊急用に残りのバッテリーは大事に使わねばならない。
ただ、来た道は大体覚えているし、幸い空もまだ明るい。雨も降っていない。帰り着く頃には陽も落ちているけれど、長良大橋まで行けばあとは勝手知ったる土地だ。
およそ16km。帰りは写真も撮らないし、道を確認する回数も大幅に減る。ふくらはぎの痛みがどのくらい走りに影響するかによるが行きよりは速く走りたい・走れると思っていた。1時間半は無理でも2時間くらいで長良大橋のたもとに辿りつきたかった。
疲労困憊。田中陽希の偉業に思いをはせる
帰りは堤防へは上がらずに光明寺公園球技場前を抜け、来た道を引き返す。同じ畑の前を通り名岐バイパスを横切る。
脹脛は多少痛みを感じていたが、傷んでいる箇所が走るときに直接的に使う部分とは違うのか、走れないほどの痛みは感じなかった。
順調に距離を稼いだが、脚とは別に身体全体の疲れが思った以上に激しくて、信号で止まったときは両膝に両手を置いて休まざるを得なかった。
それと、空が雲に覆われて白くなり、目印になるはずの山やランドマークが見えないことが少し不安だった。
何㎞かわからないがたった10Lのランニングパックを背負って走ってこのざまで、7800kmを200日で踏破、しかも百名山を登り海をカヤックで漕いで渡るという偉業を成し遂げた田中陽希さんのことを思い浮かべ、その達成の余りの凄さをにわかに実感した。
日本百名山ひと筆書き GREAT TRAVERSEの公式HPはこちら
道を間違える
名岐バイパスを渡り木曽川橋までのルートで道を間違えた。行きはグーグルマップをときおり見ながらなるべく直線的にいけるよう小さな路地なども使ったが、帰りは行きの経験と勘だよりなので、大きな道を選ぶように心がけていた。
名鉄名古屋本線を越えてすぐ、そのまま道なりに直進すれば1㎞ほどで木曽川橋へと続く岐阜街道に出るところを、中島東郷の交差点を左折してしまった。この道もおよそ1㎞で同じく岐阜街道には突き当たる。右折すべきところを再び左折。すぐイオン木曽川店がある。思うに、柳津のイオンとイメージが交錯していたようだ。イオンの北側の道へと右折して西を目指すが、すでに1㎞以上南に下がってしまっているのでそのまま行っても木曽川橋には至らない。しかもその道は突き当たりを大きく迂回しないといけなくなっていた。徒労感がひしひしと湧き疲れが増す。
イオン木曽川店の西側が大きな県道で、そこをイオンの敷地の南端まで300~400mほど走ったところで、どうもおかしいと思い、やむなくiPhoneを立ち上げる。
間違いに気づき、今来た道を再び北へ。北進すること600~700mで岐阜街道に出た。今度は間違わずに左折して木曽川橋へと向かう。
※赤線が行き、青線が帰り
無事橋を通過。行きにはっきり確認していたので、間違えることなく、橋を降りたところで松波総合病院群の建物を左に見ながら泉町東交差点を左折する。ここから長良川に至る道も先ほどと同じ事情でいささか自信がなかったので再びiPhoneでマップを参照。この道を道なりに走り続ければよいことが分かった。
カラフルタウンの北側を通って境川を渡り、そのまま直進して流通センターの真ん中を通りぬける。新しい道が通じたらしい。
これはありがたかった。
日は沈み暗闇を走る
イトーヨーカ堂のあたりで11㎞。帰りは道を間違えたおかげで行きより1㎞ばかり距離が延びた。残り10㎞地点ということになる。
もう陽は沈みかけていたころだ(写真もログも取ってないのではっきりわからない)。
足・ふくらはぎは何とか持ってくれ!と祈るような気持だった。しかし身体はかなり疲れていた。喉も渇いていた。サークルKが道の反対側にありコーラとおにぎりを1つ使って食べながら駐車場で休憩する。へとへとだった。周囲はもうほぼ暗くなっていた。さすがに少し寒い。
誰も助けてはくれない。自分の脚で走るしかない。
再びゆっくり走りだす。ツインアーチを出る前に替えてきたタオルもだいぶ汗でぬれていたが、寒さを感じたので首に巻く。少し暖かい。
この道は車では何度も通ったことがあるのでよく知ってはいる。
しかし、暗くなった道は足元が全く見えず、ちょっとしたデコボコでもあろうものならつまずき転びかねない。慎重に歩を進める。
流通センターの中を横切る道は初めて通る。歩道から降りて道を横切るときに段差があって転びそうになった。センターを抜けた後がちょっとわかりにくかったが、長良大橋に続く県道31号に無事入った。もうあとは歩いてでも帰れないことはない。少しホッとする。
※赤線が行き、青線が帰り
まさかの雨
ところがどっこい、そう簡単に問屋は卸してくれない。
長良大橋にかかったあたりから雨が降り出した。夜の雨ランというのはもう絶対走りたくないパターン。しかし、走るしかない。いや、歩いてもよかったのかもしれないけど、やっぱり走りたかった。歩くのはつまらない。
雨用のウインドブレーカーを持ってきていたがパックをほどいて着るのも面倒くさい。山ならそうもいかないがここは平地だし、暖かな夜だ。
揖斐川を越えるとようやくホームに帰ってきた気分になった。降りやまない雨ももう気にならない。いびがわマラソンの時のように終わった後風邪をひいたりしないように気をつけなきゃなと思っていた。
そして、まさかのドクターストップ
結局帰りも約三時間かかった。ふくらはぎの痛みはもう絶頂に達していてよくもってくれたと思う。
翌日一日湿布をしていたが痛みはほとんど弱まらず、加えて同じ左足のくるぶし周りがむくんで皮膚の色も少し変わっていて、またしても医者に行くはめになった。
ふくらはぎの炎症から出血・滲出があり重力でくるぶしの方へ下がってきたのではないかという診立て。腫れ・むくみがなくなるまでドクターストップ。
翌日、はやぶさ2は「1999 JU3」への旅のスタートを切った。
〈おしまい〉
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