麗江への旅に出る前に、信じられないような事件が報じられた。5歳になる男の子が両親から食事を与えられずに餓死した。
奈良県桜井市の26歳の母親は、1月初め頃からこの男の子に朝に1回だけしか食事や水を与えず、35歳の父親も男の子が衰弱しているのが分かっていても何もせず、妻にも何も言わなかった。母親はこの子に暴行も加えていたようで、その動機は、長女が誕生した3年前ごろから夫と不仲になり、男の子も反抗的な態度をとるようになった。男の子が夫に似ているので憎むようになったという呆れるようなものだ。男の子は栄養失調による急性心不全で死亡したが、5歳児では通常15~20キロある体重は6.2キロしかなく、骨と皮の状態だったと言う。
これまでにも親による子どもの虐待死は少なくないが、これはまったく言いようのない異常な仕打ちだ。母親というものは、仲が悪い夫に似ているという理由で、腹を痛めた我が子を虐待できるものなのか。幼児も成長するにつれてわがままを言ったり、反抗したりするものではないか。そのことも虐待の理由になるとは、その母性の欠如には呆れてしまう。西安の謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)は1歳半になるが、毎日昼寝から目覚めると「ママ、ママ」と呼び、夜ベッドに入ると俊麗のパジャマを握りながら寝入るそうだ。子どもにとって母親というものは、そのように寄りすがり、安心したい存在なのだ。それに父親というものは育児は妻に任せたといって、我が子が衰弱していくのを傍観できるものなのか。まったく揃いも揃って、とんでもない異様な精神状態の夫婦と言うほかはない。いったいこの2人はどのような家庭に育ったのだろう。
麗江へ行く時に関西空港から乗った機内に置いてあった新聞の1面のコラムの中に次のような文があった。
「子供は親に似るものである。薔薇の木に薔薇の花が咲くごとく、何の不思議もない。似ているだけで、ただそれだけで、5歳の子がなぜ、親から『死』を与えられねばならないのだろう」
そのとおりだと思った。
この新聞の社会面には、この夫婦がほぼ毎週末の朝、男の子を家に残して、可愛がっていたという3歳の娘を連れて外出していたという記事もあった。男の子がアパート2階の家の窓から3人の楽しそうな姿をじっと見つめる姿がしばしば目撃され、近くのガソリンスタンドの店員は「すごく寂しそうだった」と話していたという。この記事を読んで私は、窓から両親や妹の姿を見つめている男の子の後ろ姿を想像し、いったいこの子は何を思っていたのだろうと、その哀れさに思わず涙が出てしまった。その後も旅行の毎日の中で何度もその姿を思い、そのたびに涙ぐんだ。子どもに関する出来事で近頃これほど胸に応えたものはない。
このような母親を週刊誌的な表現で「鬼母」などと言うのは簡単なことだが、何かそのような表現では言い尽くせない、深く暗いものを感じる。このような人間にどのように贖罪させたらよいのか。愚かな感情による、親として人間としてやってはならない己の行為にどのように向き合わせるのか。ただ一定期間獄中に置けばよいというものではないと思う。
この子の不幸はもちろん言葉では言い尽くせないものだが、3歳になる妹もこれからしばらくの間は親と一緒に暮らすことができないままに過ごさなければならない。将来再び親と生活できることがあっても、自分の兄が親の手で幼い命を失ったことをどのように聞かされ理解するのだろう。この娘も不幸だと思う。
失われた命は再び戻ることはない。もしあの世というものがあるならば、この世では何の愛情も喜びも与えられなかった、この幼い男の子の哀れな魂が、そこに安らかに眠る場を見つけることができるように。
奈良県桜井市の26歳の母親は、1月初め頃からこの男の子に朝に1回だけしか食事や水を与えず、35歳の父親も男の子が衰弱しているのが分かっていても何もせず、妻にも何も言わなかった。母親はこの子に暴行も加えていたようで、その動機は、長女が誕生した3年前ごろから夫と不仲になり、男の子も反抗的な態度をとるようになった。男の子が夫に似ているので憎むようになったという呆れるようなものだ。男の子は栄養失調による急性心不全で死亡したが、5歳児では通常15~20キロある体重は6.2キロしかなく、骨と皮の状態だったと言う。
これまでにも親による子どもの虐待死は少なくないが、これはまったく言いようのない異常な仕打ちだ。母親というものは、仲が悪い夫に似ているという理由で、腹を痛めた我が子を虐待できるものなのか。幼児も成長するにつれてわがままを言ったり、反抗したりするものではないか。そのことも虐待の理由になるとは、その母性の欠如には呆れてしまう。西安の謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)は1歳半になるが、毎日昼寝から目覚めると「ママ、ママ」と呼び、夜ベッドに入ると俊麗のパジャマを握りながら寝入るそうだ。子どもにとって母親というものは、そのように寄りすがり、安心したい存在なのだ。それに父親というものは育児は妻に任せたといって、我が子が衰弱していくのを傍観できるものなのか。まったく揃いも揃って、とんでもない異様な精神状態の夫婦と言うほかはない。いったいこの2人はどのような家庭に育ったのだろう。
麗江へ行く時に関西空港から乗った機内に置いてあった新聞の1面のコラムの中に次のような文があった。
「子供は親に似るものである。薔薇の木に薔薇の花が咲くごとく、何の不思議もない。似ているだけで、ただそれだけで、5歳の子がなぜ、親から『死』を与えられねばならないのだろう」
そのとおりだと思った。
この新聞の社会面には、この夫婦がほぼ毎週末の朝、男の子を家に残して、可愛がっていたという3歳の娘を連れて外出していたという記事もあった。男の子がアパート2階の家の窓から3人の楽しそうな姿をじっと見つめる姿がしばしば目撃され、近くのガソリンスタンドの店員は「すごく寂しそうだった」と話していたという。この記事を読んで私は、窓から両親や妹の姿を見つめている男の子の後ろ姿を想像し、いったいこの子は何を思っていたのだろうと、その哀れさに思わず涙が出てしまった。その後も旅行の毎日の中で何度もその姿を思い、そのたびに涙ぐんだ。子どもに関する出来事で近頃これほど胸に応えたものはない。
このような母親を週刊誌的な表現で「鬼母」などと言うのは簡単なことだが、何かそのような表現では言い尽くせない、深く暗いものを感じる。このような人間にどのように贖罪させたらよいのか。愚かな感情による、親として人間としてやってはならない己の行為にどのように向き合わせるのか。ただ一定期間獄中に置けばよいというものではないと思う。
この子の不幸はもちろん言葉では言い尽くせないものだが、3歳になる妹もこれからしばらくの間は親と一緒に暮らすことができないままに過ごさなければならない。将来再び親と生活できることがあっても、自分の兄が親の手で幼い命を失ったことをどのように聞かされ理解するのだろう。この娘も不幸だと思う。
失われた命は再び戻ることはない。もしあの世というものがあるならば、この世では何の愛情も喜びも与えられなかった、この幼い男の子の哀れな魂が、そこに安らかに眠る場を見つけることができるように。