中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

国賊

2013-01-26 16:36:31 | 身辺雑記

 先頃民主党の鳩山元首相が、「日本政府は日中間に領土論争はないと言っているが、歴史を見るなら論争はある」と指摘し、政府の公式見解とは異なるとして物議をかもしました。これを受けて小野寺防衛相は中国に政治的に使われたのなら、不幸なことだと主張し、「国賊という言葉が心の中によぎった」とも言ったようです。 

  「国賊」とか「非国民」とかいうことばを聞くと、あの言論封殺時代の戦時中のことを思い出して非常に不愉快になります。当時はそのように呼ばれることは、その人の全人格を否定するようなものでした。小野寺防衛相は53歳、戦後生まれの彼の頭の中にこのようなことばがよぎるとはどういうことでしょうか。この言葉だけで、彼が右翼思想の持ち主だということが分かります。彼に限らず、近頃はこのようなことばをよく見聞きするのは、日本の社会が危険な状態になっているのではないかと思います。「国賊」にしても「非国民」にしても相手を日本国民と認めない思い上がった考えです。私はかつてこのブログのコメントで「あなたのような朝日新聞を好むサヨク爺さんは日本から出て行ってください」と言われたことがあります。ことばづかいは丁寧ですが、内容は乱暴そのものです。おそらく若者なのでしょうが、広い層でこのような考えが広がっているのかと心配します。 

 このような風潮を煽るかのように、最近新聞広告で見た『週刊新潮』はひどいものです。「ノーベル平和賞が欲しくて国を売った元総理」とあり、続いて大きく「超法規『国賊罪』で『鳩山由紀夫』を逮捕しろ!」とあります。『週刊新潮』は右派ジャーナリズムの先端を行く週刊誌ですが、これはひどすぎます。見出しは大仰でも読んでみたら、突出した右翼言論人のコメントの寄せ集めの程度の低いものなのかも知れませんが、まるで軍部独裁時代の「特高」を彷彿とさせます。いかに言論の自由と言ってもこのような暴論がまかり通ることは、読者が多いらしい雑誌であるだけに怒りを覚えます。 

 二度と再び「国賊」や「非国民」という言葉が使われないような時代になることを願いますし、保守を自任し左翼を嫌う人でも、このようなことばがどれほど人格無視の暴言かは知っていてほしいと思います。何やかやとありますが、とにもかくにも日本は中国や北朝鮮とは違って、言論の自由が保障された民主国家なのです。

 

 

 

 

 

 


教育に対する政治介入

2013-01-26 16:15:27 | 身辺雑記

 熊本市の幸山政史市長は23日の定例記者会見で、大阪市立桜宮高校の体罰問題についての橋下大阪市長の、同高の教員すべての入れ替えや、入試の中止要請を教育委員会が拒否した場合は予算を執行しないなどの一連の発言に対して「教育に対する政治介入に限りなく近い」と批判的な見解を示しました。(YOMIURI ONLINE) 

 幸山市長は、大阪市が取るべき対応として、〈1〉自殺の原因究明〈2〉当事者や監督責任者の責任問題の対処〈3〉再発防止策の策定――などを挙げたとあります。そのうえで、「これから調査に入ろうとする途中であり、(橋下市長の発言は)一部の情報で感情的な発言につながっているのではないか」「過激な発言で自分の思い通りにさせるという手法にはとても違和感を覚える」と述べ、さらに政治的介入に近いとの考えを述べて、「改めて、教育委員会の政治的中立性の必要性が明らかになった」と言ったようです。 

 この幸山市長の見解は、良識のある首長としては当然の正論ですが、自分の独裁的な発言が通ることに酔ってしまったような状態にある橋下市長は、おそらく「外部から口を出すな」くらいにしかとらないのではないでしょうか。大阪市民もそろそろ大阪市の在り方に不正常なことが多いことに気づき、この「お山の大将」に声を上げるべきです。これは 「お山の大将俺ひとり、あとから来るものつき落とせ」で始まる童謡ですが、橋下氏の場合は、「反対(批判)するもの突き落とせ」でしょう。

 近くのJR駅構内にあるエキナカスーパーの喫茶室にいましたら、隣の席に2人の50年配の男性がいて、最近の政治のことなどについて話していましたが、橋下氏のことになりますと1人が「あれはバカですよ」と言っていました。声が小さいのでその理由までは聞こえませんでしたが、前にも同じ喫茶室で隣席にこれも50代の2人の女性がいて、1人が橋下氏を強い口調で批判していました。私の住む市は大阪に近いのですが、大阪から少し離れると、橋下批判はかなり強いのではないかと思いました。

 

 

 

 

 


2013-01-26 08:14:49 | 身辺雑記

 私の父方の祖父は明治3年生まれの純然たる明治人で、裁判官でした。私の家族は一時期祖父の家に同居していたことがありますが、その頃はもう退官していました。小学校から帰ると私は祖父の居間に行き、祖父の前で正座して両手を突き「おじい様、帰りました」と挨拶したものでした。しかし祖父は頑固な昔気質の人物ではなく、その当時としては家族の誕生日を大切にしたりするなど開けたところがありました。 

 後年、母が言ったことですが、祖父は新婚間もない母を知人に紹介するときに「娘です」と言ったので、母はびっくりしたそうです。普通なら「○○(父の名前)の嫁です」と言うところですが、そういうところが祖父にはあったようです。父は兄弟が3人いましたが母はおとなしい性格でしたので可愛がられていたようです。私には息子が2人いますが、もし誰かに彼らの「嫁」を紹介するときに「娘です」とは多分言わないと思います。

 

 この「嫁」ということばは便利なようでもあり、そうでもないようでもあります。私は使ったことはありませんが、自分の妻のことを他人に言う場合は「うちの嫁さん」と言ったりします。自分の場合は普通は「妻」とか「家内」と言いますが、息子達については英語のmy son’s wifeのように「息子の妻」と言えばいいのでしょうが何となく使いにくい気がします。「連れ合い」はちょっとよそよそしい感じで堅苦しいし、そうすると本当は好きではないのですが、結局は「嫁」に落ち着き、これまでこのブログでも使って来ました。私は息子の「嫁」達を気に入っていて、祖父のように「娘」という感じなのですが、何か適当な言い方はないものでしょうか。