中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

体罰

2013-01-14 13:43:39 | 身辺雑記

 連日のように大阪市立桜宮高校バスケット部の主将だった2年生の男子生徒が、顧問の体罰で自殺した事件が報じられています。このニュースで非常に腹立たしく思うのは、顧問の教師の、事をできるだけ小さくしようとする姿勢ですし、それを鵜呑みにして簡単な事情聴取しかしなかった学校長や、その報告を受けてそれ以上の調査をしなかった大阪市教委の在り方です。 

 「業を煮やした」橋下市長が、直接この問題への対処の指揮を執るようですが、彼は教育は2万%強制だと言い、元来は体罰一部容認論者です。あるブログによると家庭でも「自分の子どもも、ぐうの音もでないほど投げ飛ばしたと自慢していた」そうです。要するに例によって先頭に立ちたがっているだけなのか、本当に学校から体罰をなくそうとしているのか疑問です。遺族宅に弔問して謝罪した市長は、記者団に「体罰についてはこれまで、中高時代、ラグビー部に所属していた経験から、『ビンタもあり得る』などと、容認とも取られかねない発言をしていたが、この日は『認識が甘かった』『前近代的だった』『猛反省している』などの言葉を何度も遺族や記者団に口にした」(YOMIURI ONLINE)とのことですが、そのことばを体罰撲滅に生かしてほしいと思います。 

 この顧問は、この生徒が自殺する前日に「8~10回たたいた」と言い、両親は「30~40回と息子から聞いた」と言っており食い違いが大きくあります。「たたいた」と言うと軽く思えるかもしれませんが要するに「殴った」のです。それに10回くらいなら体罰ではなく、30回や40回なら体罰だと言うことはありません。まして、それで生徒を自殺にまで追い込むのは犯罪行為です。この学校ではこの顧問だけでなく、他の部でも顧問が部員を殴ることがあったようで、常態化しているようです。

  大阪市教委によると、生徒は自殺する前日の練習試合で体罰を受け、試合後に顧問と教官室で面談し、「(体罰を受ける)キャプテンがしんどい」と打ち明けていましたが、顧問から「キャプテンを辞めればBチーム(二軍)行き」と迫られ、「(キャプテンを)頑張ります」と答えた際、「殴ってもええねんな」と念押しされたといいます。殴るのを当然のように言って生徒を追い詰めるこの教師は、サディストではないかと思います。 

 日本全国では、いまだに戦時中の軍隊のシゴキもどきの体罰が横行し、その多くは部活動だと言うことです。体育系の部活動で体罰が多いのはどうしてなのか、生徒が失敗したり試合に負けたくらいで、なぜそのように生徒を殴るのか理解ができません。私がかつて勤めていた高校のサッカー部は県代表になり全国大会でも健闘して注目されましたが、部員達はのびのびと学習もし、練習もしたようで、その点も評価されました。桜宮高校のバスケット部は全国での強豪校で、常に勝たなければならないというプレッシャーが顧問にあったのかも知れませんが、それを生徒に転嫁して暴力を振るうのは論外です。 

 親が子どもに暴力を振るうと「しつけのつもりだった」と弁解し、教師は「愛の鞭」「励まし」と言います。私はこの「愛の鞭」ということばには嫌悪を感じます。本当に子どもや生徒に優しい気持ち、愛を持っていたら暴力は振るえません。要するにかっとなった挙句のことなのです。私は長男が幼い頃、ちょっと反抗的な態度を取ったというだけで頬を1回平手打ちしたことがあります。長男は色白の子でしたから叩いた後が赤くなり、その顔で「お父さんはひどい」と抗議した時にはつくづく悪かったと自己嫌悪に陥ったものです。冷静にこれは「愛の鞭」だと考えながら、無抵抗な子どもや生徒に暴力を振るう人間がいたら、むしろ気味悪く思います。橋下市長が自分の子どもを、「ぐうの音もでないほど投げ飛ばした」時に冷静であったとするならば、彼は特殊な性格だと思います。 

 私は戦時中の小学生の時に、理由の分からないままに一度担任にビンタを食らったことがありますが、その時の担任の顔が忘れられず、長じるにつれてその担任の顔が醜いものに思うようになったものです。元プロ野球の投手だった桑田真澄さんは講演会等で、「体罰で技術が向上することはない。絶対に反対だ」と訴えているようです。 

 戦後70年にもなるのに体罰教師が後を絶たないのは、世間や親の一部にそれを「熱心だ」とか「熱血先生だ」、「悪い子には体罰は必要だ」として容認する声がいまだにあるからで、それが教師を甘やかし、暴力に走らせることを考えてみるべきだと思います。