ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

庭園・街の花、まつり・名所。いろいろな出会いを,その時々の想いを交えて、皆様にお届けします。

ひたすら研究に没頭した牧野博士 ~牧野記念庭園を訪ねて~

2023-04-25 | 公園・庭園・名所

ご存知の通り、NHKの朝ドラ「らんまん」が、

4月から放送されています。

ドラマのモデルは、日本の植物学の父といわれる

牧野富太郎博士。

      

練馬区の牧野記念庭園を入ってすぐに

ある建物が講習棟ですが、そこにドラマの

主演俳優の神木隆之介さんの番組ポスターが

貼られています。

練馬区では、区役所や生涯学習センター

などにも貼られていますが、このポスターは

東京限定版だそうです。

 

牧野富太郎博士は、文久2年(1862年)4月24日、

高知県の佐川町(当時は佐川村)で生まれました。

亡くなったのは、練馬区東大泉(現在)の住居です。

博士は、昭和32年(1957年)1月、94歳で生涯を

閉じるまでの30年余を、この住居で過ごしています。

ちなみに、「牧野記念庭園」は、この住居跡に整備

されたものです。

 

    

牧野富太郎博士の胸像です。

胸像の周りにあるのは、スエコザサ。

博士が昭和2年(1927年)に仙台で発見した

アズマザサの変種。妻の壽衛(スエ)への

感謝と愛情を込めて命名したものとか。

 

        

博士の植物研究に寄せる思いは、庭園内の

石板の言葉に表れているように感じます。

次の言葉です。

「花あればこそ、吾も在り」

 

    

博士が「我が植物園」と呼んでこよなく

愛した東大泉の庭や住居は、妻の壽衛の

尽力のおかげで、構えることができたと

言われています。

「書斎」の一角に、上のような写真が

掲示されています。

 

    

この書斎を、博士は「繇條書屋」

(ようじょうしょおく)と呼んでいたようです。

上の掲示写真がそうです。

 

復元された書斎の様子です。

博士は、山のような本や資料に囲まれて

いたようですね。

ひたすら植物研究に明け暮れた博士の日常

を感じさせる室内の様子です。

 

博士のお墓は、台東区谷中の天王寺墓地に

あります。左手には、妻の壽衛のお墓も

並んでいます。

(博士が生まれ育った高知県佐川町に

整備されている牧野公園にも、分骨された

お墓があります。)

 

ところで、上の写真は、先日訪れた

牧野記念庭園に咲いていた花です。

上から、ヤマシャクヤク、オオチゴユリ、

ヤエキリシマツツジ、ミツバウツギ、ホオノキ、

ムサシアブミ、ウラシマソウです。

(2枚目の写真を最初にヒロハノアマナと

書きましたが、ブロガーのさざんかさんから

オオチゴユリと教えていただきました。

ありがとうございました。)

 

園内は「らんまん」の放送もあって、

だいぶ見学者が多くなっていました。

おそらく、ドラマの展開が東京に移れば

また見学者が増えることだろうと思います。

私も、また訪ねてみます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする