自民党が検討する「いじめ対策基本法案(仮称)の骨子案が分かったそうです(下記)。野党とも調整して、超党派の議員立法として国会での成立を目指ことになるようです。(『毎日』1月27日付)。
その骨子案は次のようなものです。
・教諭体罰やインターネットの悪質な書き込みもいじめと位置付け。
・死亡や大岡が、長期欠席を伴う重大事案について学校から市町村長らへの報告を義務化。学校は調査組
織を設置。
・生命の安全が脅かされる際に、学校は直ちに警察に通報。
・いじめをした児童、生徒を学校教育法に基づいて出席停止とする措置の活用。
・スクールカウンセラーの配置促進や、いじめ防止の基本方針策定を要請。
この骨子案がどのように具体化されるのかは今後の推移を見ていきたいと思います。ただ私は教諭の体罰を、「いじめ」というようなやや軽い印象を与える範疇にまとめてしまうことには疑問を感じます。このような動きのきっかけになったのは、大阪市立桜宮高校の顧問による体罰(殴打)によって生徒が自殺した事件があったからですが、この場合の当該顧問の体罰は「いじめ」などというようなものではなく、明らかに犯罪的な暴力事件です。この高校生の両親はこのほど顧問を告訴したようですが当然でしょう。 児童や生徒に対してほとんど絶対的な優位な立場にある教師の度を過ごした体罰、暴力を「いじめ」というように矮小化するのには反対です。またこのような度を越した体罰を与えた教師には免職も含む強い処分が必要だとも思います。
私の幼少の頃は「いじめ」と言えば腕白たちが弱い子に向かって「やあい、やあい。おまえのかあさんでべそ」とはやし立てるような言葉の嫌がらせが主なもので、暴力を伴うことはあまりありませんでした。しかし教師たちは戦時中のこともあって子どもにはしばしば暴力を振るっていました。小学校1年生の時、クラスのある男の子が何をしたか分かりませんが教室で担任のM先生に何度も激しく殴られ、その子は「おかあちゃん、おかあちゃん」と泣き叫び、クラスの子供たちも泣きそうになってその光景を見ていました。その時のM先生の顔と様子は今でもはっきり覚えていますし、Mという先生の名を70年以上もたった今でも思い出すのは、そんな光景があったからです。その場面でしかM先生のことは覚えていません。そんなことで私は教師の暴力がどうにも我慢ができません。
教師の行き過ぎた体罰は「いじめ」というような生易しいものではありません。まして「愛の鞭」などというような甘ったるいものではありません。単なる暴力です。教師、とりわけ中高校の運動部の顧問による暴力は、教師本人の性格にもよるのでしょうが、それを助長しているのは、「あの先生なら全国大会に連れて行ってもらえる」というような一部の保護者の甘い体罰容認姿勢です。自分の子が殴られて平気でいるのは親としても失格でしょう。