中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

幼児の言葉

2010-03-04 09:45:52 | 身辺雑記
 3週間ほど前に西安の謝俊麗が息子の撓撓(ナオナオ)の動画を送ってくれた。それまでにも写真はいろいろ送ってきていて、そのたびにどんどん成長していくのを見るのが楽しかった。この動画の中のナオナオはいっそう大きくなっていたが、何よりも大きな声で何か言っているのが面白かった。

 自分の椅子に座って、可動式の肘掛を外したりはめたりして遊んでいるのだが、その間ずっと何か言っている。「チュバー」とか「アジャア、アジャババア」、「ジュジジィ」とかその他メモできないようなことをいろいろ叫んだり呟いたりしている。ただ意味もないことを出まかせに口にしているのかと言うと、ニコニコと楽しそうに遊びながらだし、抑揚や強弱もあるから何か話しているつもりらしい。

 私の息子達もそうだったが、幼児は遅くても1歳も半ばを過ぎると言葉を話すようになる。ナオナオも身近な家族には、パパ、ママ、イェイェ(おじいちゃん)、ナイナイ(おばあちゃん)、ジェジェ(おねえちゃん)、アアイイ(おばちゃん)、などと言えていたようだが、それ以外はあまり言えないようだった。動画の中でいろいろ言っているのは、おそらくは頭の中にはある言葉を(もちろん中国語だが)、口にしようとしているのだろうが、まとまった音声にはなっていないのだろう。聞くことはもっと前からいろいろよく分かってきていたようだったから、頭の中では言葉は作られているのだと思う。俊麗の話では、単語は言えるが、それを組み合わせることはまだできないようで、「ママ」や「ダッコ」は言えても、「ママ、ダッコ」にはならないらしい。そのうちに言えるようになるだろう。

 「亮(リヤン)」と言えるようになったよと俊麗は言ったが、亮は私の名前で、もうイェイェが言えるのだから、亮爺ちゃん(リヤンイェイェ)も言えるようになるねと言うと、そのつもりで教えていると言ったので嬉しかった。具体的なものの名前は言えても、亮=明るいなどは難しいだろうと言うと、ちょうど春節で飾っていた提灯を指差して「亮」と言ったらしい。

 中国語には幼児語というものがあるのかと聞いたが、ご飯のことを飯飯(ファンファン)と言うことはあるけれどと、あまり思いつかないようだった。日本で例えば「(何々)チテクダチャイ」と言うようなことは中国の子どもにもあるようで,chiは舌を巻いて発音するから子どもには難しく,qiとかtiになると言った。日本人にはよほど中国語に堪能でないと、どれも「チ」に聞こえるし、単語によって発音を区別して正確に言うのは難しい。だから日本人の中国語は中国人が聞くと幼児語のように聞こえることもあるのかなと言うと俊麗は笑っていた。

 私の息子が言葉を言い始めた頃、興味を持って一つ一つメモしていたが,たちまち語彙が増えたし、単語だけでなく句や文になってきたので追いつかないので止めた。ナオナオもこれからどんどん話ができるようになるだろう。電話口でそれを聞くのを楽しみにしている。