MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

アギーレ監督を信じよう

2014-12-28 | ランニング以外のスポーツ
 アギーレ監督の八百長疑惑については、スペイン当局が告発するという事態となり、賛否両論が喧しくなってきた。
 監督自身が記者会見を行い「まったく身に覚えがない」と主張した。

 わたしはアギーレ監督を信じようと思う。この会見まではともかく彼は何もしていないと言っている。何も具体的な証拠があるわけでもない。
 わたしはアギーレ監督が好きなわけでもないし、彼が日本でやろうといているサッカーももうひとつよくわからなくて高く評価しているわけでもない。できれば他の監督のほうがいいとさえ思ったいたくらいだ。ペケルマン、ストイコヴィッチ、そして日本人の監督・・・

 だけれども、彼を信じるべきじゃないかと今は思っている。
 「火のないところに煙は立たない」などと言って、やめてもらうべきだと主張する評論家やサッカー関係者もいる。日本でもこんなに「冤罪」が起きているのに。

 日本は、協会は信じて彼に任せたのだ。噂しかなく確かな証拠もないのに抹殺しようとする風潮が恐ろしい。選手だって信じなくちゃ闘えない。信じられないなら代表を辞退するしかないだろう。信じる力が問われている。
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全日本選手権の回転不足

2014-12-28 | ランニング以外のスポーツ
ジャッジがルールを越えていいはずがない

 2014年フィギュアスケートの全日本選手権をTVで観た。男子は措くとして、まだショートだけしか終わっていないが女子では波乱が起きている。
 というのも、次代のエースと目されていた村上佳菜子、今井遙が三回転ジャンプで回転不足を取られて大幅な得点ダウンにより大きく順位を落とす結果となったからだ。

 解説の荒川静香によれば、回転不足といっても、ルール上1/4回転分の猶予が与えられているので--つまり3/4回転以上していれば回転不足でも回ったと認定される。にもかかわらず、今大会のジャッジはこの余裕分を見ていないというのだ。

 これはおかしいですよね。たとえば日本の将来的なレベル向上のために「余地厳しく判定する」というような考えがあるのかもしれない。けれど、現時点でオフィシャルなルールを勝手に厳しくしてしまうというのは、どう考えてもやり過ぎだ。

 村上も今井も終わったときは「やったあ!」という感じだったし、厳密なことはわからないが、ちゃんとできたときの「いつも通り」のように見えた。
 競技委員長はきちんと説明すべきではないかと思う。

村上と上位三人の比較

 一方で、たとえば村上佳菜子の演技について言うと、全体的に演技が雑に見えたのも事実である。なんとなく跳んでる・滑っているように見えてしまう。彼女の場合特に動きの「癖」が他の選手より多いので、気を抜いてると自分勝手に滑ってるような感じがすることがあるけど、この日のショートも少しそんな感じがあった。余り強制しすぎると縮こまって村上佳菜子の魅力であもある奔放さ、大胆さが失われそうでバランスが難しいが。

 高得点を出した上位三人(本郷、宮原、樋口新葉)は、そういう意味では隅々まで気を配った素晴らしい演技だった。回転も速くて切れがあり素人目にも違いが見て取れた(といっても上述の採点の話とは別)。
 本郷、宮原は最終組で、厳しく回転不足がとられているのをわかってからの演技だったから、より丁寧に滑ったというところもあると思うが、それができるということはきちんと実力があるということにほかならない。

 村上も、そういう事情はもうわかったのだから、今日のフリーではしっかりと気を抜かずにジャンプを決めて逆転優勝を目指してもらいたい。
 が、昨日の演技を見る限り、優勝争いは本郷と宮原の戦いになりそうだ。
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2014-12-28 | 発言Clip
壁の先には壁しかない。

 2014年、今年の全日本選手権で3連覇を果たした羽生結弦の言葉。

 最初に聞いたときは「大丈夫かな?」と思った。というのもドミノのピースが並んで倒れてくるようなイメージを想像してしまい、羽生にしても大きなプレッシャーを感じているのかと思ったからだ。いつか支えきれずにピースの下敷きになってしまいやしないかと危惧を抱いた。
 でもそうではなかった。

 危険なもの・過酷なものを次々と追い求めていくメンタリティというのは時に危険で、たとえば次々高くて危険な山を目指す登山家とか、どこまでも深い海に酸素も背負わずに潜るフリーダイバーとか、将棋指しの脳の極限な働き、哲学者の思考の極致とか、見てはいけないものや踏み込んではならない限界というのが人間にはあると思う。
 誰でもいけるわけではない。だから行きたい。行くのは自由だが、そこにはおそらく死か狂気が待っている気がする。


 羽生はこう続けたらしい。

 人間っていうのは欲深い。たとえ何かを克服しても、それをさらに越えたいという思いがある。僕が特にそうだと思うんですけど。

 どこからが危険な領域なのかはおそらく誰にも分からない。間違いないのは、その手前までいけるのも極めてまれな天才たちだけだということだ。
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